自宅リフォームの過程を呆れるほど克明に記した、『リフォームの爆発』が文庫になりました。不具合を解消したい――その気持ちが、悲劇の始まりでした。マーチダ邸の話に入る前に読んでおきたい、前回から続く岡崎家の雨戸問題です。
* * *
その日、岡崎は風邪を引き込んで仕事を休んでいた。
といって重篤な症状ではなく、平生はこれくらいであれば仕事に出掛けていたのだが、このところくさくさしていた岡崎は佳枝に電話をかけさせて仕事を休んだのであった。
そんなことで岡崎は午前十時頃までは寝床でうだうだしていた。
しかし、ただ横になっているだけではだんだん退屈になってくるし、腹もすいてくる。
週刊誌か新聞を読みたいものだ。そして、朝午兼帯の飯も食べたい。そうしたものをブランチとかいう気取った連中を蹴り殺したい。って、噓、噓。今日はオレ、そんな元気ねぇ。
そんなことを思いながら岡崎は寝床を出て、いまどきは、リビングダイニングルーム、なんていうのだろうが、岡崎方にあってはいかにも茶の間という風情の六畳間に入りごんで、週刊誌を読んだり、台所に立って湯を沸かし、カップ麺とクロケットを食するなどした。ふと目を遣ると縁側の向こう側で雨戸が壊れまくっていた。
岡崎はテレビジョンの電源を投入した。テレビジョンではオイスターソースを巧みに使った料理の紹介をしていて、そのいち過程、いち過程に、タレントが大仰に驚き、感心し、賛嘆していた。岡崎は無表情だった。
三分くらい、岡崎は無表情で人々が料理をする様を眺めていたが、広告宣伝が始まったのを機に無表情のまま立ち上がって茶の間から廊下に出た。
廊下に出た岡崎は玄関の方へ進み、疣付(いぼつき)健康サンダルを履いて玄関を出た。
玄関を出た左手に人造石の門柱が立っている。
門に続いてコンクリートブロックの塀が敷地を囲っていた。そのコンクリートブロックの一部を毀こぼって郵便受けが取り付けてある。
岡崎はこの郵便受けの裏蓋を開け、中腰になって奥の方まで手を突っ込んで新聞を引っ張り出した。
広告チラシが本紙の倍も入っている新聞は嵩(かさ)があり、狭い投入口に無理矢理に突っ込んであった。それを無理に引っ張り出すものだから、もっとも重要な第一面が破れてしまうのだった。
「だーからー。新聞はここに入れず、玄関の脇横に入れろ、と言ってあるだろう」
と言って顔を顰(しか)めた。
そう。岡崎はそうして第一面が破れてしまうから、と新聞については門柱脇の郵便受けに入れるのではなく、玄関脇に作り付けてある郵便入れのベラベラに入れろ、と配達人に直接に言い、また販売所にも電話をかけて言っていた。
言って暫くは玄関脇のベラベラに入れる。
ところが一週間もするとまた忘れて、門柱脇の郵便受けに入れるのだ。
実際、玄関脇のベラベラに入れてくれれば、わざわざサンダルを履いて門のところまで行く必要はなく、雨の日や冬の寒い日など、どれほど楽かわからない。というか、豪雨の日など、新聞がずくずくの固まりになって読めなかったことだってあるのだ。さすがにそのときは販売店に苦情を言って新しいのを持ってこさせたが。
岡崎はそんなことを思ったが、さらに、そもそも田丸さんはなんで……、と思った。
玄関脇の郵便受けは、玄関扉の明かり取り壁のようになったところにベラベラの口がついていて三和土(たたき)にスポンとダイレクトに落ちる方式のもので、新築時からついていたものと思われた。ということは、それがあるのにもかかわらずわざわざ後から門柱脇に郵便受けを新設したわけで、そもそも田丸さんはなんでコンクリートブロックの塀を毀(こぼ)ってまで、わざわざ不便な外に郵便受けを取り付けんだろう、と岡崎は思ったのだった。
そのあたりの心理や経緯を類推して描いてみせれば、「義父の郵便受」という短編小説を物することもできるが、しかしそれはいまは関係がないのでやめておくことにして、先へ進むと、とにかく岡崎はそんな郵便受けから引っ張り出してきた新聞を持って茶の間に戻ると、これを畳の上に広げ、胡座(あぐら)をかいて前屈したような姿勢でこれを読み始めた。
というと少し違う。
脇から見ると読んでいるように見えるのだが、実は岡崎は記事を文章として読んでおらなかった。ではなにをしていたかというと、ただ模様として眺めていた。
そのときの岡崎の頭の中を文字に起こしてみると、なるほど。これは平仮名でございますな。ああ、多く平仮名がありますな。ああ、でも漢字もあってゴイス。そのうえ写真やなんかもありおりはべり。
といったようなことを目から脳の中に流し込んでいたのである。
そんなことなのであれば、新聞なンどは購読しなくてもよさそうなものであるが、どういう訳か岡崎は新聞をとることをやめなかった。
そのことは、田丸光輝氏が、わざわざ不便な郵便受けをこしらいたことと関係があるような感じがあったが、まあ、それはよいとして、とにかく岡崎はそうして新聞を眺め、次々頁をめくっていき、ついに最後のラジオテレビ欄にたどり着いて、新聞をたとんで脇に置き、こんだ、分厚いチラシの束に手を伸ばした。
いまどきはチラシのことを、フライヤー、なんどと小癪な名称で呼ぶらしいが、まことにもっていみじきことだ。
と、そんなことを岡崎は思わなかったが、チラシなどというものはその、モノやサービスを売って銭を儲けたい、という意図がはっきりしているので、自分にとって必要なモノやたまたま購入を検討しているモノについては精読するかも知れないが、大抵は一瞥して捨てられる。
ところが、そのチラシを岡崎は新聞本紙とは打って変わった熱心さで精読した。
勿論、スーパーマーケットの特売チラシなどは貧しい岡崎にとっては有益なtipsであったが、岡崎は、女の美顔痩身術、ブランド品買い取り、マンション分譲、といった自分とは縁の薄そうなチラシも熱心に読んだ。
ほっほーん。女の美顔とはこのようなカラクリを有しておるのか。げにおそろしきことかな。それにつけてもこの女のbefore顔は、ううむ。げにおそろしきことかな。
そんな慨嘆を抱きながら岡崎はチラシを読んでいったが、ある一枚のチラシを読んで、あややや、と声を上げ、他のチラシを読むときより一層、熱心にこれを読んだ。
チラシには、網戸、浴室、畳、カーペット、トイレ、障子という文字と数字と、不鮮明なモノクロ写真が掲載されていた。
チラシは即物的で、美人が笑っていたり、花があしらってあったり、ということはなかった。
そのチラシを食い入るように眺めて岡崎は、またぞおろ、あややや、と言った。
そして岡崎はチラシにある文字を探した。
雨戸、という文字であった。
果たしてその文字はあった。
チラシに、雨戸、という文字を見つけた岡崎は人生の不可思議に思いを馳せた。
岡崎は思った。
俺は雨戸のことでずっと気を腐らせてきた。なんとかせねばならない。と思ってきた。そんな俺がたまたま手に取った新聞に入っていた広告チラシに雨戸のことが載っているなんて。ちょっと素敵ぢゃないか。
岡崎はそんなことを思ったのだった。思っただけではなく岡崎は、岡崎真一は、その一枚のチラシに掲載されたフリーダイアルに電話をかけた。
そのことが、その一事が岡崎さんを救ったのだ。
その間、様々のことがあったが、結論から言うと、岡崎真一さん方の雨戸は新しくなった。
しかもである。元々、岡崎さんの家の雨戸は、昔ながらの戸袋から引き出す式の雨戸であった。
それがいま風のシャッター式の雨戸に変わったのである。もはや、雨戸の開け閉てにはなんの苦労も苦痛もなかった。
なにしろ、片手でスルスルと降りてくるのだ。片手でスルスルと上げることができるのだ。資金の関係で電動式にはできなかったが、岡崎さん、岡崎真一さんの場合はそれでも十分に満足だ。岡崎さんは言う。
「毎日の雨戸の開け閉てが楽しみでなりません。意味もなく開けたり閉めたりしてしまうんですよ」
雨戸が新しくなって岡崎さんは性格まで変わったようだ。妻の佳枝さんは言う。
「最近では洗いものやなんかしてくれるんですよ。前の雨戸のときは考えられなかった」
そんな佳枝さんに、そんなことはないだろう、と口を尖(とが)らせる岡崎さんだが、自分でも性格が変わったように思います、と言う。
「以前の自分ってなんだったんだろうな、って思います。結局、同僚とも家族とも距離を置いて、自分の殻に閉じこもっていたんだなあ、って。それでますます孤立して、ますます寂しくなっちゃって、それで気に入らないことがあったら空手で人を脅したり、ものを壊したりして。いやあ、お恥ずかしい限りです。でも、あのとき雨戸を壊したからこそ、こうして雨戸がこんなによくなった訳で、結果、オーライかなー、とも思ってます」
「普通は自分で壊さないでしょ。職人さんが壊すんじゃないの」
佳枝さんにそう言われて岡崎さんは、照れたような笑いを浮かべた。
話を聞いて思ったことがあった。性格がよくなった岡崎さん。年老いた田丸御夫妻に家を返すつもりはないのだろうか。そこでストレートに訊いてみると、
「いやー。自分、性格変わりましたけど、人間、そこまでは変わりませんよー」と笑った。
そしてその後、岡崎さんは、ふっと真顔になって言った。
「でもね、結局、僕は自分をまともに遇しようとしない社会に不満を抱いて、社会に対して非常な怒りを覚えて暴れ狂う、みたいな毎日を送ってたんですけど、いまになってみると、それってなんだったんだろうなあ、って思うんですよね。だって雨戸がこんなによくなったことで、そんな気持ちが、なんて言うんだろう、なんかこう、スーッ、と消えちゃった、って訳じゃないけど、スムーズに雨戸が開いたり閉まったりするたんびに感じる小さな愉悦によって覆い隠される、っていうのかな。簡単に言うと、癒やし? なんかそんなん感じるんですわ。怒りは実はいまでもあるんです。でも、雨戸を開けると、今日も一日、頑張ろう、と思えるんです。夜、雨戸を閉める度に、今日もいい一日だった、食パンがうまかった、みたいな感謝の気持ちが湧いてくるんです。だからね、僕には野望があるんです」
遠くを見つめるような目で、しかし、きっぱりと言う岡崎さんに、「はは、野望ですか」と笑って問うと、岡崎さんも小さく笑い、それから真顔で言った。
「雨戸は確かによくなりました。完璧と言ってよいでしょう。しかし、僕はこれで終わらせたくないんです。いざ、こうして雨戸がよくなってみると、いかに僕たちがいろんなことを我慢してきたかが明らかになってきたんです。前は、そんなもんだ、と思って諦めていました。っていうか、意識すらしてなかったんです。でも、ちょっと手を入れるだけでこんなによくなるんですよ。そして確実に日々の生活が変わる。だったら僕は、そうして僕らが我慢してきたことを解決していこうかな、と思ったんです。思ってしまったんです。勿論、お金はかかります。だから、すべての問題を一挙に解決することはできません。少しずつです。でもひとつびとつ問題を解決していけば、いつかはすべての問題がなくなって、まるでパラダイスのような家が完成するんじゃないかな、って思うんですよ。そうすれば僕も……」
と、岡崎さんはさらに遠くを見るような目で言った。岡崎さんも? と問うと岡崎さんは続けていった。
「もう少し、マシな人間になれるんじゃないかな、って思うんですよね。雨戸でこれだけ変わったんだから、それ以外の不具合を直していけばもっともっと変われるんじゃないかなー、って。でも、ホント思うんだけど、これって凄いことですよね。だって僕、もう五十ですよ。五十にもなったら人間、もう変わらないと思うじゃないですかあ? それが変わるんですよね。変われるんですよね。だからホント、諦めちゃいけないんですよ。このことは息子にも教えていきたいなあ、と思います。もう、何年も会話してないんですよ。まあでもそれはいいとして、僕は次は、郵便受け、これをなんとかしていこう、と思います。あの面倒くさい郵便受けがなんとかなったら、どんなに素晴らしいだろうと思うと、なんだかワクワクしてきます。あれがなんとかなったら、その次は増築工事をしてお義父さんたちを呼び寄せるかな」
と言う岡崎さんに佳枝さんが横から、「そんな、お金がある訳ないでしょ」と言うと、岡崎さんが、「敷地面積もないしな」と返し、一同、大笑いとなった。
とにかく岡崎家が笑いの絶えない家となったことは確かなようだった。