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わたしが挫折したときのこと

2016.02.29 公開 ポスト

第6回 生物学者・長沼毅(後編)

生命40億年の歴史を振り返れば、
「挫折」は進化の発端長沼毅

  42歳の厄年に味わった挫折経験を通して、「無理をしない生き方」を身につけた長沼先生。老いを意識する年齢になり、ますます「プチ挫折」の連続だそうですが、「挫折は慣れれば大丈夫」とおっしゃいます。
 ところで、そもそも「生物」にとって挫折とは何なのでしょうか? ご専門の生物学の立場から、「死」や「進化」についてお話をうかがいます。
                       (構成・岡田仁志 写真・菊岡俊子)


◆「最後まで粘れ」派でも「諦めが肝心」派でも、どっちでもいい

──人間は挫折に対して強い人も弱い人もいますが、生物はどうなんでしょう。それぞれの個体はみんな死を迎えますが、地球上の生命は40億年ずっと絶えることなく続いてますよね。

長沼 生命の総体は強いですよね。古生代、中生代、新生代といった「代」の変わり目には環境の激変による大量絶滅があって、つながってきた生命の糸が切れかかったこともあるけれど、また糸が太くなって続いてきた。そこには幸運な要素もあったでしょうが、基本的には強いと思います。
 でも、個体レベルではどうでしょうね。なかには、餌がなくなって弱ってきたときに悪あがきせず、まるで悟ったかのようにあっさり死んでしまう生物もいるんです。諦めが早い。

──潔いといえば潔いですね。

長沼 良く言えばそうなんですけどね。ちなみに私が卒業した筑波大学の校章は、桐の葉をあしらったものなんですよ。調べてみたら、桐は秋になるとほかのどの木よりも早く落葉するんですって。だから潔さの象徴だというんだけど、それで本当にいいのか(笑)。最後まで粘れよ、と思わなくもない。

──そういう種が絶滅せずに生き残っているということは、悪あがきしないことにも進化的なメリットがあったということですか?

長沼 生物の形質は、すべてが環境への適応とは言えないので、必ずしもそうとは言えないですね。
 たとえばカブトムシの角はいろんな形をしてますけど、それぞれに意味があるわけではありません。環境にとって「どうでもいい」ことだから、さまざまな変異体がそのまま生き残ってるわけ。個体が死に対して悪あがきするかどうかも、たぶん、どちらでもいいんじゃないですかね。

──だとすると、生物にとっては、諦めが早かろうが悪あがきしようが、そんなに重要な問題ではないということですね。人間はどうなんでしょう。挫折体験に対しては、やはり早く諦めて無理しないほうがいい?

長沼 「最後まで粘れ」という人もいれば、「人間は諦めが肝心だ」という人もいますよね。みんなそれぞれの成功体験に基づくポリシーがあるんだろうけど、どちらもそれなりに説得力があるということは、やっぱりどっちでもいいんじゃないかな(笑)。
 私自身、その判断はケース・バイ・ケースです。たとえば実験でも、「うまくいきそうもないから、さっさと引き揚げよう」とあっさり撤退することもあれば、「とにかく最後まで粘ってみよう」と悪あがきすることもある。その場その場の環境や自分の調子によって決まるだけで、とくに「こうすべし」というポリシーはないですね。

──死についてはどうお考えですか。誰にとっても避けられないものなので、挫折と呼べるかどうかわかりませんが。

長沼 ある意味では個体にとって最大の挫折でしょうね。とくに交通事故や自然災害で命を奪われるのは本当に気の毒だし、誰にとっても受け入れがたい挫折だと思います。ただ、最終的には「どうせみんな死ぬんだ」という開き直りも必要じゃないかな。がんと最後まで戦う人もいますけどね。

──まさに「戦え派」と「諦め派」が両方あるのが、がんの問題です。

長沼 もちろん治療可能ながんもあるので一概には言えませんが、最後は絶対に負けるんですよ。だから、「がんとの共存」なんて究極的には無理。むしろ私は、死期がわかる末期がんは、神様が与えてくれたギフトだと思ってますよ。苦痛はモルヒネで取り除けるし、早めに「さようなら」も言えるじゃないですか。
 みんないつかは死ぬんだから、寿命の長さを競争しても仕方がない。「短くても太く生きればいい」とか言う人もいるけど、人生の太さなんて測れないですよね。定量的に測れないものを測って優劣競争をするなんて、何の意味もないですよ。

◆自分なんて小さな存在。しょせん「世界」にはかなわない

──死の前に、「老い」に対して悪あがきする人も多いですよね。

長沼 老いると、プチ挫折が増えます(笑)。私も最近、忘れ物が多い。朝起きたときは「今日はアレがあるからコレを持っていこう」と思ってるんだけど、玄関を出て階段を下りたところで忘れたことに気づくのね。でも、また階段を昇るのが面倒臭いから「もういいや」と諦める。そんなことのくり返しですよ。

──そこは悪あがきしないんですね(笑)。

長沼 あと、どんどん不器用になりますよね。朝、玉子かけご飯を作るときも、昔は片手で華麗に割るのが得意だったんだけど、今は下手になってるから、両手で慎重に割るんです。それでも失敗するんだこれが(笑)。
 食べ物もやたらとこぼすから、このあいだエプロンを買ったんですよ。でも最近のエプロンって、仕組みがややこしいのね。腕を通すのが難しくて、こっちは五十肩だから辛いわけ(笑)。だから自分でチョキチョキ切って、使いやすいように縫い直そうとするんだけど、こんどは老眼で針に糸が通せない。

──プチ挫折の連鎖ですね。

長沼 そんな調子だから、がんになっても安らかに死ねるかどうかわかんないですよね。医者がモルヒネの量を間違えて「なんでやねん! 効かないやんか!」と痛いまま死んでいく。ドキュメンタリー映画なら、「それが長沼にとって人生最後の挫折であった」というナレーションが入るだろうね。

──結局、最後はちょっと悪あがきするんですね。

長沼 まあ、それが人間らしくていいんじゃないですか。朦朧とする意識の中で「みんな、ありがとう。さようなら」なんて言いながら死ぬのは、何だか美しすぎて自分らしくない気もするし。そんな台詞を吐いてしまうことのほうが、挫折かもしれない。
死に方なんて、自分では選べませんからね。交通事故か何かで「なんで俺がこんな目に遭うんだよ! ムカつくわー」とクダ巻ながら死ぬかもしれない。

──『辺境生物はすごい!』にも、「世界にはかなわない」という印象的な言葉があります。生物の進化が「環境圧」によってもたらされたのと同じように、人間の生き方も「外圧」に左右される部分が大きいというお話でした。

長沼 そうなんですよ。挫折の原因を外部に求めるのはよくないけれど、何でも自分で決められるわけはないんだから、それを受け入れて生きていくしかない。しかも、生物の進化は遺伝子のミスコピーから始まりますからね。いわば挫折が進化の発端。たまたま長い首で生まれちゃったキリンは、相当な挫折感を味わったと思いますよ。

──まわりの仲間から見れば、ハンディキャップの持ち主ですからね。

長沼 そうそう。でも、その特徴を外部環境に合わせることができたから、生き残って子孫を残すことができた。逆に、環境に合わせられずに死んでいった変異体も無数にあるはずです。ミスコピーという挫折を次に活かせるかどうかは、周囲の環境次第なんですね。その環境に合わせて生きるように悪あがきすることも必要だけど、合わせられる環境がなければどうにもならない。
 私たち人間は、つい世界が自分を中心に回っていると思いがちだけど、これは大いなる錯覚です。「世界」は「自分」よりも圧倒的に大きいんです。その意味で世界にはかなわないのだから、思いどおりに物事が進まないのは当たり前。いつか環境が変われば、挫折経験が活かせるようになることもあるでしょう。壁に突き当たっても、風向きや星のめぐりが変わるのをじっと待てばいいんですよ。

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長沼毅

1961年生まれ。筑波大学大学院生物科学研究科卒業。現在、広島大学准教授。 専門は、生物海洋学、微生物生態学、極地・辺境等の過酷環境に生存する生物の探索調査。 酒ビン片手に、南極・北極から、火山、砂漠、深海、地底など、地球の辺境を放浪する、自称「吟遊科学者」。学名:カガクカイ・インディ・ジョーンズ・モドキ、あるいは、ホモ・エブリウス(Homo ebrius)「酔っ払ったヒト」。好きな言葉は「酔生夢死」。 Naganuma WEB http://home.hiroshima-u.ac.jp/hubol/members/naganuma/ Twitter @naganumatakeshi http://twitter.com/naganumatakeshi

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