「どうしても伝えたい」
裁判所の傍聴席で日々取材する記者が、強く心に残った裁判の模様を綴る、朝日新聞デジタルの連載「きょうも傍聴席にいます」。
新聞では報じられないような小さな事件の驚きの背景、秘められた被告の思い――。
「泣いた」「他人事ではない」と毎回多くの反響が寄せられる人気連載をまとめた書籍『母さんごめん、もう無理だ~きょうも傍聴席にいます~』が、発売になりました。
記者が見つめた法廷の人間ドラマ29編のなかから3編をお届けする、3回連載の第2回です。
(文中に登場する人物の名前は仮名、また年齢は公判当時のものです)
* * *
「おかあと結婚する」。5歳の息子は、口癖のように繰り返した。こっそりと用意したランドセル。背負ったら、どんなに喜ぶことだろう――。なのに母親は、その姿に接することもなく、息子に家庭用のごみ袋をかぶせ、命を奪ってしまった。
9月25日午前10時、東京地裁の715号法廷。傷害致死罪に問われた原千枝子被告(42)の姿があった。
裁判員裁判での審理。初公判の傍聴席は、ほぼ満席だ。
被告「私がしたことで……忠志が亡くなったことに間違いありません」
黒のカーディガンとパンツ姿。消え入りそうな声で起訴内容を認めた。
検察側の冒頭陳述や弁護側の主張に基づく事件の構図は、こうだ。
原被告は東京・目黒の自宅で、夫と4人の子ども6人で暮らしていた。
昨年(2012年)9月1日。土曜の夜だった。子どもたちが、遊んだおもちゃを片づけない。原被告はしかった。家庭用ゲーム機「ニンテンドーDS」などを取り上げて、ごみ袋に入れた。
明日は日曜だから、ゆっくりと眠りたい。そう考えていた原被告は、午前0時ごろ、睡眠剤1錠と焼酎の水割りを1杯飲んだ。朝までに二度、目が覚め、そのたびに睡眠剤を重ねて飲んだ。起きたのは、翌2日の午前11時ごろだった。
三男の忠志君は、もう起きていた。「おかあ、DS」。そう口にした忠志君に、怒りと情けなさがこみ上げてきた。「思いが伝わってない」
忠志君は、保育園に通う活発な男の子だった。我を通す性格で、原被告はかわいがりつつも、普段からしつけに悩んでいた。
「やりたいことだけをやって生活することはできない。そのことを伝えたい」と原被告は考えた。
「息をするのと、DSやるの、どっちがいい?」
忠志君にただした。
生きるうえで、息をすることは不可欠。遊ぶことよりも大切なはずだ――。そんな考えが頭をめぐり、こんな問いが口を突いて出たのだという。
だが、忠志君は答えた。
「DSするほうがいい」
原被告は、忠志君の手足をビニールひもで縛ったうえ、目や口に粘着テープを貼った。そして、ごみ袋を、頭からと足から、2枚かぶせて、粘着テープでつなぎあわせた。
「謝れば、すべて取るつもりだった」。しかし、昨夜から服用した計3錠の睡眠剤が効き、再び眠ってしまった。
午後0時15分ごろ、夫が異変に気づいた。忠志君をごみ袋から出したが、意識はない。119番通報。眠っていた原被告は、夫に突き飛ばされて、やっと目を覚ました。
3日後、忠志君は低酸素脳症で死亡した。
なぜ、睡眠剤を飲むようになったのか。
原被告は税理士の資格を持ち、夫が経営する会社で事務を担当していた。
その夫が昨年5月、精神面で調子を崩した。原被告も、仕事や子育てで疲れを感じるようになっていた。寝付きが悪くなり、夫に処方されていた睡眠剤を、勝手に飲み出した。
被告人質問。
被告「事件直前の数日間はきつかった。毎晩1錠ずつ飲んでいました」「月末の会社の繁忙期を何とか乗り越えたが、気持ち的にも、体力的にも、つらい時期だった。睡眠を長く取りたかった」
一晩に3錠の睡眠剤の服用は、規定を超える量だった。原被告は犯行当時、アルコールと睡眠剤による急性中毒に陥り、意識障害を起こしていた。精神鑑定は、そう結論づけていた。
「薬とアルコールを一緒に飲まないでください。この事件は、ほぼ間違いなく防げた事
件です」
弁護側の求めで精神鑑定を行った精神科医は、法廷で裁判員らに訴えた。
精神科医「被告は、行動にブレーキがかからなかったり、自分の意思から離れた行動を取ったりするなど、異常な状態だったと強く推認される」
弁護人「犯行時の記憶はありますか」
被告「断片的にしかありません」
事件後に警察署で聴取を受けた際、当初は自分が容疑者だとは認識できなかった、とも語った。
弁護人「自分が加害者だと知ったときは?」
被告「ショックで……。そのときは、とにかく忠志がどうなっているのか、一番気になっていました」
法廷で、忠志君への思いを質問されるたび、涙で声にならなかった。
毎晩、手をつないで寝ていたこと。その手の感触、笑った顔。そして、「おかあと結婚する」と言ってくれていたこと。小学校入学に備えて買った、青いランドセル。
被告「私の太陽でした」
弁護人「1年以上の留置や拘置だったが、何を考えていましたか」
被告「自分と引き換えに、忠志に全部を返してあげたい。そう思いましたし……。忠志に会いたくて、たまらなかったです」
うつむいて鼻をすする。手にしたハンカチを、いっそう強く握りしめた。おえつが漏れる。
被告「私は加害者ですが、忠志の母親でしたので……。本当なら犯人を、誰よりも憎い。忠志を返せって、ずっと自分に言ってます」
忠志君の葬儀は、昨年9月下旬に営まれた。原被告は、検察側が求めた精神鑑定のために身柄を拘束されていたが、一時的に解かれ、参列が許された。
弁護側によると、夫はいまも週に2回、拘置所に欠かさず面会に訪れている。
弁護人「(事件後に)生きていけますか。もし社会に出ることができたら、自分で自分を守っていく覚悟がありますか」
被告「それをしないと忠志の命が……。3人の子どもたちにも顔向けできないと思っています」
最後に検察官が、犯行の原因を問いただした。
検察官「まさか、すべてを睡眠剤のせいにしていないですよね」
被告「気のゆるみ、甘えがあった。主人にも、子どもに対しても。これだけやってあげてるじゃないかと。私が変わらなければいけないと思います」
検察官は9月30日、「重い意識障害の状態だったが、犯行を引き起こしたのはほかな
らぬ被告自身だ」として、懲役4年を求刑した。
弁護側は「反省している強い気持ちは明らか。家族らは一日も早い被告の帰りを待っ
ている」と、執行猶予を求めた。
判決は10月3日に言い渡される。
*追記 東京地裁は懲役3年、保護観察付き執行猶予5年の判決を言い渡し、確定した。
(佐々木隆広)
* * *
◆第3回は3月17日(木)に掲載予定です。
◆「きょうも傍聴席にいます。」は、朝日新聞デジタル版で連載中です。最新記事はこちらから。
母さんごめん、もう無理だ~きょうも傍聴席にいます~
生涯の愛を誓った夫の浮気を知って。老老介護の果てに。育児に悩み……。法廷はまさに人生と世相の縮図。裁判所の傍聴席で日々取材をする記者が、強く心に残る事件を綴る。心揺さぶる29編。