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日本の歴史はエロだらけ

2016.04.09 公開 ポスト

女性用おもちゃは奈良時代からある下川耿史

古来、日本人は性をおおらかに楽しんできました。歴史をひもとけば、国が生まれたのは神様の性交の結果で(そしてそれは後背位でした)、奈良時代の女帝は秘具を詰まらせて崩御。豊臣秀吉が遊郭を作り、日露戦争では官製エロ写真が配られていたのです。――幻冬舎新書『エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話』(下川耿史・著)では、歴史を彩るこうしたHな話を丹念に蒐集し、性の通史としていたって真面目に論じてゆきます。

今回は第2章「歴史の始まりとエロ 飛鳥~奈良時代」より、第5話「性の秘具が詰まった女帝」の一部を試し読みとしてお楽しみください。性を謳歌しすぎて大変なことになった高貴なお方のエピソードです。

第5話 性の秘具が詰まった女帝

女性用おもちゃは奈良時代からある

いわゆる秘具はエロの歴史の脇役として欠かせないものである。それらは日本ではいつ頃、登場したのだろう?

『阿奈遠加志』(『阿奈遠可之』とも書く)は江戸時代の「三大奇書」の一つに挙げられている性風俗の資料だが、その中で「をはしがた」(女性用の秘具、張り形のこと)の由来が述べられている(一部、かなを漢字に変更した)。

「をはしがたとて、玉茎の形をまねび作ることは、いと神つ代よりのわざにて、石にても木にても造る。もとは神わざにのみ用いられしを、奈良の京になりて、高麗百済の手部(工人)どもが呉(222年~280年。中国の三国時代の王朝)より多くひさぎい出す水牛といふものの角をして造り始めたるは、様形きわめて見目麗しく、綿を湯にひでて(ひたして)、その角の空ほなるところに指し入るれば、温かに肥えふくだみて(ふくらんで)、まことのものと何ばかりのけじめなきを、宮仕えの女房たちなど、男もすといふかはつるみ(手淫)といふことを、女もしてみんとて、やがてその具にばかり用ひ給いしなり」

中国では7000年~8000年前から水牛が家畜として飼われていたといわれている。呉の時代にその角が張り形として利用されるようになり、それが奈良時代に日本に伝えられたというわけである。ちなみに水牛の角は内側が空洞になっており、そこにお湯につけた綿を入れると、べっ甲や象牙細工のように柔らかくなって、ちょうど勃起したペニス並みになるという。

道鏡の巨根では物足りなくなった称徳天皇

秘具が奈良時代に始まるという伝承はほかにもある。それはエロの歴史では有名人の一人である弓削道鏡にまつわる話である。道鏡といえば「道鏡は すわるとひざが 三つでき」などの川柳で知られるように、もっぱら巨根の代名詞としてその名を留めている。「すわるとひざが 三つでき」というのは、彼が正座すると両膝の真ん中に、膝と同じ大きさのペニスがあるという意である。

761(天平宝字5)年、道鏡が病気の孝謙上皇(後の称徳天皇)を看病して以来、寵愛を受けるようになったことは明らかで、2年後の763(天平宝字7)年には少僧都に任じられ、764(天平宝字8)年、太政大臣に昇進、そして翌年には法皇にまで上り詰めた。この出世ぶりをなぞっても、孝謙上皇がいかに道鏡の虜になっていたかが想像される。それだけにその寵愛の内容について、後世の人々はさまざまな想像をもて遊ぶことになった。

そのいくつかの例を紹介すると、平安時代の11世紀後半から12世紀に成立したとされる『日本紀略』前編十二には770(宝亀元)年8月のできごととして、次のような記述が見えている。

「孝謙上皇(当時は称徳天皇)は道鏡を愛し、道鏡の出身地である河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)に由義宮という離宮を設けた。道鏡は天皇の性的な快楽のために雑物を勧めたが、これが抜けなくなって体調不良となり、100日以上が経った。医薬も効果がなく、いよいよ命が危険になった時、1人の尼が進み出て、梓木で割ばしのようなものを造り、これに油を塗って挟んで取り出した。これによって天皇の命は助かったが、藤原百川ももかわが尼を追放、このため天皇は8月4日に亡くなった」

文中、「雑物」とあるのが秘具で、これが日本初の秘具の記録とされている。では「雑物」とは何だったのか? その疑問に答えているのが鎌倉時代初期の1212(建暦2)年頃に成立した『古事談』で、冒頭に「女帝とヤマイモ」の話が採られている。『日本紀略』の記述とは細部でかなりな違いがあるが、関わりのある部分を引用すると、

「称徳天皇は道鏡の陰(ペニス)をなお不足におぼし召されて、ヤマイモを以て陰形を作り、これを用いていたところ、折れて中に詰まってしまった。そのために(陰部が)腫れ塞がって一大事になった時、小手の尼(百済の医師。その手は幼児のもののようだった)が診察していうには、“帝の病いは治るでしょう、手に油を塗って、これを抜き取ろうと思います”と。その瞬間、藤原百川が“この女は霊狐である”といって、剣を抜き、尼の肩を切り裂いた。このため帝の病気は癒ゆることなく、なくなった」

となっている。それによれば日本初の秘具はヤマイモをペニスの形に細工した張り形だったというわけである。『日本紀略』と『古事談』の記述の違いはほかにもあり、第1に『日本紀略』では道鏡が女帝に「雑物」の使用を勧めたのはより深い性の快楽を得るためとされているのに対して、『古事談』の場合、「道鏡のペニスではなお不満に感じて……」とされている。道鏡は「すわるとひざが 三つでき」といわれるほどの巨根であったが、女帝は慣れてしまえば、それでも不満だったと、『古事談』の編者の源顕兼は見立てたのである。

第2点は前者は、尼さんが割ばしのようなものに油を塗り、それで引き出そうとしたと「推測」したのに対し、後者はもともと小さな手の女性が引き出そうとしたとしている点である。そして最後に、前者では女帝はいったん回復したものの、藤原百川が尼を追放したため天皇は8月4日に亡くなったとあるが、後者の場合、尼が女帝の陰部に挟まっている異物を引き出そうとした瞬間、百川が尼の肩に切りつけたと記されている。これでは異物を取り出すことができず、それが原因で女帝はなくなったという。

関連書籍

下川耿史『エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話』

日本の歴史にはエロが溢れている。国が生まれたのは神様の性交の結果で(そしてそれは後背位だった)、 奈良時代の女帝は秘具を詰まらせて亡くなった。 豊臣秀吉が遊郭を作り、日露戦争では官製エロ写真が配られた。 ――本書ではこの国の歴史を彩るHな話を丹念に蒐集し、性の通史としていたって真面目に論じてゆく。 「鳥居は女の大股開き」「秘具の通販は江戸時代からあった」など驚きの説が明かされ、 性を謳歌し続けてきたニッポン民族の本質が丸裸になる!

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日本の歴史はエロだらけ

乱交、夜這い、混浴、春画、秘具……。イザナギの時代から昭和ごろまで、日本の歴史に散らばるHなエピソードを蒐集した新書『エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話』(下川耿史・著)。ここでは内容の紹介や無料での試し読みをお届けします。

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下川耿史

1942年、福岡県生まれ。著述家、風俗史家。著書に『日本残酷写真史』『盆踊り 乱交の民俗学』(ともに作品社)、『混浴と日本史』、林宏樹との共著『遊郭をみる』(ともに筑摩書房)、『死体と戦争』『日本エロ写真史』(ともにちくま文庫)、編著に『性風俗史年表(明治編/大正・昭和戦前編/昭和戦後編)』(河出書房新社)ほか多数。

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