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文化系ママさんダイアリー

2010.12.15 公開 ポスト

第六十五回

「生殖の人、石原慎太郎の教育論」の巻堀越英美

 東京都知事・石原慎太郎の暴言。それはまったく今に始まった話ではないのだけど、今月に入ってからアニメやマンガの性表現などに規制を設ける「東京都青少年の健全な育成に関する条例」改正案に関する発言をめぐって、ネットを中心に反発が盛り上がっている。おもにやり玉に挙がっているのは、「夫婦の性生活みたいなのを漫画に描くことが子供たちに無害だっていうなら、バカだね、そいつら。『頭冷やしてこい』と言っといてくれ」「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」あたり。いったい、60歳以下の日本人でマンガ嫌いな人間などいるだろうか? いや、いることはいるのだろうけど、広範囲に反感を招く発言であることは間違いない。
 石原慎太郎は弟の故・石原裕次郎と並んで、長らく日本の人気者であった。彼が大学在学中の1956年に文壇デビュー作『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞した頃のことを、井上ひさしは『ベストセラーの戦後史』の中でこう振り返っている。

受賞後の半年間に十七編の小説を発表し、評論を書き、詩をつくり、ラジオドラマに手を染め、翻訳をこなし、挿絵を描き、シナリオをものにし、映画に主演し、自分で組織するサッカークラブ「湘南キッカーズ」の全試合に出場し、一日だけ出社して辞めた東宝とは製作嘱託契約を結ぶなど、「そのうちのひとつでいいから、こっちにも仕事を分けてくれ。ただし映画の主役は除く……」と云いたくなるような目ざましさだった。



 水嶋ヒロと伊勢谷友介を足して二で割らない八面六臂の活躍ぶり。さらに既存の権力や大人にたてつくビッグマウスの持ち主。文化系・体育会系問わず、男の子はこの手のカッコよさに憧れるものだ。「太陽族」という言葉も生まれるくらい、彼が当時の若者に与えた影響は大きかった。ええ、私の父もその一人。父の書棚には石原慎太郎の初期の著作がずらずらと並んでいた。当然、石原慎太郎のベストセラー教育書『スパルタ教育』(1969年)を真に受けていないはずがない。「子どもはなぐってしつけろ」などと煽ってくれたおかげで、こちらはひどい迷惑を蒙った。後年、石原慎太郎自身はめったに子供を殴らなかったと聞いたとき、どれほど割り切れない気持ちを抱いたことか。彼の著作をのぞいては、女性や他民族への差別と偏見にはらわた煮えくりかえり、数ページと読み進められずに書棚に戻す子供時代。この手のオヤジが世間のマジョリティである限り、私の人生はお先真っ暗だ……と世界を呪ったものである。
 そんな私の絶望をよそに、石原慎太郎は人気者であり続けた。政治家に転向すれば連続8回当選で環境庁長官、運輸大臣などを歴任。東京都知事選でも史上最高の得票率。「三国人」などの他の民族を揶揄する発言を繰り返そうが、ババア有害発言で物議を醸そうが、なんだかんだでもう11年も都知事。いくら対抗候補に一票を捧げても、ただただ死に票として消えていく。差別問題を倫理的問題としてではなく、「本音がバレて面倒な連中に絡まれちゃったらどうしよう」問題としてとらえているマジョリティ男性が、「批判も辞さずに俺たちの本音を代弁してくれる男らしい男→きっと実行力もあるに違いない」と崇拝するのはわかる。でも、女性人気まであるとはどういうことなの。雰囲気イケメンだからか。それともオラオラ系高齢者萌えという新ジャンルなのか。解せない。「日本は私に合わないわ……」とつぶやいてセレブ気取りで世界放浪の旅に出たくなる。英語しゃべれないけど。
 ところで都知事が子どもたちの目に有害なマンガをふれさせまいとがんばる一方で、あのにっくき『スパルタ教育』が注目を集めているらしい。「ヌード画を隠すな」「本を、読んでよいものとわるいものに分けるな」という項目があるためだ。この部分、ちょっと引用してみよう。
 

23 ヌード画を隠すな

 わたくしの家庭では、妻や、母親は反対するが、わたくしは子どもたちの前でヌード写真の氾濫した雑誌を隠さぬことにしている。
(略)しょせん子どもたちは、いつかの時点でナマの裸を知り、裸の肉体の交渉がなんであるかを知らなくてはならない。それを不自然に隠すことのほうがどのように悪い想像力を育て、悪い衝動を子どもたちのなかに培うかわからない。
 

 確かにこれだけ読むと、規制賛成の態度と矛盾しているように見える。しかしこの項目で彼が子どもに見せるべきだと訴えているのは、美術全集に掲載されているようなヌード画、そして生身の女性のヌード写真だけである。次男・石原良純の著作『石原家の人びと』によれば、彼は息子たちが幼かった頃、顔を合わせるたびに「マンガを見るな」と小言を言っていたらしい。一方で、「外人ヌード写真トランプ」をプレゼントしてもらったとか。実は、大してブレていないのだ。
 

25 本を、読んでいいものとわるいものに分けるな

 活字というものは、そこに書かれた事物以外の想像力というものを人間に培ってくれる力を持っている。だから子どもがどんな本を読んでいようと、親は気にする必要はない。
(略)ある著名な心理学者は、たとえ猥本、春本であろうと、本ならば子どもに読ませてよいといっているが、活字が子どもに与えるものは、単に想像力だけではなく、子どもの将来に、どんなものをもたらすかは、想像しきれない。
 

 ここで彼が擁護しているのも、当然ながら「活字」限定。冒険小説、詩集、哲学書の類。我々にしてみればこの理屈でマンガも擁護されてしかるべきなのだが、幼少期~青年期に手塚治虫以降のマンガに出会っていないこの世代の人たちにとって、マンガは猥本、春本のさらに下なのだろう。一方で、いいことも言っている。
 

 5 母親は、家庭以外のことに興味があることを示すべきだ

 母親もまた一人の人間であり、一人のおとなである以上、夫や子ども、家庭の経営以外に家庭という場における彼女自身の人生を持っていいはずである。母親は、子どもたちが口ぐせに「ちょっと来て、ママ。」と言うたびに、いちいち微笑をもってふり返るかわりに、そのことを子どもたちに教える必要がある。
(略)
 たとえばあるとき、母親がほんとうに必要としている趣味、あるいは娯楽でもいい、そのために帰宅がおくれ、夫や子どもたちが食事をおくらせて待つ。あるいはそのために父と子だけが母を除いて、自分たちの夕餉をつくらざるをえない、というふうなことがあってしかるべきではないか。
(略)
 このようにすることによって、母親は、夫や子どもを離れた一人の女としての人格を、家庭生活の中で持てるはずであり、そして、それこそが子どもたちにも、親を離れて独立への自覚を与えるに違いない。そしてまた母親としてだけではなく、一人の人生の先輩としての敬意を母親に抱かせるに違いない。


 実際に彼の妻は子育て半ばの30代で慶応大学を受験して合格し、彼女自身の著作もものしているから、口先だけリベラルぶっているわけではなさそう。ほかに、「16 夫婦は、二人だけで外出すること」など、けっこう進歩的なことも言っているのである。母親という立場の女性がちょっと高級なランチをとっていたり、バリバリ仕事をしているだけで、「母親は子どもの幸福のみを追求するべきなのに、家事育児以外に喜びを見いだすとは何事か!自己犠牲していない!けしからん!」と怒り出す現代のオジサンより、よほど面倒がないかもしらん。高度成長期以降、「男の子はお勉強だけしていればいいのよぉ」と自己実現を息子に託すママに尽くされて育った世代と違って、母性幻想がないのが彼のいいところ。しかし「男の子を家事に参加させて、小さい人間にするな」とも言ってるわけで、男尊女卑なのは揺らぎがない。
 そんな提案をされても、ということも言っている。
 

32 母親は、子どものオチンチンの成長を讃えよ

 ある有名な性心理学者が、成長した息子がいくばくの仕事をなし終えた感謝をこめて、それまで自分を育ててくれた年老いた母の苦労への感謝を示す、いちばん思いやりのあるすべは、ひとりの男性として成熟した性器を、母親にふろ場ででもありのままに見せてやることだ、と言っていたが、この言葉には、確かに実感がある。
(略)
 自分の生んだ子どもが、たとえ性が異なろうと、成熟していく過程を、母親もまたその手で、たくましさを増していく子どもの部分に触れて確かめ、その成長を讃えてやるべきである。


 『石原家の人びと』によれば、このくだりのせいで石原良純は中学のサッカー部の合宿で大学生のコーチに「お母さんは成長を讃えているワケだ」と覗き込まれたりと、さんざんな目にあったらしい。デビュー作『太陽の季節』もペニスで障子破りのシーンばかりが有名だし、別の教育書『「父」なくして国立たず。』でも、「男がピアスをしているのを見ると嫌な気がする。女の装身具を男が身につけているのが何で男伊達なのだ。ピアスをつけるくらいならニューギニアの原住民のペニスサックの方がよほど男らしくていい」なんて言っているし、ペニスに対する執着がなんだかすごい。そもそも『スパルタ教育』の表紙からしてフルチンだし。

 しかしフルチン視点で今ひとたび石原慎太郎の差別を考えると、彼はわかりやすい保守に見えて、独特の基準で差別対象を選んでいることがわかる。同性愛者、ババア、1人しか子どもを生まない親、ロリコン・2次オタ、ニート、(前頭葉の退化した)老人。そしてシングルマザーや育児休暇を取得する男性首長、趣味にいそしむ専業主婦には意外にも寛大。つまるところ、“生殖”に寄与するかどうかが問題なのだ。だから「三次元の女はクソ!」と公言してはばからず、子どもを養わないマンガオタクなどは女以下の存在であり、「使命感を持って」一掃せねばならぬと考えるのだろう。そして子どもを増やして国力を増強し、他国と戦わなければならない、という対抗心が他民族への侮蔑を生む。それは少国民世代としてのオブセッションなのだろうか。
 それにしても最近の石原慎太郎のエンジンのかかり方は、どうしたことか。ひょっとすると、自慢のペニスも寄る年波に勝てず、自分自身がいよいよ生殖に寄与できない“弱者”に転落してしまうという恐れに直面しているのだろうか。そして最後っ屁として、彼を“閣下”と呼んであがめ奉っていたオタクたちに「男尊女卑は女よりも“尊”をやれない男に厳しい制度」ということを身を以て教えてやっているかも。そんなふうに考えたら、ちょっといい奴なんじゃないかと思えてくるから不思議。いみじくも「父に対するウラミをもたせろ」と『スパルタ教育』で明言しているように、ウラミを盛大に買って退陣してもらえたら、(股間の)ツン期間が半世紀というスパンが長すぎるツンデレ系高齢者として萌えてしまうかもしれない。我ながら最低。

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フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??

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堀越英美

1973年生まれ。早稲田大学文学部卒業。IT系企業勤務を経てライター。「ユリイカ文化系女子カタログ」などに執筆。共著に「ウェブログ入門」「リビドー・ガールズ」。

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