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今日から幸せになれるアドラーの教え

2016.05.04 公開 ポスト

「ほめて育てる」がよくない理由とは岸見一郎

『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)が日本・韓国2か国で累計230万部突破など、今話題の<アドラー心理学>とはいったいどんな思想なのか?
アドラー心理学の第一人者・岸見一郎氏の原点ともいうべき『生きる勇気とは何か』、『人生に悩んだらアドラーを読もう。』の2冊同時発売を記念して、幸せに生きるためのアドラーの教えを抜粋して4回連載でご紹介します。
 第3回は、対等な対人関係について考えます。

ほめられることの問題点

ここで、ほめられるということはどういうことなのか、考えておきましょう。この本を読む人であれば、もはやまだ子どもだった頃のように大人からほめられることはないでしょうが、今振り返ってみて、ほめられてもあまりうれしいとは思わなかったことはなかったでしょうか? 自分では当然できると思っていることについて大人が「すごいね」とか、「えらいね」といわれるような場合です。

 親にしてみれば、子どもを連れて外出することはなかなか勇気がいることで、電車の中などで泣き出されたらどうしようと心配でなりません。ですから、子どもが電車の中でおとなしくしていたら、そのことは親には「すごい」と思えるのです。しかし、きちんと親が事情を説明すれば、子どもは自分が置かれている状況を理解できるはずですし、たとえ何もいわれなくても理解できると思うのです。

 ある三歳の女の子は、カウンセリングの間、おとなしくしていました。カウンセリングの間静かにしていることは簡単なことではなく、いつまで待つのか、たずねてみたくなったかもしれません。それでも、話に割り込むこともなく、大きな声を出したり、むずかることもなく一時間待つことができました。こんな時、あなたなら何といってほしいと思いますか? 「えらいね」「よく待てたね」でしょうか?

 「えらいね」「よく待てたね」という親はほめているのですが、もしもこのようにいわれてうれしくないとすれば、それには理由があります。ほめるというのは、能力がある人が能力のない(と見なしているという意味ですが)人に上から下に向かって下す評価なのです。

 ほめられてもうれしくないのは、対人関係の下に置かれるからです。ほめる方の大人もほめる相手を自分より下に置いているということに気づいていません。しかし、ほめる人はたまたま子どもをほめたのではなく、自分は上で子どもは下と見ているからこそほめることができるのです。

 たしかにほめてほしいと思う子どもはいます。親がほめなかったら「ほめて」というのです。ほめてほしいと思うのはなぜかわかりますか? ほめられることによって、自分はほめる大人より上にはなれないけれども、他のほめられない子どもやきょうだいよりも上に立ちたいからです。他の子どもと競争して勝ちたいのです。

 しかし、そう思っていても大人はほめてくれないかもしれませんし、他の子どもとのほめられるための競争に勝てないかもしれません。そんな時に、大人が困るような問題行動をするのです。

 それでは親のカウンセリングに同行し、一時間待った後、どんなふうにいわれたらうれしいですか? もちろん、何もいわれないこともありますが、もしもいわれるのなら、今見たように、ほめられるのではなく、例えば、「待ってくれててありがとう」というふうにいわれたらうれしいでしょう。

「ありがとう」はほめ言葉ではないのです。待つことで貢献したことへの言葉がけです。こんなふうにいわれると、自分が役立てたと思えるわけです。


対人関係に上下はない


 今の社会で、男性と女性は対等ではないという人がいれば非常識だと非難されるでしょう。男性が女性よりも優位であるという根拠はどこにもないからです。
しかし、男性と女性は対等だと考えている人に、では大人と子どもは対等か、とたずねたら、対等であるという答えは返ってきません。その理由として、大人と子どもは同じではないということをあげる人が多いのですが、たしかに大人と子どもは同じではありません。知識と経験は大人の方があるでしょう。

 もっとも、本当のところはこれも疑わしいこともあります。生きてきた年数が長いからといって賢いとはいえないからです。ともあれ、子どもはあらゆることを大人と同じようにすることはできません。例えば、大人のように働いてお金を稼ぐことはできません。
 親は文句があるなら自分でお金を稼ぐようになってからにしなさいというようなことをいうことがあります。そんなことをいわれても、若い人の立場ではどうすることもできません。自分でお金を稼げるようになるまで待つしかないのでしょうか、それまでは親に主張してはいけないのでしょうか?

 もちろん、そんなことはありません。たとえ親に養われているからといって、子どもが親と対等でないわけではありません。外で働いて給料をもらってくる父親が、家で家事や育児をしている母親よりもえらいといえないのと同じです。お前を養ってやってるのだ、と夫にいわれたら妻はうれしくないでしょう。

 家族を例に取れば、それぞれが果たす役割は違います。しかし、この役割の違いは対人関係の上下を意味しません。子どもが、子どもだからという理由で下に見られていい理由はありません。私は子どもの立場にある若い人が、おかしいと思ったことを率直に大人にいうことができ、自分の考えを臆することなくいえることをうらやましく思うことがあります。

 大人はそうすることを文句をいうと見るかもしれませんが、大人がいうことだからというだけで子どもが大人のいうことを黙って聞くことはありません。そのことが時に大人には目に余る行動に見えることもあるのですが。

上下関係が当然ではないということ、上下関係ではない対等な対人関係があるということを大人に教えるのは若い人だと思います。大人たちも若い頃はそんなにふうに思っていたかもしれないのですが。

 しかし、対等に扱われなかった子どもが成人すると今度は大人がしてきたことと同じことをするのはおかしいのです。上級生にしごかれた下級生が上の学年に進むと下級生に同じことをする、というようなことを私はイメージしてしまいます。具体的にどうするかは後に見ますが、ここでは知ってほしいのは大人と子どもは対等だということ、したがって、この関係においては、ほめることも、叱ることも必要ないということです。

 ほめることの問題については既に見ましたが、叱ることについていえば、そうすることは相手を自分より下だと見なしているからで、もしも大人があなたを対等に見ているなら、もしも間違ったことをしても、叱る代わりに、きちんと言葉で説明するでしょう。
 

このコラムは、『人生に悩んだらアドラーを読もう。』より抜粋しています。詳しくは本書をご覧ください。
第4回「あなたは今すぐ変われる」は5月6日金曜日公開予定です。

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今日から幸せになれるアドラーの教え

『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)が日本・韓国2か国で累計230万部突破など、日本のみならず世界で話題の<アドラー心理学>。

第一人者の岸見一郎氏による、電子書籍『生きる勇気とは何か アドラーに学ぶ』『人生に悩んだらアドラーを読もう。』の2冊同時発売を記念して、アドラー心理学の思想をわかりやすく紹介いたします。

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岸見一郎

1956年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。著書に『アドラー心理学入門』(KKベストセラーズ)、『幸福の哲学』(講談社)、『人生を変える勇気 踏み出せない時のアドラー心理学』(中央公論新社)、『老いた親を愛せますか?それでも介護はやってくる』『子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気』『成功ではなく、幸福について語ろう』(幻冬舎)訳書にプラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)などがある。共著『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)はベストセラーに。

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