会社ではリストラに脅え、家庭では「夫」として妻との関係に疲弊し、「父」としての居場所を失う。そして、「息子」として母親の呪縛にも苦しめられる……。「仕事」という大事なファクターにヒビが入った時、男の人生は瞬く間に崩壊の道へと向かってしまう──。男であるがゆえの苦しみ、『男であること』とはいったいなんなのだろうか?
今回、幻冬舎新書『男という名の絶望 病としての夫・父・息子』(奥田祥子・著)では、そんな市井の男たちの実情を最新ルポとして明らかにしています。
その衝撃の内容を本書から一部を抜粋して紹介いたします。
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就職難ばかりか、結婚難も乗り切って家族を持ち、母親からはてっきり自立したつもりでいた既婚男性も、自立できないまま、母親に世話をしてもらう暮らしを当然のように送ってきた独身男性も、中年期に差し掛かると、不意に産みの親の存在が重く肩にのしかかっていることに気づく。職場や自らが築いた家庭での苦境に、さらなる追い打ちをかける「血」の呪縛の始まりである。
身体の弱った母親から頼りにされ、その過剰な求めに応じ続けた末に自身の家庭崩壊の危機を招いた男性が、憤りをぶつけるように語った言葉に、やるせない思いがして目のやり場に困った。
母親を愛おしむ気持ちと、容易には断ち切れない「心の鎖」──。男たちは母親から逃れられず、深い葛藤を抱えていた。
不意におふくろに縛られた──
毎朝、工場の生産ラインの脇で繰り返される朝礼・ミーティング。ありふれた日常が、この日、三浦清二さん(仮名、四十歳)には異様な光景に映った。滋賀県北東部の都市にある精密機械メーカーで加工部門のグループリーダー(課長職)として、工程を説明し始めた時、頬のこけた上司の顔がぼやけて膨張して見えてくる。自身に作業内容を確認してくるその声が幾重にも反響して聞こえる。そうこうしているうちに、激しい動悸、めまいが起こり、目の前の十数人の作業員が一気にこちらに向かって押し寄せてくるような圧迫感に見舞われた。途端、意識が遠のいて全身の力が抜け、その場にバタンとくずおれた。
気がついた時は病院のベッドの上だった。救急車で搬送され、一週間入院。脳のCTなどいくつか検査を受けたがどこにも異常はなく、疲労回復と栄養補給の点滴治療で症状が改善するのを待ち、退院間際に精神科を受診したところ、社交不安障害(旧名・社会不安障害)と診断された。他者の視線に恐怖を抱いたり、人前で話すことに極度に緊張、不安を感じたりして、社会生活が困難になる心の病とされる。
大学卒業以来、二十年近く心身共に健康で、ほとんど欠勤することなく働いてきた三浦さんにとっては、「寝耳に水」の病だった。
「不意におふくろに縛られた。それがすべての元凶でした」
退院後さらに二週間会社を休んで治療に専念して病状は少しずつ快方に向かい、三ヵ月近く前から職場に復帰しているものの、SSRIと呼ばれる新規抗うつ薬などの投薬治療を続けている。生産ラインに出るとまだ軽い動悸や手の震えなどの症状が出るため、今は工場内の管理センターで事務業務に就く。彼が選んだ取材場所も、友人が営む自動車修理工場内の三、四人が座れる程度の小さな談話室だった。三浦さんの心身の状態を気遣いながら、ゆっくりと質問を進める。
「お母さんに縛られた、というのは……いったいどういう出来事があったのですか?」
三浦さんは胸の高い位置で身体を抱きかかえるように腕組みをして、ほんの少しの間談話室の壁を凝視した後、一言ひと言、かみ締めるように説明を始めた。
「京都で一人暮らしのおふくろが、自宅で転倒して、足の甲の骨にひびが入りまして……。兄貴は転勤族で九州にいますから、私しか面倒を見る者がいない。おふくろも電話で『あんたしか頼りになる者はおらへん』と寂しそうな声で言うし……。そやから、仕事を早退して、慌てて入院先の病院に駆けつけました。四、五日、残業も勘弁してもらって毎日通ったんです。退院して自宅に送り届けて、それで……やっと、ひと安心や、そう思いました。それやのに……それが、大惨事の始まりで……」
表面化する嫁姑の確執
三浦さんはそう言い終えると、つらい出来事が脳裏に浮かんだのか、大きく息を吐き出してから目を閉じ、固く組んだままの両腕の間に顔を埋めた。話す相手が私一人とはいえ、やはり病状を踏まえると現時点での取材は好ましくないかもしれない。だが、ここで引き返すわけにもいかない。どうしたらいいものか、判断に迷っていた時、だった。
「すいません」と言って三浦さんは顔を上げると、今度はテーブルの上に両肘をついてやや前かがみで、話を続けた。
「話を聞いてもらうつもりでわざわざ来てもらったんやから、しっかりせんと……。おふくろが退院してもすぐに元通りに歩けるわけやないので、病院のリハビリに付き添って、家事は家政婦さんを手配して……なんやかんやで、ほぼ毎日、仕事を中抜けしたり、早退したりして、おふくろのところに通い詰めだったんです。週末は泊まりがけで……。仕事も自分の家庭も、どうでもよくなっていたのかもしれません。そんな状態が二週間ぐらい続いた頃から……とうとう嫁がぶつぶつ言うようになって……」
三浦さんは京都府南部に暮らす六十八歳の母親のもとまで、電車とバス計四本を乗り継いで片道二時間余りの道のりを通い、世話を焼いた。職場は一時的な窮状を察し、理解を示してくれたものの、妻はそうはいかなかった。専業主婦だが、小学六年生から二年生まで一男二女の子育てで日々、慌ただしい。普段から仕事で十分に育児に関われない夫が、仕事ならまだしも、母親のために家庭を空けることに、怒り心頭に発したのだという。
「それなら、代わりに奥さんにお母さんのところへ行ってもらうことは難しかったのでしょうか?」
何の気なしに放った質問に、三浦さんは頬を紅潮させてこう一気にまくし立てた。
「奥田さん、何言わはるんですか! そんなことできるわけないやないですか。嫁と姑ですよ。よそさんのことはようわかりませんけど、みな大なり小なり、仲は悪いもんです。例えば、おふくろがおやじの三回忌で嫁がろくに働かへんかった、と愚痴ったら、嫁は子どものしつけにまで口出してきてお母さんが鬱陶しい、ってな具合ですわ。そういうのが積もり積もって、今度のおふくろの怪我で爆発ですわ。『私よりもお母さんを取るんか! このままやったら離婚や』とね。ヒステリックに騒ぎ立てて、こっちが頭がんがん痛くなるぐらい」
「お母さんのほうはどうなんですか?」
「嫁と全く一緒ですわ」
「えっ?」
「最初は私に『ありがとう、ありがとう』と、優しい言葉を掛けてくれていたんです。でも、うっかり嫁があまりいい顔していない、ということを言うてしもうたら、キレてしまいました。『息子が母親の面倒を見るのは当たり前。嫁は何様のつもりでいるんや』なんて嫁を散々けなしてから、最後には『あんたは私と嫁と、どっちが大事なんや!』です。それから、余計に『痛い、しんどい』の繰り返しで、私が仕事中も自宅にいる間も、よく電話してくるようになって……。もう振り回されています」
母親と妻との板挟みに苦悩し、職場では十分に力を発揮できていない負い目を感じながら、心身の疲労を極めていった三浦さんは、ついに冒頭で紹介した社交不安障害を発症してしまうのだ。
だが、母親の足の怪我は三ヵ月ほどで回復し、一人で身の回りの事はできるようになったにもかかわらず、「足腰が弱って心配やから」、今も週末のすべてを割いて実家で母親と共に過ごしている。一方で、自宅では「嫁や子どもがうるさくて息が詰まる」という。「縛られた」という母親に自ら歩み寄り、自身の家庭には拒絶感を示す。三浦さんの心中を慮ろうとすればするほど、どこかしっくりとこない感覚が高まるのを抑えることができなかった。
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母親に対する〈息子〉として、そして妻に対する〈夫〉として……その間で苦しむ三浦さんを更なる絶望へと追い込んでしまう幼少期の環境とはなんだったのか!? そして、先の見えなくなってしまった生活に差し込む「ひとすじの光」とは──。
次回、《事例4》「子育てから逃げ出してしまった父親が、失ったものの大きさに気づく日」は5月10日ころ更新予定です。