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リフォームの爆発

2019.08.09 公開 ポスト

小説家、リフォームの実態・実情へ迫る町田康

自宅リフォームの過程を呆れるほど克明に記した、『リフォームの爆発』が文庫になりました。不具合を解消したい――目的はそれだけだったのに、なぜか悲劇が始まります。マーチダ邸改造の悲喜こもごも。まずは冒頭からお届けします。
 

 

朝(あした)に紅顔ありて夕べに白骨となる。少年老いやすく学成りがたし。ということを父親に教わったのは十一歳のとき。なるほどそのとおりだ、と思って帳面に書き留め、週に一度か二度くらい、これを眺めた。自重自戒にこれつとめた。

ところがそんなことをしているのにもかかわらず、学は成らず、高等学校に通わせてもらいながら、勉強は二の次、三の次で、場末のライブハウスで歌うたいの真似事をするという陰惨無慙(むざん)な生活をするようになってしまった。

なぜそんなことになったか。それは、朝に紅顔ありて夕べに白骨となる。少年老いやすく学成りがたし。という言葉と実際の勉学との間に距離・懸隔があったからである。

これは言葉というものの特徴・特質、固有の性格のようなもので、言葉を上手に使えばこの世の真理・真相に近づくことができ、またそれを正確に表すことができるのだけれども、近づけば近づくほど、この世の実態・実情から遠ざかっていくのである。

誰が聞いても、まったくそのとおりで、疑う余地のないこと、が言葉で議論されて実現してこなかったのは、そうした事情が言葉にあるからである。

だから例えば国や地方の選挙の際、候補者が、「国民、市民の生活の向上を目指します」「住みよい町を作ります」「持続可能な社会を目指します」なんつっても、毫ごうも心に響かず、なんとも空疎であるよなあ、という慨嘆だけが口をついて出るのだが、それはなにも政治家が馬鹿だからではなく、言葉というものがそういう性質を有している以上、仕方のないことなのである。

そうした言葉と実情の懸隔を埋めよう、或いは橋を架けよう、と日々、努力している人たちが居る。誰か。小説家である。

小説家はともすれば実態・実情から浮きあがり、真理・真相に、フラフラア、フラフラア、と近づいていく言葉を捕まえ、再度、実態・実情に埋め戻すことから生じるエナジーを推進力としておもしろき物語を生み出す、ということを日々これおこのうているのである。

しかし、惜しむらくはその際、小説家に与えられる道具もまた言葉であるという点で、言葉を用いる以上、言葉の性質によって、その内容が実態・実情から遊離して、真理・真相の側にウカウカと近づいてしまう危険が常にある。

また、附言をするなれば、実態・実相に日々直面し、その辛辣過酷なるを熟知する人民大衆というものは、言い換えれば読者というものは、美しげな真理・真相を好むもので、「この本にはいったいどんな真理・真相が書いてあるのだろう」くらいな気持ちで書物を手に取る者も少なくなく、そうした読者に阿(おもね)り、敢えて美しげな真理・真相のようなことを書き散らかし、それが十八万部くらい売れてしまった経験を持つ者はなかなかそこから脱却できないで、噓と知りながら、また、二番煎じ三番煎じで前ほどは売れないのにもかかわらず、言葉を用いて真理・真相を抽出し続け、そうこうするうちに己が生み出した噓の真実に中毒し、己の噓を己が信じるようになってしまう。

それは文学的な死であり、また、社会に害毒を撒き散らすことでもある。

私がそのことを知ったのは、『餓鬼道巡行』というグルメガイド本を執筆している最中であった。

その発端で私は建築論を語った。それは建築というものの真理・真相を鋭く衝いていた。しかし、論考を進めるなかで私は右に申したような、実態・実情からの浮きあがりを感じたのだ。そこで私は実体的な議論を展開するため、理論に即した自宅の改修工事、いわゆるところのリフォームを行うことにした。

しかし、その本の中で、リフォームの成り行きについては敢えて触れなかった。なぜなら、そこでリフォーム論を展開したところで、言葉というものが右のごとき性質・性格を蔵したる以上、その論考もまた、真理・真相の側に浮きあがっていくことは免れぬ、と考えたからである。

しかし、その後、多くの読者から、「あのリフォーム工事はその後、どうなったのか」という問い合わせがあった。なかには、「気になって夜(よ)の目(め)も寝られず、睡眠不足で仕事が捗らない」とか、「気になりすぎて鬱病を発症した。どうしてくれる」といった剣呑(けんのん)な内容のものもあり、それを気にして、私は夜の目も寝られなくなって仕事上のミスを頻発、しまいには鬱病を発症しかかって、そこで編輯者と相談のうえ、本稿を起こすことにした。

題して、「リフォームの爆発」。

内容は、私の自宅改修工事の進み行きとその結果について、であり、文章を書くにあたっては、徹頭徹尾、実態・実情の側について、真理・真相の側に浮きあがり、抽象論・観念論に堕することのなきよう、すなわち、絶対に真理を語らぬよう、細心の注意を払うつもりである。

とはいうものの、才能に恵まれぬ凡才ゆえ、言葉の性質に引きずられ、ウカウカと真理を語ってしまうこともあるやもしれぬが、その点についてはご寛恕(かんじょ)願いたい。

という訳で思わず前置きが長くなってしまった。早速、本論に入ることにするが、その前に、どういった順序で論考を進めるかをまず示しておこう。

一に、リフォームとはなにか。ということを示しておきたい。ただしそれは概論のようなものではなく、あくまでも実態・実情に即したものであるべきである。

つまりなぜ、リフォームをする必要があったのか。実際上、生活上の問題点・改善ポイントを列挙することによって、リフォームとはなにかということを明らかにしたい。

二に、リフォーム工事の進行、について明らかにしたい。これもドキュメンタリイの技法を導入するなどして、実態・実情に即した、というより、実態・実情そのものを提示することになるだろう。

三に、リフォームの効果、について明らかにしたい。一で挙げた、問題がどのように解決されたのか、或いはされなかったのか。豊富な事例・資料に基づいた議論を展開したい。

四に、リフォームの費用、について述べたい。これはもう端的に言って、銭金、の話である。こうした場所で銭金の話をするのは、下品の誹そしりを免れぬのかも知れない。そりゃあ、真理・真相にとって銭金などというのはまったくどうでもよい話なのかも知れぬ。しかし実態・実情にとって銭金は最重要課題で、むしろ銭金を中心にすべてが回っていると言ってもよいくらいである。そうした銭金、すなわち、ひとつびとつの工事になんぼくらいかかったのか。それは安いのか高いのか。いっさいのモザイクを廃して、すべてを明け透けに、そして克明に提示する所存である。

五に、リフォームの今後、について語りたい。実際上の見地から見て、今後、リフォームがどのようにあるべきか。理想的なリフォーム、経済とリフォームの関係、文学作品のなかのリフォーム、諸外国におけるリフォーム、国家とリフォーム、リフォームの宗教性、日本中世のリフォーム、宇宙的リフォームとは、といった議論を展開していきたい気持ちもある。まあ、ここまでが前置きということか。

町田康『リフォームの爆発』

マーチダ邸には、不具合があった。人と寝食を共にしたいが居場所がない大型犬の痛苦。人を怖がる猫たちの住む茶室・物置の傷みによる倒壊の懸念。細長いダイニングキッチンで食事する人間の苦しみと悲しみ。これらの解消のための自宅改造が悲劇の始まりだった――。リフォームをめぐる実態・実情を呆れるほど克明に描く文学的ビフォア・アフター。

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町田康

1962年大阪府生まれ。町田町蔵の名で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな』でレコードデビュー。俳優としても活躍する。1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表、同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他の著書に『夫婦茶碗』『猫にかまけて』『浄土』『スピンク日記』『スピンク合財帖』『猫とあほんだら』『餓鬼道巡行』など多数。

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