酒井順子&清水ミチコの二人の“芸"達者が、付かず離れず、自由自在に「芸能」を掘る、掛け合いエッセイ『芸と能』が10/22(木)に発売となります。ユーミン、紅白、モノマネ、歌舞伎、ディズニーランド、ハロウィン、タモリ、森光子……などなど、超もりだくさん。「芸能」のあれこれを酒井順子と清水ミチコが縦横無尽に語りまくります。
今回は、リレーエッセイのそれぞれ第一回目を公開。笑って深いエッセイを、どうぞお楽しみください。
酒井さん、こんにちは。
まずはオリジナリティに溢れながら誰にもわかるという素晴らしきタイトル、(「芸」と「能」)、どうもありがとうございました。おかげさまでいい連載になりそうですね。
こういう言葉のチョイスも芸の一種だと思うのですが、「芸人」という言葉といっしょで、こっちは誉めてるつもりで口にしても、ひょいと失礼になっちゃいそうで、むつかしい時がありますね。
この「芸人」という言葉、昔はそこはかとなく悲しい響きだったのに、今は全くウエットでもなく、ふつうにカラッと使われるようになりました。むしろちょっといいカンジ、にすらなっているかもしれません。
ブームって凄いですね。言葉の印象まで変えてしまうという。
私がテレビ業界に入った頃は(1987年)、お笑い系の女性の数はまだぜんぜん少なかったものでした。
当時は山田邦子さん、久本雅美さん、野沢直子さんなど、数えるくらいしかおらず、お笑いの現場に女子がいる、というだけで珍重されてたようなフシがありました。今はやおら増えてきたので、居場所が大変そうですが、この世代たるやスッカスカだったのです。
女性の楽屋はいつもがらーん。
「今思えばトクしてたよね〜、これで昨日や今日デビューなんかしててみ、芽が出んことよ」
などと先日も同輩と話をしました。ライバルがいない広さ、珍味でいられる責任の軽さ、ネットもない自由さ。
って、当時は実はそんな事にも気がついちゃいませんでしたが、振り返ればありがたい時代だったのだ、と、今ごろになってしみじみわかる。
ところでこないだTVを観てたら、東野幸治さんがこんな事を言ったので、私はとても驚きました。
「関西にはつい最近までモノマネ文化なんて、なかったんですよ〜」
えええ〜! そうなの?
びっくりです。
東西で多少の違いはあろうとも、てっきり全国的に似たようなものだとばかり思っていたので。言われてみれば、関西でモノマネ芸人がいるとか、モノマネのショーパブがあって、などという話はあんまり聞いたことがないような。
ありそうなのに、なかったのか!
すごく不思議です。
つか、この話がたいして有名でないこと自体も、本当はめちゃめちゃ驚きではないでしょうか。 しかも、この発言を聞いた時のまわりのタレントたちもまた、落ち着いたものというか、まったく驚きがなく、サラ〜ッと、次の話へと流れて行っちゃった。
私は声を大にして言いたいほどでした。
聞こえてました〜? 関西にはモノマネ文化がなかったんだって!! アタシびっくりしちゃったあ〜! と。
メガホンつきで。
ま、誰か一緒に驚いて欲しかったんですね。ここで叫ばせてもらいました。
いつのまにか細分化された演芸というもの、実はごく最近誕生したみたいなものであって、もしかしたらまだそんなに歴史は長くはないのかなあ、などとぼんやり思いました。女性のお笑い文化なんてのも、まだまだ本当は誕生したて、なのかもしれません。
芸能の原点と言えば歌になるのでしょうか。
八代亜紀さんのお話が書いてありましたが、私も彼女がジャズを歌った最近のCDを持っておりました。「日本のヘレン・メリル」をあらわしているかのようなジャケットもよかったです。
ただ一つ、「いそしぎ」と「五木の子守唄」のかけ合わせは苦しいもんがあり、正直これだけは酸っぱい珍味、奇妙な果実でした。音階だけ似てるようで、曲の核が違うこの違和感。
でも、まわりに聞いても、そんなに酸っぱい? 食べられなくはないじゃん、ってなもんでしたので、私だけらしい。
でもつくづく音楽の冗談は難しいもんだなあ、と感じた次第です。あ、これは冗談でやってないぞ、と言われちゃうか。
高校時代、「THE SHADOW OF YOUR SMILE」という曲が、日本語で「いそしぎ」と呼ばれていたことにも、(どこがいそしぎなんだ!)と一人イラついていたという苦い思い出が蘇りました。(映画「いそしぎ」のテーマ曲だったと、後で知ったのですが。)
どうもこの曲は私をイラ立たせる運命にあるようです。
清水ミチコ