名著『学問のすゝめ』を、橋本治さんが鮮やかに解き明かした『福沢諭吉の『学問のすゝめ』』。「いろいろ解説されているようだけれども、結局、『学問のすゝめ』には何が書いてあるの?」と思っているみなさまに、かいつまんでご説明できる箇所をご紹介しましょう。
『学問のすゝめ』はノウハウ本じゃないことを、
しつこく押さえておく
福沢諭吉は、鬼の形相で「勉強しろ!」と言います。《人民もし暴政を避けんと欲せば、速やかに学問に志し自ら才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからず。》と。最後の《登らざるべからず》というのは二重否定で、「さっさと政府に相対して、同位同等の地位に登れ!」です。昔の言い方だからしょうがないのですが、福沢諭吉は「同位同等の立場に立たなくてもいいのかよ!」という言い方で、「さっさと同等になれ!」と言っているわけです。
なんだってここに「さっさと」などという福沢諭吉の言っていない余分な言葉が入るのかと言えば、『学問のすゝめ』二編の《人民もし暴政を避けんと欲せば》の前に、《人民の無智》に関して《その挙動は殆(ほとん)ど人間の所業と思われず》というような、とんでもなく過激な悪口を書き連ねているからで、「そういう人だったら、きっと焦(じ)れて〝さっさと勉強しろ!〟くらいのことは言ってるんだろうな」と、私が思うからです。
というわけで、ここから話はもちろん、不親切な方へ 進みます。なぜかというと、『学問のすゝめ』を書く福沢諭吉は、「私はすすめます」という形で「勉強をしろ!」と言っているだけで、「あなたが勉強しなければならないのはこういうことなのです」と、「学ぶべきことの内容」を親切にダイジェストして、教えてくれているわけではないからです。
うっかりすると誤解されてしまいますが、『学問のすゝめ』はただ「学問をすすめている本」で、「これ一冊であなたに必要な学問のあらましが分かる本」ではありません。近代になったばかりの日本に登場した『学問のすゝめ』は、「近代に向かう日本人が学問をするための前提」を説いた本で、「これからの日本はこうなるから、こういうことを知っておけば大丈夫」というようなことを語る、ノウハウ本ではないのです。
福沢諭吉は、「私は学問をすすめる。あなたは学問をする」という分業態勢を読者との間に構築して、「この先あなたが必要とする学問には、これだけの種類がある」と『学問のすゝめ』の初編や二編でその種類を紹介しているだけなのです。
「私は紹介した。だから君らは、それを適宜(てきぎ)選んで学ぶように」と言って、それだけなのです。その点で福沢諭吉の言うことは単純で、「勉強しろ!」のそれだけです。「テキストはそこら辺にあるはずだから、それを使って各人必要と思う勉強をしろ!」です。『学問のすゝめ』はそれを言う本で、だから『学問のすゝめ』はそれだけなのです。がしかし、それだけであるはずの『学問のすゝめ』は、初編から始まって十七編まであります。「勉強しなさい、勉強しろ!」ですむだけのものであるはずなのに、福沢諭吉はどうしてそんなにも長くエンエンと書き続けるのでしょう? 「勉強しろ!」の一言ですむような『学問のすゝめ』のその後 にはなにが書いてあるのでしょう?
前回にも言いましたが、『学問のすゝめ』の二編と三編は、「初編の内容をもう少し説明しておこう」で書かれた、拡大版です。
《人は同等なる事》と題されて書かれた二編の部分は、初編ではあまりはっきりと言われなかった「政府と国民の関係」です。どうしてこれが《人は同等なる事》と題されなければならないかというと、長い日本の歴史の中で、日本人は「政府関係者」と「一般日本国民」を同等のものと考える習慣がなかったからですね。近代以前の日本人は「政府関係者」のことを《御上様(おかみさま)》と言っていました。《御上様》と敬語だらけで呼ばれるものが、「自分達普通の日本人」と同等であるはずがありません。だから、「そうじゃないよ。政府と国民は同等なんだよ」と、福沢諭吉は言うのです。
私は何回同じことを言ったか知れませんが、福沢諭吉の『学問のすゝめ』は、「今となっては当たり前になってしまっていること」に初めて出喰わす日本人に、「それはこういうことだよ」と説明する本でもあります。既に「当たり前」になっていることを改めて説明されると、「なに言ってるんだろう?」と思って混乱してしまうこともありますから分かりにくいのですが、でも今「当たり前だ」と思っていることが、「そもそもこういうところ から始まったのか」と考えると、いろいろなことが発見出来ます。その一番大きな発見は「ボタンの掛け違い」でしょう。
初めはそんなつもりはなかった。でも、いつの間にか時間がたつと「なんかへんだな?」ということになってしまっていることがよくあります。いっぱい並んでいるボタンを一つ一つはめて行く内に、ボタンの掛け違いが起こったりするのですが、よく考えてみると、この「ボタンの掛け違い」にもトリックがあります。「初めはそんなつもりがなかった、けれどもいつの間にか──」の部分です。こういう言い方をすると、「初めはちゃんと分かっていた」ということになりますが、ボタンの掛け違いをするような人が、本当に「初めは分かっていた」であるのかどうかは分かりません。「一番初めにちゃんと分かっていなかったから、後になればなるほどメチャクチャになる」という種類のボタンの掛け違いだって、いくらでもあるはずです。
福沢諭吉が『学問のすゝめ』で書くことは、一番初めの《天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり》から始まって、当時の日本人にとっては「初めて聞くこと」だらけです。だから、当時の受け手がこれをきちんと理解出来ていたのかどうか、また福沢諭吉がその「初めて聞くこと」をちゃんと説明出来ていたのかどうかだって、分かりはしないのです。
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当時の状況は、確かに今となっては分かりません。けれども『学問のすゝめ』を通じ、これから世界を学ぶというまっさらな明治時代に遡ると、現在こじれている様々な問題の原点が、確かに見えてくるような気配がします。
次回からは、橋本治さんの、画期的かつ“おもろ”な『学問のすゝめ』解説名言を、短くお届けします。