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中山七里『作家刑事毒島』に出版界戦慄!

2016.08.26 公開 ポスト

出版業界のタブーに切り込む『作家刑事毒島』③

刑事なんかに、作家の気持ちは分からない!中山七里


出版業界って、どんなところだとイメージしますか? 中山七里さんの最新作『作家刑事毒島』を読むと、その片鱗が垣間見れるかもしれません。売り出し中のミステリー作家で刑事技能指導員でもある毒島真理は、捜査一課が手を焼く殺人事件を解決に導きます。容疑者として疑われるのは、プライドが高すぎる新人作家、手段を選ばずヒット作を連発する編集者、ストーカーまがいの怖すぎる読者と、出版業界のどこかで耳にしたことのある人ばかり…!? 新人作家、出版社志望者にはかなり刺激の強い本格ミステリー『作家刑事毒島』の試し読みを、5回にわたってお届けします。第3回は、いよいよ容疑者たちの取調べが開始!

 

                   * * *

犬養は記録係を他の捜査員に任せて、明日香の後ろに立っている。最初の相手は只野九州男、三十二歳で無職の男だった。
 無精髭を剃りもせず、何日かは洗っていないらしく頭髪には脂がぎっとりと浮いていた。口臭は糞便の臭いがした。
「只野さんは百目鬼さんに抗議文を送ったそうですね」
「当たり前だよ。でもまあ、抗議文というよりは講評に対する講評ってとこかな」
「講評に対する講評?」
「あいつがシートに書いた講評がいかに非論理的で、的外れで、無知で、下品なのかを丁寧に書いてやったのさ」
「人格を否定するようなことを書きやがって、殺してやる、とも書いてあったようですけど」
「そりゃあそうさ。俺の作品の価値が分からないヤツなんて、生きててもしょうがないからね。別に俺が手を下さなくても、他の誰かに殺されるか何かの事故でおっ死ぬかのどちらかさ」
 只野は傲然と胸を反らす。
「刑事さんは俺の作品を読んだのかな?」
「いいえ」
「何だ、まだなのかよ。ペンネームの天城まひろで書いているから分からなかったかな。読んでくれたら、俺の言ってることはもっともだって理解できると思うよ。『俺がどうしてもこうしてもあの娘を嫁にほしい理由』っていう大傑作なんだ。きっとまだあいつの部屋にあっただろうから、証拠品として押収されてるはず」
 大傑作なら、どうして一次の段階で落とされたのかと疑問が湧いたが、口にはしなかった。
「自分で言うのも何なんだけどさ。今まで六年近くワナビやってきたけど、これは本当に会心の出来でさ。出版されたら日本の文学を根こそぎ変えちまうような破壊力を内包してるんだ」
「只野さん、すみません。ワナビというのは何のことですか」
 すると只野は露骨に顔を顰めてみせた。
「何だ、そんなことも知らねえのかよ。ワナビってのは英語の〈wannabe〉、そうなりたい。つまりプロ作家を目指す人間のことだよ。ワナビにもヒエラルキーがあって、俺みたいなベテランはハイワナビって分類になる。分かる?」
 未だプロになれないベテランというのも意味不明だが、ワナビについて語る只野がひどく苛ついているようなので、深く尋ねることはしなかった。
「それからさー、俺のことはちゃんと天城まひろって呼んでくれないかな」
「でも本名が……」
「だっからあ!クソッタレの親がつけた名前なんて何も意味がないんだって。天城まひろは文学史上に残る偉大な名前なんだ。戸籍上の名前なんかより、ずっとずっと重要なんだよ」
 次の尋問相手は近江英郎六十六歳。昼間の公園のベンチに座っているサラリーマンのような、くたびれた男だった。ただしその外見とは裏腹に、口から吐き出される言葉は滑稽なほど威圧的だった。
「何だ、あんたみたいな若い娘がわしの担当か。もっと責任のある役職者はいないのか」
「参考人としてお話を伺うだけですので……」
「それにしても釣り合いというものがあるだろう。わしもずいぶんと舐められたものだな」
「近江さんは百目鬼さん宛てに抗議文を送られたそうですね」
「違うな。抗議文ではなく、無思慮無分別の若造にものの道理を説いてやったのだ」
「ものの道理、ですか」
「左様。あの百目鬼とかいうチンピラは、わしが送ってやった畢生の大作『夕陽への熱き猛る咆哮』に対して、失礼極まりない感想を返してよこした。おそらくわしの筆力や作品の構想に嫉妬したのだろう。まあ、大体フリーライターなどという輩は作家を志望したものの、己の才能のなさに挫折したヤツらなのだから、わしのような才能に嫉妬するのも分からんではないが、いくら腹いせにしてもあの悪口雑言罵詈讒謗の数々は到底許せるものではない。それで、貴様のようなヤツには天誅が下るのだと自然の摂理を説いてやったのだ」
 自分の声に刺激されたらしく、近江の口調は次第に熱を帯びてくる。
「あ、あ、あの下賤な下読みめ。言うに事欠いてわしの作品を中高生の作文もどきと同列に扱いよって。何が老年のマスターベーションか。何が鼻持ちならない自分語りだ。あの原稿用紙八百枚には、高度成長期という激動の時代を生き抜いた男の生き様が活写されている。この近江英郎が魂を削って作り上げた分身と言っていい。発表されるや否や必ず老若男女の心を打ち、主人公に自分を重ね合わせて奮い立つのは間違いない。そ、それをよくもマスターベーションなどとっ」
 近江がいきなり机に拳を叩きつけたので、明日香は反射的に肩を震わせた。
「流行りの軽薄なエンターテインメント、思わせぶり深刻ぶりの生っちょろい小説ではなく、日本全国民の指針となるべき平成の大ベストセラーになる傑作。それが器の小さな卑劣漢の思惑で、闇に葬られたのだ。この文化的な損失を贖うのに、あいつ一匹の命などでは到底足りるものではない。殺されただけで許されるものか。地獄の業火に焼かれるがいい」
 三人目は牧原汐里という二十六歳の女で、千葉市内の会計事務所に勤務していた。ショートボブにフォックス・フレームの眼鏡が似合う理知的な顔立ちなので、明日香の第一印象はまずまず良好だ。
 ただしそれも彼女が口を開くまでのことだった。
「あたしは百目鬼先生を殺していません。でも憎み足りないほど憎んでいたのは事実です。法律さえ許せば八つ裂きにしてやりたいほどでした」
「百目鬼さんに何かされたんですか」
「あたしの書いた作品をひどい言葉で容赦なく貶されました。あんなの講評でも採点でもありません。ただの悪罵です」
 今まで堪えていたのか、汐里の目にはみるみる涙が溜まり始めた。
「ひ、人が心血注いで書き上げた原稿なのに、資源ゴミだとか時間の無駄遣いだとか。講座の受講生だから、あたしが真剣に作家目指しているの知ってるくせに」
「百目鬼さんとは以前からお知り合いなんですか」
「小説講座の講師と受講生なので、年に二回、作品の講評をもらっています」
「結構、親しかったんですか」
「特に親しかった訳ではありません。あたしは百目鬼先生のケータイの番号も自宅も知りませんから」
「講師と受講生なのに?」
「講師の自宅や連絡先を教えると、皆が押し掛けるからって非公開なんです」
「でも書いたものを貶されたくらいで八つ裂きにしてやりたいというのは、ちょっと大袈裟じゃないんですか」
「刑事さんには創作者の気持ちなんて理解できないんです!」
 そして汐里もまた拳を机の上に振り下ろした。ひょっとしたら小説講座というところは小説の書き方ではなく、机の叩き方を教えているのだろうか。
「あたしは表現者になるために生まれてきたんです」
「でも、ちゃんとしたところに就職してるじゃないですか」
「会計事務所の事務職なんて誰でもできる仕事です。あたしにはあたしにしかできない表現、あたしならできる表現があるんです。同世代の女子のリアルを形にする才能があるんです。牧原汐里は平凡な会社員だけど表現者藍川しおりは絶対的な存在なんです。それを百目鬼先生や公募の選考委員は全然知ろうとしてくれないんです! いいですか刑事さん。現在、文学は衰退したと言われているけれど決してそんなことはないんです。確かに既存の文学はポストモダン以降は凋落の一途で、出版不況と相俟って小説がただの消費財になってしまった趨勢は否めません。でもそれは表現者と出版社の矜持と覚悟があれば、すぐにでも引っ繰り返すことが可能です。たとえばあたしの書き上げた作品はどこにでもいるような普通のOLが日常の呪縛から解き放たれて新しい生き方を模索するというスタイルなんですけど、単なる自分探しの旅じゃなくて、深い思索と哲学的な思考実験を繰り返して人間の実存に迫ろうという狙いがあります。口当たりはいいけれど精神内部にじわじわ効いてくる毒のような小説なんです。そこらにある自己啓発本みたいな読者迎合じゃなくて、あたしという人間は何者でどこから来てどこに行くのか、原初から文学の背負っている大命題を、あたししかできない切り口で拓いた壮大な物語なんです。出版されたら必ず芥川賞が獲れます。それが百目鬼先生には脅威だったんです。だから心にもない悪罵の言葉を並べ立てて、この成果を握り潰そうとしたんです。そんなことが許されると思いますか? だからあたしは便箋四十五枚に亘って、それがどんなに愚かで野蛮なことかを認ためました。ところが百目鬼先生ときたら……」
 三人から話を聞いただけなのに、まるで十人分の聴取を終えた疲労感が背中に伸し掛かる。明日香は自分のデスクに戻ると、突っ伏した。
「どうした、ガソリン切れか」
 そう訊いてきた犬養を、明日香はきっと睨む。
「どうして犬養さん、交代してくれなかったんですか」
「最初から助けていたら訓練にならんだろう。たった三人で、もうへたったか」
「精神的にキツいんです! 心が挫けるんです! 人間の腐敗臭を無理やり嗅がされたみたいで。作家志望者ってみんなあんな風に性格捻じ曲がってるんですか」
 すると犬養はついと視線を逸らした。
「まあ、まともなのはあんまりいないよな。普通の社会生活に不満で小説なんか書こうってヤツらなんだから」
 その口調でぴんときた。

 ※第4回は8月29日(月)公開予定です。この連載は、『作家刑事毒島』の〈1〉ワナビの心理試験(p.5〜)の試し読みです。続きはぜひ書籍をお手にとってお楽しみください。
 

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中山七里『作家刑事毒島』

新人賞の選考に関わる編集者の刺殺死体が発見された。三人の作家志望者が容疑者に浮上するも捜査は難航。警視庁捜査一課の新人刑事・高千穂明日香の前に現れた助っ人は、人気ミステリ作家兼刑事技能指導員の毒島真理。冴え渡る推理と鋭い舌鋒で犯人を追い詰めていくが……。人間の業と出版業界の闇が暴かれる、痛快・ノンストップミステリ!

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中山七里

1961年岐阜県生まれ。『さよならドビュッシー』で第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、2010年にデビュー。他い『おやすみラフマニノフ』『いつまでもショパン』『どこかでベートーヴェン』『連続殺人鬼カエル男』(以下、宝島社)、『贖罪の奏鳴曲』『追憶の夜想曲』『恩讐の鎮魂曲』(以上、講談社)、『魔女は甦る』『ヒートアップ』(ともに幻冬舎)など著書多数。

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