2014年、スーパーの棚からバターが消えました。今もなお、「バターは一人一つ」などの対応が続いています。なぜバター不足が続いているのでしょうか。農水省は、その理由を「生乳の生産量が減少したから」だと説明しました。しかし、それはうわべの事情にすぎない、と元農水省の官僚で農政アナリストの山下一仁氏は指摘します。バターが買えないのは、一時的な事情ではなく、構造的に抱える問題があることを3月30日に発売された新書『バターが買えない不都合な真実』で明らかにしました。本書から一部を抜粋して、酪農をめぐる利益構造と既得権益者たちの思惑に迫ります。
◆謎解きのあらまし
なぜバターが不足するのだろうか? もちろん、5分間で答えを語ることは難しい。しかし、ステップを踏むことにより、バター不足の謎が分かるようになるだろう。ここでは、そのアウトラインを書いておこう。
まず、第一に、牛乳・乳製品というものが、他の農産物や食品と異なる、極めて特殊な産品だということを理解しなければならない。牛乳と、バターなどの乳製品の市場は、独立のものではなく、相互に密接に関連しているのだ。この産品特有の事情を知ることが、バター不足の秘密を解き明かす、最初のステップになる。
第二に、酪農が、農政の介入によって歪められてしまっていることである。特に、米価で米農業を保護しようとしたように、いかに乳価を上げるか、下げないかが、酪農政策の中心となってきた。乳価に悪影響を与えるような政策はタブーである。この固定観念に、農林水産省はとらわれてしまった。
米や酪農に限らず、高い価格で農業を保護することが、我が国の農政の基本である。その国内価格を維持するためには、高い関税が必要である。これが、我が国のTPP交渉の対処方針となったことは、記憶に新しい。消費税の軽減税率を強硬に主張する政党を含め、与野党問わずほとんどすべての政党や政治家が、消費者に高い負担を強いる農産物関税を維持することが国益だと叫んだ。
第三に、前のポイントと関連するが、日本の農業政策の特殊性である。アメリカは60年も前から、ヨーロッパは20年以上も前から、価格で農業を保護するというやり方を、財政が直接支払いで保護するという方法に変えている。これだと国内価格を低くすることができるので、高い関税も要らない。通商交渉で農業が障害になることはない。
ヨーロッパ、EUが高い価格で農業を保護していたときには、生産が拡大し、農産物の過剰が生じた。EUは、過剰農産物に輸出補助金を付けて国際市場でダンピング輸出した。このため、輸出国であるアメリカとの間で貿易紛争が絶えず、両者は、80年代し烈な農業交渉を行っていた。アメリカのイニシャティブで1986年に始まり、7年間もかけてようやく93年に妥結した、ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉は、この輸出補助金を規制することが、大きな狙いだった。しかも、交渉期間中、輸出補助金は、争われ続けた。しかし、EUが直接支払いへと政策転換を行った後は、農産物について、このような貿易紛争は生じなくなっている。価格が下がれば、生産が減少する一方で需要が増えるので、過剰が減少し、輸出補助金を出して処理しなくても済む。
日本の国内市場が人口減少で縮小する中、農業も工業も、TPP交渉で相手国の関税を引き下げて、海外市場に活路を求める必要があった。それにもかかわらず、日本が農産品で関税維持を主張したために、日本車にかけられている2・5%のアメリカの自動車関税を撤廃することすら、TPPが発効してから25年後という気の遠くなるような先のこととなってしまった。米韓自由貿易協定によって、韓国車には2017年から関税がかからなくなるのに、アメリカ市場で競争条件に差がついてしまうことになった。
たかだか飲食料品の消費税を2%軽減することに真剣な議論をして、他方で国内の高い価格を守るため、100%もの関税をかけて、輸入食料品価格を倍以上も引き上げることが国益だという政治センスには、首を傾げるしかない。小麦を例にとると、輸入小麦はキログラム当たり35円、これに農林水産省がマークアップ(輸入課徴金)と言われる関税のようなもの、22円を課して、57円として製粉会社に売り渡す。軽減税率は、これにかかる10%、6円の消費税を1円まけて5円にしようというのである。関税もどきを22円取られている消費者に対して、1円の消費税の減額を感謝しろと言うのが、消費者を保護することになるのだろうか。
高い価格や関税で農業を保護するというやり方は、貧しい消費者に多くの負担をかける逆進性そのものである。小麦価格が高いので、消費者は高いパン、うどん、ラーメン、スパゲッティを食べている。これをアメリカやEUのような直接支払いに転換すれば、輸入食料を含めて、消費者の負担は大幅に軽減される。
しかし、世界の農政の潮流に背を向けてまでも、我が国の農政は、なぜ高い価格、高い関税に固執するのだろうか? 保護する方法は、高い米価や乳価だけではない。アメリカやヨーロッパが高い価格や関税で保護するのではなく、直接支払いという保護の仕方に転換しているのに、なぜ日本ではできないのだろうか? そこにどのような利益、利権が隠されているのだろうか? 理由は、いたって簡単である。アメリカやヨーロッパになくて、日本にあるものがあるからである。
このようなシンプルで素朴な疑問を発することは、極めて重要である。これができないので、専門家に簡単に騙されてしまうのである。子供のように、権威を恐れない、曇りのない目で見れば、「王様は裸だ」ということが、分かるはずだ。
以上を理解すれば、「なぜ世界で余っているバターが、日本に輸入されないのか? これだけ国民・消費者から困っているという声が発せられているにもかかわらず、なぜバターは十分に供給されないのだろうか?」という疑問に対する答えが得られるだろう。また、酪農村の専門家に騙されないような知識を得ることも可能となるだろう。
*謎解きの結果は、『バターが買えない不都合な真実』で明らかにされています。下記の目次も参考にしつつ、ぜひお手にとってご覧ください。
目次
◆はじめに
第1章 消えたバターについての酪農村の主張
◆ある新聞記事への疑問
◆所得減少による離農がバター不足の原因?
◆酪農と牛肉の関係
◆好調な酪農経営
◆大手スーパーが悪者か?
◆農業保護は不十分なのか?
◆謎解きのあらまし
第2章 日本の酪農とアメリカの切れない関係
◆生乳を作る乳牛
◆酪農とエサ
◆アメリカの陰謀?
◆アメリカの倍もする日本のエサ
◆エサ米振興のワナ
◆生乳生産
◆なぜ酪農は規模拡大したのか?
◆酪農の発展と地理的な特徴
第3章 牛乳・乳製品は不思議な食品
◆牛乳
◆乳製品の種類
◆牛乳・乳製品の貿易・自給率
◆牛乳・乳製品業界が起こした事件
◆牛乳・乳製品の特質
第4章 複雑な酪農事情と政策の歴史
◆大きな農業政策のうねり
◆地主と小作の対立
◆農地改革
◆農業は援助者から被援助者へ
◆農業擁護論の欺瞞
◆弱者を利用した要求
◆農業保護のウラの事情
◆酪農政策の始まりと乳価紛争
◆酪農振興
◆激しい乳価紛争
◆酪農と乳業の複雑な関係
◆本格的な酪農振興
◆不足払い法の意図と効果
◆飲用向け乳価交渉の変化
◆学校給食用牛乳供給事業の裏側
◆不足払い制度の成果と改正
◆不足払いと各種の価格支持政策の比較
◆米の不経済学と牛乳の経済学
◆酪農だけの指定団体制度
◆用途別乳価がなぜ可能になるのか?
◆米で用途別取引が可能となる理由──汚染米事件の本質
◆生乳の用途別取引の背後に何があるのか?
◆指定団体制度は機能しているのか?
第5章 乳製品の輸入制度はこうしてできあがった
◆農産物12品目問題
◆日本の農産物関税システムの成り立ち
◆ウルグァイ・ラウンドで得をした乳製品
◆乳製品の国家貿易はなぜ維持できたか?
◆意外な乳製品の関税化
◆TPP交渉
第6章 さあ、謎解きです──バターが消えた本当の理由
◆メディアが犯したバター不足分析の間違い
◆バター不足における生乳と脱脂粉乳の関係
◆なぜバターは輸入されないのか?
◆バター不足と自民党政権
第7章 日本の酪農に明日はあるか?
◆やってはいけないTPP対策
◆畜産を保護する理由はあるのか?
◆2兆5千億円を無駄にした牛肉自由化対策
◆国内対策で誰が利益を受けるのか?
◆TPPに便乗した酪農政策の改変
◆酪農の将来ビジョン
◆限界にきた日本の農政
◆次の農業政策
◆おわりに