超有名なのに、みんな実は内容をよく知らない福沢諭吉の『学問のすゝめ』。この名著を、橋本治さんが鮮やかに解き明かした『福沢諭吉の『学問のすゝめ』』から、試し読みをご紹介。
『学問のすゝめ』は、まだ庶民が“江戸脳”で、「自由」も「平等」も「明治政府」も「天皇」も「藩と国の違い」もよくわかっていない明治5年に出版され、当時20万部の大ベストセラーになりました。一体、何が当時の人々を熱狂させたのでしょうか?
橋本治さんの目からウロコの解説の中から、試し読み初回は「自由独立」についての重要な箇所をピックアップ! 熱血講義のスタートです。
「自由」+「独立」で
「自由独立」という一語がカギ。
ここまでのところを整理しますと、福沢諭吉は『学問のすゝめ』初編で、「学問をして独立をしろ」と言っています。「徳川幕府もなくなり、身分制もなくなったのだから、学問をして独立しろ」です。普通だと、「徳川幕府もなくなり、身分制もなくなったので自由になった」ですませることですが、福沢諭吉はそれを素っ飛ばして「独立しろ」です。「独立」を可能にするためには、当然「学問」が必要なのだから「学問をしろ」になって、だからこその『学問のすゝめ』です。
初めは初編の部分だけで完結することになっていた『学問のすゝめ』は、つまり「読者よ独立せよ」と言う本で、前々回にも言いましたように、福沢諭吉の言う《独立》は、「なにかへの依存状態からの脱出」ではなくて、「埋没状態から抜け出す」です。福沢諭吉の言う《身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり。》という文脈からすればそう理解すべきではあろうと思いますが、ややこしいのはここに、《自由》がからんで来ることです。
福沢諭吉が「徳川幕府もなくなり、身分制もなくなったので自由になった」という言い方をしない理由はもう明らかで、明治時代にならなくても「自由」はあったし、その「自由」は我々の思う「自由」とは違う「わがまま勝手」に近いものだったからです。だから《独立》を説いた後の福沢諭吉は「自由とわがままは違う」と言って、《自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。》と言います。そのことによって、「わがままとは他人に迷惑をかけることだな」と分かりますが、じゃ「他人に迷惑をかけない」である「自由」がどんなことかは分かりません。その説明を福沢諭吉はしていないのです。それをしない代わりに、福沢諭吉は《自由》と《独立》をドッキングさせて、《自由独立》という言葉を使い始めます。
それまでの《自由》とつながる言葉は、「なんでも出来ちゃう」系の《自在》で、「わがまま勝手の問題点」を語る時には、《仮令(たと)い酒色に耽(ふけ)り放蕩を尽すも自由自在なるべきに似たれども》と《自由自在》の語を使いましたが、今度は《自由独立》です。
《仮令い酒色に耽り──》で「わがままはだめだよ」と言った後に福沢諭吉が続けるのは、《また自由独立の事は、人の一身に在るのみならず一国の上にもあることなり。》です。
福沢諭吉は、「国家のこと」と「個人のこと」を平気で同列にしてしまいます。だからこの文章もいささか分かりにくいのですが、はっきりしていることは、《独立》とペアになった《自由》は、《自在》とコンビを組んでいた《自由》とは明らかに違う、ということです。
「自由」はなければ困ります。でも、その「自由」が今まで通りのものだったら、なんの役にも立たないので、これまた困ります。だから《自由》に《独立》の語をくっつけて、「今までの《自在》とくっついていたのとは違う《自由》だよ」にしたのです。「なんでそんなめんどくさいことをしなくちゃならなかったのか?」ということもありますが、でも《独立》とドッキングすることによって、《自由》に freedom や liberty の意味が加わったことは事実で、そのことによって《独立》の中に隠されていたある意味も浮かび上がって来ました。《独立》の中に隠されていた意味というのは、私が「違う」と言っていた「なにかへの依存状態からの脱出」です。
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「なにかへの依存状態からの脱出」とは、これいかに? 当時の日本は、欧米列強からの圧力はあっても、支配されていたわけではありません。れっきとした独立国です。個人も(一応)平等になり、何かに支配されていたわけでも、依存していたわけでもないはず。では諭吉が言った「独立」の中に隠された意味とは何なのでしょう? 第2回へ続きます。