田中卓先生(皇學館大学名誉教授)のご冥福をお祈りし、2016年に公開した試し読み記事を、6日連続でリバイバル掲載します。
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皇統はなにがなんでも“男系・男子”でなければならないと主張する立場から、盛んに言われる「万世一系」の伝統とは何か——。これまで紆余曲折してきた議論の流れの一端がわかります。『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか ~女性皇太子の誕生』(田中卓著)から、連載第2回です。
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女帝・女系反対派が、盛んに「神武天皇」以来の「万世一系」の伝統──「男系男子」──と強調し、それに共鳴して三笠宮寬仁親王殿下が同様な御発言を繰り返されるのを見て、私には心中秘かに苦笑を禁じ得ないものがある。
というのは『諸君!』で別に連載した「祖国再建」(二十五回。まとめて青々企画より上下二冊の著書として平成十八年十二月に発行)の前半で、私が詳論したように、戦後の学界では、「神武天皇」の存在そのものを否定するのが通説であり、実在の証明されない神武天皇に因む “二月十一日建国記念の日” には断乎反対すると、東京大学の史学会総会で席をけって立ち去られたのが、他ならぬ、寬仁親王の御尊父・三笠宮崇仁親王殿下であったからである(拙稿、『諸君!』平成十七年八月号)。
当時は皇統の「万世一系」も疑われて、王朝交替論が流行していたのに対し、私は四面楚歌の中で「神武天皇」の実在を論証し、それ以降の皇室中心の「万世一系」を主張してきたのであった。
しかし公平に見て、まだ学界では私の努力が完全に稔ったとは思えないのに、昨今のマスコミに、これほどまでに“神武天皇以来の万世一系”説が一般化したことは、私には面映ゆい。
同時に注意すべきことは、安易に「万世一系」が唱和され、それが国体讃美の合言葉として独り歩きをすると、一種の皇国美化史観になりかねないという危険性である。
「万世一系」というのは、有数の歴代天皇の御徳望と、皇国護持に身命をささげた忠臣義士の誠忠の賜物であって、危機や辛苦なしに自然に導かれた国体の精華ではない。
まして単に男系男子の皇統をつなぐために、一部の為政者が工夫をこらして皇統系譜の連続を図ったというような軽薄な政略ではない。初めに私は、この点を指摘しておきたいと思う。
それとともに看過してならないのは、皇国美化史観的な「万世一系」論が、これまで眠れる獅子ではないが、レフト陣営の天皇制批判を目覚めさせ、奥平康弘氏の『「萬世一系」の研究』(平成十七年三月、岩波書店発行)等が、にわかに日の目を見るようになってきたことである。真に国体護持を考える学徒は、「女帝」問題に目を奪われるだけでなく、神武天皇の建国以来の国体の歴史について、今後はさらに深い研鑽に努めるべきであろう。