世の中には、難関といわれる試験をたやすく突破する人もいれば、何年頑張っても成果の出ない人もいます。この差はいったいどこから出てくるのでしょうか?やっぱり合格する人は、生まれつき優秀だからなのでしょうか?
開成→東大文Ⅰ→弁護士と、いわゆる難関試験を突破し
『結局、ひとりで勉強する人が合格する』を執筆した鬼頭政人さんによると、合格できるかどうかの分かれ道は、「独学のコツ」を知っているかどうかだといいます。ポイントは、いかに効率よく勉強し、それを持続させられるか。この連載では、いちど身につければ一生役立つ、独学のコツをご紹介いたします。
<ノートをきれいに取る必要はない>
少し前に太田あやさんの『東大合格生のノートはかならず美しい』(文藝春秋)という本がはやりました。それから「方眼ノート」や、それを使いこなすための書籍もたくさん出版されました。みなさん「ノートをきれいに書く」ということへの執着が強いのだなあと感じます。
ただ、はっきり言って、この“執着”には意味がありません。わかりやすくきれいにノートをとるにはどうしたらいいのか――。そう考えているとしたらあなたも、ノートの役割がまったくわかっていないと言えます。
正直、私は東大生で美しいノートにこだわっている人を見たことがありません。私が中学高校を過ごした開成でも、ノートが汚い人は非常に多かったです。『東大合格生のいちばん多い開成生のノートは本当に汚い』という後追い本を出したら、売れるのではないかと思うほどです。
自分のノートの内容を後から見返してわからない、というレベルまでいってしまうとそれはそれで重症ですが、きれいにわかりやすく整理されたノートをとっている、というのも同じくらい重症なのです。
何が問題なのか、詳しく解説しましょう。
まず「ノートがきれい」という場合、そこには2つの意味があります。1つは「多くの情報が整理して記載されている」ということ、もう1つは「単純に字がきれい」ということ、です。2つともに意味がありません。
そもそも、試験勉強におけるノートの役割とは何でしょうか。「勉強したことを整理するため」「習ったことをまとめるため」といった答えが頭に浮かんだ方、完全にアウトです。ノートの役割を思いっきり履き違えています。
試験勉強においてはインプットのための勉強道具として、必ず教科書、テキスト、レジュメといった教材があります。そしてこれらには、インプットに必要な情報がきちんと整理して掲載されています。情報の整理やまとめは、プロに任せればいいのです。
<きれいなノートは情報の羅列でしかない>
2つ目の「字がきれいなノート」も、目的に照らせばなぜ意味がないのか、おわかりいただけるでしょう。資格試験の講義の場で、よく板書を美しく丸写しする人がいますが、ノートは写経ではありません。お坊さんを目指しているならともかく、試験突破を目指すなら、まったく見当違いのことに力を注いでいることになります。
では、ノートはどう使うのが賢いのか。私自身は、ノートは記憶したり理解したりするのに必要なもの「だけ」を、「補助的に」書き留めておくものと決めて勉強してきました。逆に言えば、記憶したり理解したりするのに不要なものについては書いてはいけないということです。
莫大な情報が整理されているきれいなノートは、教科書やテキストやレジュメに書いてあることの丸写しに近いものになります。そんなノートを書く人は、実は全体像をつかめておらず理解していない、というパターンがほとんど。
必要な情報を「網羅している」のではなく、「取捨選択できていない」だけです。
そして、最もやってはいけないのが、きれいなノートのコピーです。理解していない人のノートをコピーして、あなたが理解できるはずがありません。おぼれる者はわらにもすがりますが、きれいなノートにだけはすがってはいけません。
かく言う私も、学生時代はテストの前になると、きれいな(情報が多くて字がきれいな)ノートを貸してもらい、コピーするという愚行に走っていました。そんなノートは、試験前には頼もしい存在に見えます。
しかし、情報の取捨選択がまったくなされていないので、実は極めて非効率な勉強になります。ノートをコピーさせてもらった身でありながら「なんでこんな奴のノートを借りてしまったんだ」と後悔した記憶があります。
<本当に頼れるのは、自作の「継ぎはぎノート」>
ここまで言うと、「じゃあお前のノート見せてみろ! どうせそこそこキレイなんだろう!?」という突っ込みを受けそうです。
私のノート、「読めるものなら読んでみやがれ」と言いたいところです。私は、テキストや教科書を読んで「記憶しにくい部分」だけをピックアップして自分オリジナルのノートにしていました。ポイントは、「記憶しにくい部分」であって「理解していない部分」ではないことです。
すでに、きちんとまとまっているテキストや教科書を読んで「理解できない」部分なのだから、同じ内容をノートに書いたところで理解できるはずがなく、これをノートに書いても意味がありません。それこそ、丸写し以外の何ものでもないムダな作業です。
私の場合、たとえば300ページある教科書だとすると、ノートはせいぜい10~15ページ程度に収めるようにしていました。あらゆる分野の事項を少しずつ飛び飛びに書いてあるので、他人が見ると支離滅裂なノートですが、自分が記憶していない事項だけが載っているノートができます。自分にとってはこういう「継ぎはぎノート」を見返すのが最も効率のよい勉強法なのです。
したがって、自分さえきちんと判別できれば、それ以上に丁寧に書く理由はありません。むしろ汚くてもなるべく速く字を書くことです。勉強にとっていちばん大切な「時間」という資源を、ノートの字をきれいに書く時間に費やしてはなりません。きれいな字を書きたい欲求があるのであれば、書道教室に行くのがいいでしょう。
私は、試験の答案など、人に見られることを想定している文書についてはある程度丁寧に字を書きますが(これも時間の関係上「ある程度」です)、自分が使うノートの字はかなり汚いです。他人が見たら「あ、この人は字が汚いんだ」と思われるような字を書いています。
もう1つ重要なのが、増えてきたノートを順次、捨てていくことです。
<ノートは理解したらどんどん捨てよう>
勉強のノートは、記憶したり、理解したりするためだけのものですから、自分が書いてある内容を身に付けたら、順次、捨ててしまうべきなのです。逆にノートを捨てなければ、いつまで経っても復習の量が変わらないし、すでに覚えていることを復習するというムダが生じるのです。
万が一捨ててしまったノートに書いた内容を忘れてしまっても、重要なことは教科書に書いてあるわけです。自分が覚えたものは捨ててしまうことにしてください。
ノートはあくまで勉強のサブ的な役割のものなので、もっと言ってしまえば「そもそもノートの取り方なんて気にするな、あくまでもサブだ」ということになります。過去問をやって、そこで重要なポイントをつかみ、メリハリをつけて教材を学習してください。ノートはあくまでサブなので、ノートの取り方など気にする必要はありません。
私のノートの写真を紹介しましょう。前述のとおり、試験勉強用の「ノート」は本当にほとんど捨ててしまっているので、写真は英語の勉強をしているときの「メモ」であり、これまで書いてきた「ノート」とは少し位置づけが違うものです。どちらにせよ、人が見て理解できるシロモノではないと思いますが。
開成→東大文Ⅰ→弁護士が教える 一生役立つ「独学」のコツ
世の中には、難関といわれる試験をたやすく突破する人もいれば、何年頑張っても成果の出ない人もいます。この差はいったいどこから出てくるのでしょうか?やっぱり合格する人は、生まれつき優秀だからなのでしょうか?
開成→東大文Ⅰ→弁護士と、いわゆる難関試験を突破し、『結局、ひとりで勉強する人が合格する』を執筆した鬼頭政人さんによると、合格できるかどうかの分かれ道は、「独学のコツ」を知っているかどうかだといいます。ポイントは、いかに効率よく勉強し、それを持続させられるか。この連載では、いちど身につければ一生役立つ、独学のコツをご紹介いたします。