イスラエル料理は豆料理
帰宅して間もないのだろうか。招き入れられたロフト付きのワンルームマンションは冷え切っていた。それにも関わらず、大柄のイスラエル人の中年男性は黒いTシャツ一枚である。しかもスキンヘッド。イスラエルって寒さに強い国だっただろうか。
「スグ デキマス」
彼は僕を二人掛け用のソファに座るよう勧めるとキッチンへ戻って行った。
エアコンが動いている音はするが、ロフトなので天井は高く、部屋が暖まるまでには少々、時間がかかりそうだ。失礼だとは思いながらコートを着たままカバー代わりのシーツで覆われたソファに座る。
彼が料理の準備をしている間、スマホに「イスラエル 年間気温」と打ち込んだ。イスラエルが首都だと主張するエルサレム(国際連合は、イスラエル第二の都市テルアビブを首都と主張する)の平均気温は17. 5度。わかりづらいので日本と比べてみる。日本で二番目に平均気温が高い鹿児島県と三番目に高い宮崎県の平均気温の間くらいである。少なくとも寒い国ではない。だとすると彼自身が寒さに強いのだろうか。
小さなシンクと電気コンロ一つしかないキッチンの前で彼は身体を小さくしながら鍋の様子に見入っていた。彼の足元には小さなホームベーカリー機器が置かれ、蓋は開いたままで、中には正方形のこんがり焦げたパンの塊が見えている。
彼は黒いタッパの蓋を開け、ソファの前に置かれた小さなテーブルの上に置いて英語で説明を始めた。タッパの中には水に浸かった生のひよこ豆が入っている。キッチンでは前の晩から漬けておいたひよこ豆を茹でているそうだ。生のひよこ豆と茹でたひよこ豆の両方使ってフムスを作るらしい。
フムスとはひよこ豆をつぶしたペースト状のサラダのようなものである。中東では一般的な食べ物でアメリカやイギリスではフムスをサンドイッチに塗って食べることもある。
説明を終えると再びキッチンの方へ戻って行き、パクチーやレモンなどの食材、ミキサー、まな板、包丁など行ったり来たりしながら、次々と置いていく。
大柄な彼が忙しなく動いているので、「手伝いましょうか?」と立ち上がると「ダイジョウブ、ダイジョウブ オワリマシタ」と彼は手で制し、テーブル脇の床に腰を下ろした。
茹でたひよこ豆と黒いタッパから水に漬けただけのひよこ豆をミキサーに入れ、スイッチを入れ、一気に砕く。
「コレ ワカリマスカ?」
小鉢に入ったペースト状の物を僕の鼻に近づける。白ごまの香りだ。その上からレモンを搾り、かき混ぜた後、ミキサーの中に入れ、再度、スイッチを入れる。
「フムス デキマシタ」
彼はミキサーのスイッチを止め、粘り気のあるムースのようなひよこ豆のペーストをボウルに移し替える。フムスについて更に説明を加えたが、僕はその英語が理解できず、かといって彼は日本語で説明することもできず、もどかしそうだった。彼とは簡単な英語のメールでやりとりし、今日、会うことになった。日本語ができると英語で書いてあったが、実際、会ってみると日本語で会話するには多少、無理がある。彼から言わせれば、僕がここまで英語が通じないとは思っていなかっただろう。
星新一の本が置いてある理由
彼はキッチンから再び茹でたひよこ豆を持ってきて、ミキサーの中に放り込んで砕く。次にパセリとパクチーをまな板の上で刻み、ミキサーに放り込み、再びスイッチを入れる。ひよこ豆のクリーム色から若干、緑がかった色へ変わっていく。彼は、そのミキサーを持ってキッチンへ向かった。すり潰したひよこ豆を団子状にして揚げ、ファラフェルを作るらしい。
ファラフェルとは豆をすりつぶして作る中近東のコロッケで、そら豆とひよこ豆を混ぜ合わせる国もある。エジプトは、そら豆だけを使ったファラフェルを「ターメイヤ」と呼び、これをエイシ(ピタに似た塩気のあるパン)に挟んで食べたりもする。第二次世界大戦から数年後、つまり、イスラエル建国時、国内は肉不足だった。そこで新国民はひよこ豆でタンパク質を取っていたらしい……とファラフェルの説明が書かれたスマホの画面から顔を上げる。
飲み物がないので手持ち無沙汰だ。尻を滑らせ、ソファから床の上の一畳敷のカーペットの上に座り直し、改めて室内を見渡す。ソファとカーペット、その上に置かれた小さな折り畳みのテーブル、ロシア語で書かれた背表紙の本と小物が並んだメタルラックが一つと窓際にスキャナーとi-Bookが無造作に床に置かれ、壁に馬や人物の顔が描かれたスケッチが何枚か貼られているだけの生活感のない部屋である。
ソファの脇に大きめの段ボール箱が一つ置かれていた。蓋が開いてないので引っ越してきたばかりかと思ったが、ソファの下の床面の埃具合からすると引っ越してから、そのまま置かれて時間が経ってしまったようにも感じられる。段ボール箱の上には、カバーがない星新一の文庫本が置かれている。日本語を話すことは堪能ではなくとも本を読むことができるのか、それとも星新一の短編で勉強しているのか。メタルラックのロシア語の本も含め、謎である。
キッチンペーパーを敷いた上に揚げたてのファラフェルが載った皿と先ほど彼の足元に転がっていたホームベーカリーのパンを持って戻ってきた。まな板の上にパンを載せ、ナイフで切り分け、白い皿の上にパンを置いた。
彼はパンにフムスをつけ、食べる見本を見せてくれた。彼と同じようにスプーンでフムスを取ってパンにつけ、口にする。白ごま風味の豆のペーストで、レモンの香りもほのかに漂う。けっして、まずくはないが、感激する程、美味しくもない。作っている時から想像していた味である。しかし、ほどよい酸味もあるライ麦のパンとフムスとの相性はいい。
「パン ツマ ガ ツクリマシタ」
「妻」という言葉に「えっ?」と聞き返す。再度、「ワイフ?」と英語で尋ねると「イエス」と返ってきた。彼には日本人の奥様がいらっしゃったのである。星新一の文庫本は奥様が読んでいるのだそうだ。奥様はアニメーターで仕事柄、不規則で帰宅時間は深夜になることが多く、今も仕事をしていると言った。壁に貼られたスケッチは彼女が描いたのだろう。
彼は家の中でも奥様とは英語で会話していて、彼が勤める会社も英語が通じてしまうので、なかなか日本語が上達しないと嘆いていた。
「ニジュウ」という単語が二十と聞こえるまで時間がかかり、手で二と○を作って「トエンティ」と言い直す。日本での就職はかなりの困難をきわめ、二十社の面接に落ちたらしい。二十一社目の面接で受かったIT企業で現在、スマホのエンジニアをしているそうだ。片言の日本語と僕の日本語、僕の片言の英語と彼の流暢な英語を交えながら会話を進めることにも徐々に慣れてきた。
僕の仕事を聞かれ、「ライター」と答えると彼は僕が小説家だと思ったらしく、どんなノベル(小説)を書くのだと聞いてきた。僕は小説家ではないと答える前に、彼は、三島由紀夫、太宰治、安倍公房…彼の日本人の好きな作家を次々と口にした。あまりにもキラキラした目で言うので、訂正しにくくなってしまった。あらためて旅について書くライターなのだと説明すると少しがっかりしたような顔になった
彼は日本人の小説家だけではなく、邦画にも詳しかった。黒澤明監督の話になると再び目がキラキラし、彼が好きな黒澤映画のタイトルを言おうとするが出てこない。彼は窓際に置かれたマックブックを取り出し、打ち込んだ。
「ラ…ショ…モン」
どうやら「羅生門」が一番好きな作品らしい。口数が少ないと思っていた彼が急に饒舌になり、奥様との日常会話が垣間見えてくるような気がした。
ロシア生まれ、イスラエル移住のユダヤ人
肉団子のような形をしたファラフェルもようやく手で触れるくらいの温度になった。それでも中は熱いのでハフハフしながらいただく。外はカリッ、中はほくほくと柔らかく美味しい揚げ団子といった感じである。
「ワタシ ロシア ウマレマシタ」
イスラエルでの子供時代の話を聞こうとしたら、そう返ってきた。彼はユダヤ人だが、ロシアで生まれ育ったのだ。本棚のロシア語の本の理由が明らかになる。こうして部屋に置かれた物の謎が一つずつ結びついていく。
現在、ユダヤ人は世界に1400万人近く存在する。500万人は民族独自の国であるイスラエルに、500万人はアメリカに住み、残りの400万人は様々な場所に散らばっている。18世紀までロシアは世界で一番ユダヤ人が多い国だったそうだ。スターリンはユダヤ人だったとも言われ、少なくとも彼の祖母と妻はユダヤ人だった。しかし、そんな彼がユダヤ人に対し粛清を行い、ソ連のユダヤ人たちは差別を受けたそうだ。
彼はロシアからイスラエルに移動した理由について語らなかった。というより語りたがらなかったように見えたので僕も、それ以上は聞かなかった。とにかく彼を含めた家族はソ連崩壊の混乱の中、イスラエルに渡ったそうだ。「ニゲル(逃げる)ヨウニ」。日本語が決して堪能ではない彼が日本語でつぶやいた。
彼の生活はロシア語からヘブライ語に変わった。人口の四分の三がユダヤ人を占める同じ民族独自の国に移り、どんな暮らしが待っていたのだろうか。
「タノシクナイ」
どうやらロシアに友達が多く、イスラエルには少ないことが原因らしい。
「イスラエル パーティー スクナイ」
楽しくない一番の理由だと言う。彼はパーティーが好きなのだ。ロシアにいる頃は、週末になるとユダヤ人の友達とパーティー三昧だったそうだ。しかし、イスラエルではパーティーをする習慣があまりない。
「ニホン モット スクナイ。ツマラナイ」
そう言って肩をすぼめた。彼の言うパーティーは、ハリウッド映画などで見かける大きな邸宅に若者がたくさん集まって大騒ぎするようなパーティーなので、日本ではなかなか難しいだろう。東京ではなおさらである。
ロシアのパーティーでは、ウォッカを飲みながら騒ぎ、イスラエルに移ってからはアラックにグレープフルーツを絞っていれたものを飲んで騒いでいたらしい。僕が酒を持ってこればよかったなぁとつぶやくと、彼は、「ココ パーティー デキナイ」と笑った。彼にとって酒はパーティーで飲むものという感覚があるようだ。
「ハヤク カナダ スミタイ」
別れ際、彼がつぶやいた。彼にとって日本は、あまり住み心地がよくないらしい。彼の安住の地を求める旅は、まだまだ続きそうだ。