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わたしの容れもの

2018.04.19 公開 ポスト

老化も劣化も変わるカラダが愛おしい角田光代

人間ドックの結果だけで、話が弾むようになる、中年という世代。老いの兆しは、悲しいはずなのに、なぜか嬉々として話すようになるのです。そんな加齢の変化を好奇心たっぷりに綴った角田光代さんの『わたしの容れもの』が、文庫になりました。一部再掲載して、変わることのおもしろさをお届けします。 

わたしは変わる

 このごろ霜降り肉がだめになってきた、おれなんか赤身がだめ、刺身は白身だけ、だとか、階段上がると息が切れるようになった、だとか、風邪ひくとびっくりするほど長引くようになった、だとか、人は加齢による変化を嬉々(きき)として語る。嬉々としていない場合もあるが、どことなくうれしそうに見える。いや、見えた。二十代のころだ。うれしそうだし、なんだか自慢げであるなと思って、若き日の私は年長者たちの話を聞いていた。

 年長者たちの話すその変化が、二十代の私はこわかった。肉好き、脂好きの私は、霜降り肉より赤身肉を選ぶようになるのが、刺身は白身ばかり食べるようになるのが、はたまた、風邪をひいて長引くようになるのが、こわかった。息切れとか、つまずくとか、そういった方面は十代のころからなのであんまりこわくはなかったが。

 以来、私はずーっと、それらの変化がいつ自分の身に起きるかとびくびくしていた。

 しかし三十代になっても、三十五歳を過ぎても、変化はやってこない。私は相変わらずカルビが好きで霜降りのステーキが好きで、鯛より鮪まぐろが好きで、鮪は赤身よりとろが好きで、風邪をめったにひかなかった。しかも、三十三歳でボクシングジムに通いはじめ、三十七歳でランニングをはじめてしまったものだから、若いときよりずっと体力がついた。二十代の私は、どれほどの遠回りをしてもエレベーターを駆使して移動し、極力階段を使わなかったのだが、三十代になってようやく階段をのぼり下りするようになった。つまずくことも息切れも、二十代のときより減った。このまま変化はこないのではないか。霜降り肉好きの、揚げもの好きの、とろ好きの、風邪知らずの健康なおばあさんになっていくのかもしれない。それはなんとすてきなことだろう。

 四十代になり四十五歳になった。中年真っ盛りである。

 そしてようやく、やってきたのだ、変化が。「お」と思ったのは、四年前。四十歳を過ぎて、私ははじめて豆腐をおいしいと思ったのである。豆腐がおいしいってことは、これは、私がずっとおそれていた変化だ! ついにきたか! しかし、霜降り肉も好きである。

 私がおそれていたのは、前はだめだったAが好きになり、前に好きだったBが食べられなくなる、ということだったわけで、AもBもおいしく食べられるようになる、というのは、変化としてとらえていいのだろうか。

 そんなふうに迷ってさらに昨年、ついに私は霜降り肉より赤身肉を好んで食すようになった。揚げものも、とろもまだ好きだけれど、でもこの肉の好みの移行は私にとってはまったく大きな変化である。本当に、霜降り肉の脂が、きつくなるんだなあ……。あんなにおそれていたのに、いざそうなってみるとおそれは消えて、ただただ、感慨があった。

 考えてみれば、顕著ではないとはいえ、ゆるやかながらやっぱり加齢は変化をもたらしている。

 いつからか、徹夜ができなくなった。以前はすぐに覚えられたことが、覚えられなくなった。すぐに思い出せたことも、ちょっと時間がかかるようになった。

 ちょっとやそっとじゃ体重が減らなくなった、というのも、ある。一食抜いたり、激しい運動をしたりすれば、前はすぐに体重が落ちた。けれど今ではそれがない。おそろしいほど一定。不思議なのは、減っても翌日にはすぐに一定値に戻るのに、増えると、今度はそれが一定値になるのである。夕食を軽めにすませて一キロ減っても、翌日には元どおり。なのに、深夜についラーメンを食べてしまって二キロ増えると、今度はそれが、どんなにがんばっても減らない。なんと小憎らしい仕組みだろう。

 霜降り肉より赤身肉を選ぶことを、どうして二十代の私はおそれていたのか不思議である。たぶん、私というものは確固たるもので、変わらないと信じていたのだろう。変わらないはずのことが変わる、そのことがこわかったのだろうと思う。アイデンティティの崩壊のようで。

 豆腐で気づいたおのおのの変化であるが、しかし思っていたほどこわくはない。というか、ちっともこわくない。肉の脂が私のアイデンティティでは、当然ない。今なら私はわかるのである。白身魚しか食べられなくなった、風邪が長引くようになったと話す年長者たちが、嬉々としていたその理由が。

 変わる、というのは、その前にはなんだか不安に思うけれど、実際はちょっとおもしろいことなのだと思う。引っ越し前はどきどきするけれど、引っ越したら意外にたのしかった、という感じ。しかも変化しているのは、自分自身。変化したことで、新しい自分になったように感じるのである。新しい自分が、古い自分より「できない」ことが増えたとしても、やっぱり新しいことは受け入れればおもしろい。焼き肉屋さんでカルビではなく赤身肉を注文している自分は意外でおもしろい。減らない体重は小こ癪しやくだけれど、ここまで微動だにしないと人体の神秘を思う。

 それに、年齢を重ねるイコールできないことが増える、というわけでもない。私は昨年(かなり後ろ向きな気持ちだったとはいえ、でも)フルマラソンを二回走った。こんな酔狂なことは、二十代ではできなかったことだ。仕事をする時間を決めて、午後五時にはぜったいに終える、ということもまた、若いときには無理だったろう。

 この先、きっと更年期障害がはじまったり、思いもかけない病気になったりして、こんな変化はいやだ、と心底思うときもあるのかもしれない。でも、そうなった自分は今の自分より劣った存在ではなくて、ただ新しい自分なのだと思えるようでありたい。

 とりあえず、今私にいちばん近い変化は老眼だろうな。何が見えて何が見えないと、嬉々として話し出す日はきっと近い。

**

文庫版『わたしの容れもの』目 次

◆私は変わる
◆私の知らない私を知る
◆やはり、食い意地ははってくる
◆それは突然やってくる
◆災難も突然やってくる
◆ダイエットの噓とまこと
◆「もし」の先
◆使わなくても減っていく
◆補強される中身
◆かわいさの呪縛
◆好きな言葉
◆眼鏡憧憬
◆嗚呼、神頼み
◆待ってはいるのだが
◆強かったり弱かったり
◆目に見える加齢
◆かなしい低下
◆短気と集中
◆薄着がこわい年齢域
◆なんでもかんでも加齢のせいか?
◆人の手の力
◆たましいに似た何か
◆バリウムの進化
◆じっと手を見る
◆隠れアレルギーというもの
◆椅子と年月
◆八卦ではないのだが
◆私という矛盾
◆若返る睡眠
◆これが夢見ていたものか
◆変化の速度
◆待ち焦がれてはいないのに

◆あとがき
◆とりとめのない文庫版あとがき

 

関連書籍

角田光代『わたしの容れもの』

人間ドックの結果で話が弾むようになる、中年という年頃。ようやくわかった豆腐のおいしさ、しぶとく減らない二キロの体重、もはや耐えられない徹夜、まさかの乾燥肌……。悲しい老いの兆しをつい誰かに話したくなるのは、変化するカラダがちょっとおもしろいから。劣化する自分も新しい自分。好奇心たっぷりに加齢を綴る共感必至のエッセイ集。

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角田光代

1967年神奈川県生まれ。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。「対岸の彼女」で直木賞、「ロック母」で川端康成文学賞、「八日目の蝉」で中央公論文芸賞、12年「紙の月」で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花賞を受賞。他に『空の拳』など多数。

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