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ショッピングモールから考える

2016.02.11 公開 ポスト

第1回

なぜ、ショッピングモール「から」考えるのか?東浩紀/大山顕

ショッピングモールといえば、軽薄な「大衆消費」の象徴であり、これまで熱心に論じられてきませんでした。しかし、思想家の東浩紀さんとショッピングモールを写真に収めつづけてきた大山顕さんは、ショッピングモールにまったく違うものを見ています。ショッピングモールにある希望と可能性を話題の新書『ショッピングモールから考える』から抜粋してお届けします。

新しいコミュニティ、新しい開放性、新しい普遍性

東浩紀(以下、東) まずは、なぜショッピングモールをテーマにしようと思ったのか。一言で言うと、「新しい公共性を考えるため」です。

ではもう一歩踏み込んで、なぜ新しい公共性を考えるのかと問われれば、それは従来の「軽薄な消費者(=資本主義)」と「まじめな市民(=共同体主義)」という構図に限界を感じているからなんですね。資本主義とは切り離された「市民」なるものが現実に存在するのか。むしろ市場の軽薄さを前提に、それをどう公共性に結びつけていくのかを考えるべきではないのか。『一般意志2・0』(講談社)や『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン)での議論も、同じ問題意識から出発しています。

さらに平たく言うと、商店街の「顔が見える関係」が老人や障害者にやさしいと言われますよね。でも逆にそれは、子育て世代やニートにはキツい環境なのではないのか。そういう疑問が出発点にあります。ファミレスやコンビニ、ショッピングモールのような商業施設のほうがはるかに便利だろうと。これは実体験にも基づいています。

ぼくは娘が生まれた二〇〇五年頃、西荻窪というたいへん「意識の高い」街に住んでいました。妻と二人で暮らしているうちはとても快適だったのですが、子どもができたとたん、この街がとても厳しくなった。愛用していたおいしいお店や飲み屋は子連れだと厳しいと言われるし、狭い道に車やバスが往来していてベビーカーを引くのも危ない。そういうなかで、ショッピングモール的なものの公共性について考えるようになってきた。その結果として生まれたのが、『東京から考える』と、『思想地図β』vol・1(ゲンロン)です。大山さんとお会いしたのはこの頃ですね。『東京から考える』の刊行が二〇〇七年。大山さんと「建築夜学校」というイベントではじめてお会いしたのが二〇一〇年一〇月ですか。それから三ヶ月後に、『思想地図β』の創刊号でショッピングモールを特集しています。

社会思想の文脈でそのとき意識していたのは、二〇〇五年に出た三浦展さんの『下流社会』(光文社新書)と、毛利嘉孝さんの『ストリートの思想』(NHKブックス)です。三浦さんの整理では、地元の商店街がショッピングモールにされることが下流化の象徴ということになっている。けれど、そんな簡単な図式でいいのか。

また、毛利さんはこの本で、のちに高円寺の脱原発デモにつながるような政治の流れを紹介しています。一九九〇年代の「だめ連」、ゼロ年代の高円寺の「素人の乱」……といったような、ストリートを中心とした運動です。

三浦さんと毛利さんはまったく違ったタイプの書き手ですが、共通して、空調が効いたショッピングモールを批判し、猥雑な商店街あるいはストリートこそが本当の公共圏だと主張します。『ストリートの思想』では、若者たちが昼間から酒を飲んで語りあっている、そういうオープンなところが高円寺の魅力だと言う。でもそれって、本当はかなり威圧的ですよね。ひげ面の三、四〇代の男たちが日本酒を片手に安倍政権を批判しているのが、果たしてオープンと言えるのか(笑)。ひとくちに「開かれている」と言っても、若者に対して開かれていることと、高齢者に対して開かれていることは一致しないし、子どもがいるお母さんに開かれていることと、健常者の男性に開かれていることもまた全然違ってくる。

毛利さんの本では、セキュリティが働いておらず、ホームレスも受け入れられるような管理されていない空間こそがもっとも公共的なのだという議論ばかりがなされている。けれども、ぼくはそれこそ狭い見方だと思うんです。

ではショッピングモールにはどんな可能性があるのか。思想用語で整理すると、ポイントは三点かなと思います。「新しいコミュニティ」「新しい開放性」「新しい普遍性」です。

コミュニティについては、郊外やネットといった「現代的なコミュニティ」と、駅前商店街に代表されるようなおじいちゃん、おばあちゃんの「顔が見えるコミュニティ」との対立が重要です。コミュニティというと前者だけが問題視されるけど、それでいいのか。開放性については、監視カメラに囲まれ空調も整っている「セキュリティ」の空間と、だれも管理しておらずホームレスも入れるようなアナーキーな空間のどちらが本当に「開放的」なのか、あるいはだれにとって開放的なのかという問題。最後に普遍性というのは、グローバル化がつくり出した世界中でどこでも同じようなサービスが受けられる現状を、新しい普遍性として捉えられないかという論点。思えばショッピングモールというのは、人々が政治も文化も宗教も共有しないまま、互いに調和的に振る舞い、なにかを共有しているかのような気になれる空間です。

とはいえ、こういう話ばかりしていると抽象的な議論になってしまうので、今日はもっと具体的な話をしていこうと思います。まずは、ぼくが実際に見てきた印象深いショッピングモールを、写真を交えて紹介できれば。三浦さんや毛利さんは国内の空間を意識されているようですが、ぼくがショッピングモールについて考えるとまず思い浮かぶのは海外のモールです。ぼくは海外に行くとたいていショッピングモールを回るのですが、なかでも紹介したいのは、シンガポールのヴィヴォシティ、ドバイのドバイ・モール、ミネアポリスのモール・オブ・アメリカの三つです。

まずはシンガポールのヴィヴォシティ。ぼくはここを訪れたときに、じつはモールにこそ、土地のローカルなものが現れるのではないかと思ったんですね。

モールこそがローカル

[図版1]対岸のセントーサ島から望むヴィヴォシティ◦Wikipedia. the free encyclopedia:“VivoCity.JPG”,(Author:Terence Ong, CC-BY-2.5)URL=http://en.wikipedia.org/wiki/File:VivoCity.JPG

大山顕(以下、大山) 同感です。昨年(二〇一三年)夏、バンコクに海外旅行に行きました。たんなる観光旅行で、旅情的な写真もいろいろ撮ったんですが、結果的に一番面白かったのがモールだったんです。

これは速水健朗さんと対談したときに出た話なんですが、ファミリーレストランにはファミリーがいない。仕事中に休憩している営業マンとか、ダメ学生とか、打ち合わせ中の編集者みたいなひとばかり。ではファミリーはどこにいるのかと言えば、みんなフードコートに行く。ファミレスで小さい子が騒ぐと、「ほかのお客様のご迷惑になりますので」と怒られてしまう。それに対してフードコートだと、周りもお母さんだらけだし、隣にアンパンマンのデカい遊具があったりして子どもが騒いでも問題ない。ぼくには子どもはいませんが、母親が長年車椅子生活を送っていて、スロープやエレベーターがないところにはまず行けないので、このありがたさはよくわかる。

それとバンコクに行って驚いたのは、屋台の食事では意外と満足できなくて、モールに行ったら地元の料理が一番充実していたことです。いるのもみんな地元のひとで、食べ物も美味しい。

[図版2]ヴィヴォシティの入口。来場者を噴水が出迎える◦Wikipedia. the free encyclopedia:“VivoCity_Main_Entry. JPG”,(Author: Calvin Teo, CC-BY-SA- 3.0)URL=http://en.wikipedia.org/wiki/File:VivoCity_Main_Entry.jpg

 ヴィヴォシティはまさにそういうところです。シンガポールの本土の南にセントーサ島という観光地があって、本土からセントーサへつながるセントーサ・エキスプレスの駅舎がそのまま巨大モールになっている。

設計は伊東豊雄が手がけています。内装がよかったです。

ぼくが行ったのは二〇〇七年なんですが、シンガポールに行ってまずはインド人街やら中国人街やらマレー人街やらを回って、観光したりご飯を食べたりしました。観光ガイドでは「ホーカーズ」と呼ばれる屋台村で地元料理を食べるのが定番ということになっているのですが、実際に行ってみると観光客か老人しかいない。逆に最終日近くになってヴィヴォシティに行ったのですが、こここそ行くべき場所だったと思いました。

[図版3]屋上の「スカイパーク」。パブリックアートが点在し、プールも設けられている◦撮影―東浩紀

この写真(図版3)は屋上の子ども向けのスペース。こちら(図版4)に写っているのが「フードリパブリック」というフードコートです。内装はシンガポールの昔の屋台街を再現しています。地元のシンガポール人たちは、ホーカーズではなく、まさにこういうところでご飯を食べているんですね。これには衝撃を受けました。地元のひとたちの生活を見ようと思ったら、ホーカーズではなく、ショッピングモールに行くべきだったんです。東京にきて浅草に行っても東京の生活がないのと同じです。豊洲のららぽーとを見に行ったほうがいい。モールにこそ地方のリアリティがある。

[図版4]3階の「フードリパブリック」には、レトロな屋台を模した店舗が軒を連ねている◦撮影―東浩紀

大山 リアリティということに関しては、こんなに薄っぺらなものにリアリティだなんてとんでもないと言われます。しかしでは浅草は本物なのか。

 歴史的保存地区になっている段階で、すでに本物ではなくなっていますよね。

大山 東さんに聞いてみたいと思っていたのが、「本物」ということについてなんです。

たとえば、大阪城の天守閣。よくキッチュだと言われており、がっかりしたという声が絶えないのですが、じつは大阪城の歴史をくと、いまの天守閣が一番歴史が長いんです。一九三一年に竣工して、すでに八〇年以上経過している。豊臣、徳川時代にはしょっちゅう焼け落ちていて、何度もその当時のテクノロジーで再建されてきた。それが昭和に入って、その当時の一番合理的なやり方で再建されているので、コンクリートづくりになっているわけです。でもそれこそが正統なのかもしれない。ショッピングモールも、あと二〇年もすれば正統なものになるのではないか。ヴィヴォシティはできて何年くらいでしょう。

 二〇〇六年オープンなので、今年(二〇一四年)で九年目ですね。

大山 なるほど。たとえば、日本最初のショッピングモールのひとつである玉川タカシマヤは一九六九年にオープンしているので、開業から四〇年以上が経過しています。こうなってくると、へたな商店街よりも古い。つまりこちらのほうが正統だ、と言えてしまう。

 まさにぼくたちはそういう感覚を持ってますね。

 

……
『ショッピングモールから考える』目次

まえがき 大山顕 
まえがき追記 大山顕 

第1章 なぜショッピングモールなのか? 
新しいコミュニティ、新しい開放性、新しい普遍性 
モールこそがローカル 
統一された文法 
都市はグラフィックにすぎない 
ショッピングモーライゼーション 
ジョン・ジャーディの仕事 
瓦礫で回復するJヴィレッジ 
個人商店に未来はあるのか? 
ショッピングモールと物語 

第2章 内と外が逆転した新たなユートピア
モールの本質は内装である 
首都高でワープする 
空港とモールの融合 
ディズニーランドのモール性 
東京にはストリートがない 
ビルの屋上は大地だった 
地方はバックヤード? 
「バックヤードからの視線が痛い」 
ショッピングモールとマイルドヤンキー 
モールは曲線でできている 

第3章 バックヤード・テーマパーク・未来都市 
とにかくデカいディズニーワールド 
あらゆるものがディズニーになる 
ディズニーワールドは空港から始まる 
指紋認証の電子チケット 
ニューヨーク万博とディズニーの思想 
技術がディズニーに追いついた 
モールと百貨店の違い 
ショッピングモール・イスラム起源説 
ショッピングモールを批評する 
ストリートコンセプトと田んぼコンセプト 
3月11日の経験から 
ストリートと田んぼの文明論 
東アジアにショッピングモールは必要か? 
カリフォルニアの思想 
居心地のよさをどう引き受けるか 
コンパクトシティはモールとして実現する 
写真は寝かせておく 
「あえて本物にならない」 
イスラム世界からスペインへ、そしてカリフォルニアへ 

付章 庭・オアシス・ユートピア(ゲスト:石川初)
部材としての植物 
ショッピングモール・聖書起源説 
オアシス構造と焼畑構造 
ショッピングモールはエデンを創る実験 
世界一周モールツアー 
「モールテック」を開発しよう 

あとがき 大山顕 
あとがき 東浩紀 
ゲンロン版あとがき 東浩紀 
 

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東浩紀

一九七一年東京都生まれ。作家、思想家。株式会社ゲンロン代表取締役。『思想地図β』編集長。東京大学教養学部教養学科卒、同大学院総合文化研究科博士課程修了。一九九三年「ソルジェニーツィン試論」で批評家としてデビュー。一九九九年『存在論的、郵便的』(新潮社)で第二十一回サントリー学芸賞、二〇一〇年『クォンタム・ファミリーズ』(河出文庫)で第二十三回三島由紀夫賞を受賞。他の著書に『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』(以上、講談社現代新書)、『一般意志2.0』(講談社)、「東浩紀アーカイブス」(河出文庫)、『クリュセの魚』(河出書房新社)、『セカイからもっと近くに』(東京創元社)など多数。また、自らが発行人となって『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』『福島第一観光地化計画』「ゲンロン」(以上、ゲンロン)なども刊行。

大山顕

一九七二年埼玉県生まれ。フォトグラファー、ライター。千葉大学工学部修士課程修了。松下電器産業(現・パナソニック)シンクタンク部門に十年間勤務後、独立してフリーに。「工場萌え」「土木萌え」などの火付け役として知られる。土木構造物の撮影を中心に、イベント・ツアー企画なども行う。著書に、二〇〇七年『工場萌え』(東京書籍)、『ジャンクション』(メディアファクトリー)、二〇〇八年『団地の見究』(東京書籍)、二〇〇九年『高架下建築』(洋泉社)など。

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