田中卓先生(皇學館大学名誉教授)のご冥福をお祈りし、2016年に公開した試し読み記事を、6日連続でリバイバル掲載します。
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8月8日の天皇陛下のお気持ち——ご年齢と体力の面から、全身全霊を持って象徴の務めを果たすことが困難に——は、一言一句が重く響いてくるものでした。
生前退位が実現すれば、現行の皇室典範では皇太子は不在になります。
陛下のメッセージにもあった「皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう」にするには、皇位継承の問題をどう考えていけばいいのでしょうか。『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか ~女性皇太子の誕生』(田中卓著)から、連載第4回をお届けします。
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「有識者会議」の女性・女系天皇を容認した報告書に対し、反対論者は、これを “初めに結論ありきだ ”と批判する。
しかしこれも、非難のためにする非難であって、上述のような危機的な現状のもとで、「わが国の象徴である天皇の地位の安定的継承」を維持するためには、先ず「皇長子」である愛子内親王を念頭に、女帝の是非を検討するのが、“第一の課題〈A〉”ではないか。
有識者会議が、それ以外を考慮して、臣籍降下(皇族がその身分を離れ氏を与えられて皇族でなくなること)された旧皇族の復帰まで議題(“第二の課題〈B〉”)にすることは、“第一の課題”すなわち女帝そのものが、わが国の国体護持の上で不当ないし不可である場合において、その次に考えられることである。
したがって、〈A〉の女帝が、日本の歴史・伝統の立場から、容認されると判断した有識者会議が、“〈B〉の課題”にまで踏みこまなかったのは、むしろ当然の成り行きである。
それを“初めに結論ありき”と悪口するのは、“第一の課題〈A〉”を無視、あるいは否定して、“初めに旧皇族の復帰ありき”とする議論にすぎない。一体、今の時点でそれを主張する論者は、戦後六十八年、なぜ、もっと早くこの旧皇族の復帰の主張や運動をしてこなかったのか、私には、むしろその姿勢こそが疑われる。