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『資本論』も読む

2016.05.06 公開 ポスト

「なんだこれは」とマルクスは驚いた宮沢章夫

カール・マルクスの大著『資本論』を読んだことはありますか? 一度は読んでみたいと思ったことはありませんか? GWに『資本論』に挑戦してみるのも一興です。劇作家の宮沢章夫さんは仕事の力を借りて、『資本論』に挑戦しました。ウェブ日記と原稿による『資本論』を読むドキュメントを「『資本論』も読む」から抜粋してお届けします。

***

マルクスは序文で何を言いたかったのか

 そもそも「序文」とはなにか。それを知ってはじめて読みはじめなくては、序文なんてしちめんどくさい読書になり、また逆に、べつに読む必要もないだろうと読み飛ばす危険もあるし、「序文」を読むことで「わかった気になる」のはさらにまずい。
「書物のはじめに述作の趣旨や成立の由来などを記した文章」(『広辞苑第五版』)
 マルクスは書かずにいられなかった。つまり、「述作の趣旨」だ。だから「第一版序文」の冒頭近くにはこうあるだろう。
「なにごとも初めが困難だということは、どの科学の場合にも言えることである。それゆえ、第一章、ことに商品の分析を含む節の理解は、最大の困難となるであろう」
 これこそ、「商品の分析を含む節」、つまり、「第一部 資本の生産過程」、その「第一篇 商品と貨幣 第一章 商品」の分析における難解さにマルクス自身が危惧を抱いている証ではないか。べつにマルクスは難解な論理の組立によって衒げん学がく的てきになにか表現しようとしていたわけではけっしてない。
 そうとしか書けなかった。結果的にそうなった。
 商品を精緻に分析することにおいてそうとしか書くことができず、気がついたらそうなっていたので、書き上げたものを見て思わずこんなことを口にしていたのではないか。
「なんだこれは」
 なにか為そうとして書かれたものなどそれほどたいしたことはなく、熟考し、それを文章化する行為の結果、こうなったし、こういう叙述でしか「商品」を描けなかった。『資本論』を世に問うにあたってマルクスが抱いた危惧は、引用した、「なにごとも……」以下の言葉を序文に書かずにいられなかったのだ。
 では、序文は容易たやすく読めるのか。たしかにさほど困難は感じられないが、いきなりこんなふうに書かれても人は困るのではないか。
「イギリスの工業労働者や農業労働者の状態を見てドイツの読者がパリサイ人のように顔をしかめたり」
 いったい、その「パリサイ人」とはどこのどいつだ。マタイ伝の一節に次のような記述がある。
「さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた」
 これを読んで、イエスが食卓に着いたときパリサイ人のやつが顔をしかめなければいいと私は思った。
 だがそんなことはどうでもいい。
 パリサイ人のことなど知るものかと勇気を持って読み飛ばし「序文」でマルクスが書いておかなければならなかったこと、「述作の趣旨」を読みとることが、これから長く続くだろう「資本論を読む旅」の手掛かりになる。ところで、マルクスは一八八三年三月一四日に死に、「第三版へ」と題された序文はエンゲルスによって書かれ、以後、「英語版序文」「第四版へ」まで続き『資本論』成立史を読むかのように興味深いが、なかでも、「マルクス引用偽造事件*」とでもいうべき箇所は、サスペンスを読むような熱気をはらんでいる。それは次のような叙述ではじまり、「ここで私はどうしても一つの古いできごとに話をもどさなければならない」とエンゲルスが書くとき、これはなにやら文学だ。マルクスが引用を偽造したとある雑誌に匿名の論文が掲載された。タイトルがすごい。
「カール・マルクスはどのように引用するか」
 これは面白い。面白いがそんなことはどうでもいい。重要なのは、マルクスは序文でなにを言わずにいられなかったかだ。

 

*マルクス引用偽造事件 「一八七二年三月七日、ドイツの工場主連盟の機関紙、ベルリンの『コンコルディア』に、「カール・マルクスはどのように引用するか」という匿名の論文が載せられた」(1巻60ページ)。エンゲルスによると、この論文では、『資本論』の中で1863年4月16日の英蔵相グラッドストンの予算演説から引用したとする部分は偽造だ、と主張。マルクスはドイツ社会民主労働党機関紙『フォルクスシュタート』上で二度にわたって「匿名氏」に回答・反論した。


 二〇〇〇年一二月一九日  東京
 資料を買いに神保町の古本屋街に行った。何冊かめぼしいものを見つけて購入。神保町も昔の面影は失われ古本屋街の姿は薄れつつある。ずいぶん歩いたせいか、ひどく疲れ、帰りの電車で本を読もうとすると眠くなる。本を読んで眠くなると、なぜか高校時代のバスのことを思い出し、『資本論』を読んでは眠くなったバスのなかのにおいが鼻先に漂ってくる気がする。これはいったいなにかと思うのだ。
 帰ってから頭痛。治らない。夜のニュースを見ていたら、如月きさらぎ小こ春はるさんが亡くなられたことを知った。面識はないが、あまりに若い死に驚いた。書かれたものに対して批判的だったこともあるが、冥福を祈りたい。


 二〇〇一年一月一四日  京都
『STUDIO VOICE』と、『JN』と、あと早稲田の学生に頼まれた原稿が書けないのだった。『JN』は「実業の日本」のことだ。その最新号にある山崎浩一さんの文章を読んではじめて「JJ」が「女性自身」の略だと知って驚愕した。「JJ」といえば植草甚一さんのことだが、なぜ植草甚一さんが「JJ」かはいまだに謎である。そんな話を知人と電話で話をしていたら、「いまの人は植草甚一なんて知らないんじゃないの」という。まったくだ。
 そういえば、世田谷の宮沢さん一家殺害事件で殺害に使われた刃物を犯人が買ったと推測される店は経堂の「小田急OX」らしい。よくゆくスーパーだ。犯人はあのあたりに出没していたのだろうか。もしかすると「はるばる亭」のラーメンを食べていたかもしれないし、「ピーコック」というスーパーの上にあるボウリング場で球を転がしていたかもしれない。おそろしい話だ。
『STUDIO VOICE』にはニブロールについて書く。うまく書けなくて困っている。しかも歯が痛くなるし。
 ニュースで京都で開催された女子駅伝の結果を知る。きのう町を歩いているとトレーニングウェア姿の女とやけにすれちがった。あれは選手だったのだな。観光のようにぶらぶらしていたが観光だったらなにもトレーニングウェアである必要はないではないか。


 二〇〇一年一月一六日  京都
 食事と、煙草を買うのに外に出たきりで、あとはずっと家にいる。原稿を書く。そのあいまに本を読むが、本に夢中になっていけない。あと腰が痛い。目が覚めたら腰が痛いのに気がついた。原稿を書くためにコンピュータの前にずっと座っていたからだろう。大阪で「竹中直人の会」があるので、チケットを頼もうと東京の竹中の家に電話。奥さんが出て少し話をする。しばらくして竹中から電話があり、調べておいてくれるという。助かった。
 深夜、ようやく『JN』の原稿、「資本論を読む」を書き上げる。あとは『STUDIO VOICE』のニブロールと早稲田の人の原稿。
 新宿にある「ロフトプラスワン」の催しは「ワークショップ」をやることにした。「歌舞伎町・夜のワークショップ」という怪しいタイトルにし、歌舞伎町をフィールドワーク、その後、なんらかの形で発表という企画はどうだ。二千円の入場料でワークショップを受けられるとは、受講者がうらやましい限りだって、自分で書くのもなんだが。
 腰が痛い腰が痛い腰が痛い。

関連書籍

宮沢章夫『『資本論』も読む』

「せめて『資本論』を読んでから死にたい!」。憧れの気持ちは強くとも、歴史的大著の前では常に挫折の繰り返し。人生数度目の挑戦でも、長い序文が、他の原稿が、演劇の公演が、日常の雑事が、またも行く手を阻む。果たして今回は読み終わるのか――。「わからない。わからない」とつぶやきながら『資本論』と格闘する日々を綴る異色の七転八倒エッセイ。

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