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どうなる?新国立競技場

2016.04.01 公開 ポスト

ザハ・ハディドさんという建築家森本智之

 建築家のザハ・ハディドさんが急逝されました。ザハさんは新国立競技場の白紙撤回された当初デザインを手がけた、世界的に有名な建築家です。
 新国立競技場建設の旧計画をめぐっては、コスト高騰など諸々の混乱の原因が、ザハさんのデザインにあるように言われたこともありました。
 しかしこの問題を長く追いかけている東京新聞記者の森本智之さんは、著書『国立競技場問題の真実~無責任国家・日本の縮図~』のなかで、「それは違うのではないか?」と指摘しています。
 以下、本から一部を抜粋してご紹介し、ザハさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 * * *

◆「アンビルト(建築されない)女王」の称号

 さて、デザインコンペで最優秀案に選ばれたザハ・ハディドさんとは、いったいどんな建築家なのか。ここであらためて紹介しておきたい。

 ハディドさんは1950年、イラクの首都、バグダッドに生まれた。比較的裕福な政治家の家庭に育ち、レバノン・ベイルートのアメリカン大学では数学を学んだ。その後、イラク国内の政情不安を避けるため家族で英国へ移住し、建築を学び始める。英国建築協会付属建築学校(AAスクール)を首席で卒業すると、1979年、ロンドンに自身の設計事務所を設立した。

 その独立後間もない1983年、いきなり脚光を浴びることになった。香港のビクトリア・ピーク山頂の高級レジャー施設「ザ・ピーク」の国際コンペで、500以上の応募作の中から1位に選ばれたのだ。事業者の倒産で結局、この計画は実現しなかったが、鋭い無数の破片が折り重なったようなデザインは鮮烈な印象を放った。

 この時、審査員の中で、ハディドさんを強く推したのは、日本人の磯崎新さんだった。磯崎さんは取材に対し、こう回想した。

「ザハの案は要項を完全に無視したデザインでした。だから、僕が審査に行く前の段階で条件違反で落とされていたんです。だけど選に残っている作品は、僕にはどれもピンとこなかった。
 何かおもしろい案がないかなと思って、ゴミの山をあさってザハの案を引っ張り出したんです。
 見たら、案としてはおもしろい。その時には、どうも資金難で実物に達しそうにないという話が既に聞こえてきていた。だから、プロモーターに『この案でいったら、コンペそのものが歴史に残るからいいじゃないか』と説得したんです。でもすぐにOKということにはならず、あの時は、いろいろ衝突してけんかになったな」

 何とも型破りなエピソードである。磯崎さんのその言葉通り、コンペは注目を浴び、ハディドさんの名は世界に知れ渡ることになった。

 だが、この後10年ほどの間、ハディドさんの作品は、実際に建設されない時期が続くことになる。その理由は、当時の彼女が残した作品のドローイングを見れば分かる。躍動的で、色彩鮮やかで、建築物というよりも抽象的な絵画作品との印象を受ける。その高いデザイン性に、当時の施工技術が追いつかず、実際に建設するに至らなかったというわけだ。この時代、彼女は設計すれども実現せず、ということで「アンビルト(建築されない)の女王」「ペーパーアーキテクト(紙上の建築家)」などと、不名誉な称号で呼ばれてしまう。

◆見る人を驚かせ刺激するデザイン

 初めての実作と言われるのが1993年、ドイツの「ヴィトラ社消防ステーション」だった。世界屈指のデザイン家具メーカーの工場敷地内にある消防ステーションの庁舎だが、まるで美術館のような洗練された外観をしている。

 コンピューターによる解析や、施工技術の進歩により、90年代以降、近未来的なハディドさんのデザインが実現できるようになった。その後は世界中で次々と建築物を手がけるようになり、2004年、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を、女性で初めて受賞した。まだまだ男性中心と言われる建築界で、名実ともにトップランナーの女性建築家であり、しかも中東のイスラム圏の出身者ということで、注目度がさらに高まった面もあるかもしれない。

 意外に思われるかもしれないが、日本との縁もある。建築物としてはヴィトラ社消防ステーションが初の実作に当たるが、キャリアで初めて実現したプロジェクトは、札幌にあったレストラン「ムーン・スーン」の内装のデザイン(1990年)と言われる。さらにそれに先立つ1980年代後半には、東京で「麻布十番のビル」「富ケ谷のビル」も設計した。この2つのビルはバブル経済の崩壊などで実現しなかったのだが、ハディドさんを最初に発掘したのが日本人の磯崎新さんだったことも含め、日本との関係は浅くはないのだ。

 ハディドさんの事務所は、今や300〜400人のスタッフを抱えると言われ、世界でも有数の規模を誇る。既存の建築概念をひっくり返すような「脱構築主義」と呼ばれるそのデザインは、「これってどうやって造っているの」と見る人を驚かせ、想像力を刺激するような作品が多い。

◆世界で最も実績のある建築家の一人

 デザインが独創的なあまり、批判を浴びてしまうのもその特徴と言える。たとえば、その外観が「女性器のようだ」などと話題になった、サッカーW杯カタール大会(2022年)のスタジアムや、「とぐろを巻いたヘビ」と揶揄された韓国・ソウルの複合文化施設「東大門デザインプラザ」などは、最近の代表例だ。このデザインプラザをめぐっては、景観への悪影響を問題視する韓国メディアの取材に、「なぜ今になってそんな質問をするのか。問題は(コンペで私を選んだ)政治家であって私ではない」と気色ばんだという。

 新国立競技場をめぐっては、こうしたハディドさんに対して批判的な論調もあり、ハディドさんがトラブルメーカーであるといった誤解も生まれたように感じた。だが、彼女自身は世界で最も人気のある建築家の一人である。それはつまり、世界中のあちこちで建築物を造り、キャリアを重ねてきているということだ。「アンビルトの女王」と呼ばれたのは80年代の話であり、現在は世界で最も実績のある建築家の一人なのだ。

 デザインに賛否があることは事実だろう。だが、これは嗜好の問題だから、嫌いと言う人がいれば好きと言う人もいる。建築批評家の五十嵐太郎東北大教授は、東大門デザインプラザを訪れた際の感想を、「このスケールでなければ味わえない建築体験だった」と話した。実際にソウルの新しい観光名所になっているという評価もある。

 たとえば、彼女は2012年のロンドン五輪で、水泳会場となった「ロンドン・アクアティクス・センター」を設計しているが、途中で建設費が大幅にアップすることが発覚し、デザインを変更している。結局それでも最終的に建設費は当初の見積もりを大きく超えてしまうのだが、仮設席を多用し、五輪後には1万7500席から2500席にサイズダウンできるようにすることでコストの圧縮を試みた。

 何が言いたいのかと言うと、発注者側がきちんと管理能力を発揮すれば、建築家はデザインの変更やコストの縮減に対してフレキシブルに応じる。発注者は、建築家にとってはつまりお客さんだから、これは当たり前と言えば当たり前の話だ。少なくともロンドンがやろうとしたことを、どうして日本はやろうとしなかったのか。新国立競技場の問題をザハ・ハディドさんだけに負わせることには違和感を覚える。__

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幻冬舎plusでは過去に本書のダイジェスト記事を掲載しています。
聖火台の設置場所がないなど、新たな問題も起きている新国立競技場。
お読みいただき、問題の全体像を把握するお役に立てれば幸いです。

第1回 新国立競技場計画、同じ過ちを繰り返さないために
第2回 新国立競技場、異例の途中経過公表の背景は?
第3回 新国立競技場、それでも1550億円は高額
第4回 新国立競技場問題、A案に決まったから終わり、ではない

関連書籍

森本智之『【期間限定特別価格】新国立競技場問題の真実 無責任国家・日本の縮図』

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森本智之

東京新聞(中日新聞東京本社)文化部記者。1978年、広島県呉市生まれ。大阪大学文学部卒業。2003年の入社後、伊賀支局、静岡総局を経て、社会部で福島第一原発事故などを担当、取材班の一員として『レベル7――福島原発事故、隠された真実』(幻冬舎)を執筆した。13年2月から現職。担当は美術・建築。

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