堀江貴文氏が初めてゲーム業界に参入、それは「人狼ゲーム」のアプリだった、というところから始まった今回の対談は、意外なことに「生身の人間同士の面白さ」にその狙いがあったという話から、人間とAIのハイブリッドツールの可能性へと広がりました。最終回の今回は、さらに話は進み、VRとARの比較論から、人間は何故、人間を人間と認識できるのか、といった話へと展開します。
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VRとARとこれからのエンターテインメント
斎藤 横澤さんは、プロデューサーの観点から見て、VRとかってどう見てるの?
横澤 僕は、VRは実はあんまり期待していないです。というのは、結局は、自分の目の感覚を広げるってことじゃないですか。ゲームの視野角がただ広がるだけだと思うんですよ。だったら、僕は、グラススコープとかの方が流行ると思うんですよ。グラススコープで人狼をやってて、何かデータが入ってきたら、誰かのディスプレイに写せるとかのほうがぜんぜん面白い。これはARですよね。VRよりも僕はARの方が可能性を感じます。何でVRがダメかというと、人と会話ができないんですよ、あれ。
斎藤 前、ジョン・ハンケさんと話した時も、VRとARの比較論みたいな話になりましたね。ARは人をリアルな世界に回帰させるという話になったんです。
横澤 一方で、VRだとコスト面が会わなくなると思うんですよ。VRって、見てる先の拡張現実を全部作らなきゃいけないじゃないですか、360度。ARだと、このリアルな世界を借景として借りられるじゃないですか。そうなった場合、コンテンツの開発費用、投資コストという意味では、絶対、ARの方が、採算が合うと思うんですよ。
堀江 だからね、2極化するというか、CGMコンテンツ的なものはVRだと生まれにくいんだけど、ハリウッド的な何百億かけてコンテンツ作りました、というのは成立するよね。
「シーマン」と人間性の認識について
堀江 斎藤さんが、こないだ言ってた、自分が飼ってるシーマンが電車の中ですれ違った赤の他人のシーマンと交尾するって企画、そこで勝手に子供作ってしまうという企画。あれ、面白いじゃないですか。
斎藤 あれはねえ、某ゲーム機用に本当に作ろうとしてたんですがね却下された企画でした。一般の人は「自分の顔のシーマン作りたい」とか言うんだけど、自分の顔のシーマン飼ったって面白くも何とも無いじゃない。もっとドキッとすることやりたいと思った時に、すれちがい通信で知らない間に交尾してて、相手のところに自分の顔のシーマンが生まれてくるっていう企画を立てまして。(笑)
横澤 それすごくやだ(笑)。
斎藤 それがまたどんどん伝播して、フィリピンに3人いるよ、お前の顔したシーマンが、みたいな。
横澤 それは、別のリアリティがあって嫌ですよね。
堀江 それ、ポケモンGOよりヒットするんじゃないですか。
斎藤 シーマンの技術で一番大事だと思ってるのは、VRとかCGじゃなくて、AIなんですよ。ですから僕は、助成金ももらえることなく、零細企業ながら地味にAIを千本ノックみたいに毎日作ってるんですよ。スパイク・ジョーンズの映画「her/世界でひとつの彼女」って見ました? あれは明らかに人間にしかできないようなSF映画ならではのAIでした。普通のAIやってる人が見たら、あんなのできないよって言うような話だけど、やっぱり、「ハーッ」っていうあのブレスの音とかが、会話においてどれだけ大事かというのを、あの映画でもう一回知ったんですよ。あんなのは映画の世界だけだなんて否定しちゃいけないんだよね。
横澤 確かに、人間が人間としてどう認識してるかというのは興味深いですよね。何で、マネキンは人間として認識しないで、生身の人間は人間だと分かるのか?
堀江 それに関して凄く興味深い体験がありました。1年半くらい前にサンフランシスコに行った時に、講演会をやったんですけど、そこに、日本から遠隔操作で参加した人が居たんです。その人、ダブリューっていう、セグウェイの上にiPadがついてますみたいなデバイスで参加したんですよ。画面にはその人の顔が映ってるんです。それ、自分で操作できるんですよ。手元のiPhoneかなんかで画面を見て、下にジョイスティックみたいなのが付いてて、首振りもできるわけです。その時、僕、そこにその人が「いる」って思ったんです。
斎藤 顔があると「いる」感じが出るんですかね。
堀江 アメリカのIT系の会社にはそういう機械が、結構、今、2、3台、常備されてるらしくて、そこにログインして会議に出たりしてるんですよ。その後で、「KUBI」ってデバイスを見たんです。それはかしげたり右左向いたりする首にiPadが付いてるの。これが、また「ぽい」んですよ。そこに人の顔があるだけなんだけど、ただスカイプとかで見るより全然そこにいる感があって。不気味の谷を敢えて越えないプリミティブな形の人間がそこにいる。それは結構テレプレゼンス的に言うとアリだなと。首だけで良かったんだと。
横澤 僕が携帯の着ムービー作ってた頃の話なのですが、アーティストの事情で静止画しか貰えない。でも着ムービーは作らなくちゃいけないっていうのがあったんです。その時に、どうやって、このアーティストがムービーで生きてるって感じさせられるか考えて、思いついたのが「まばたき」だったんですよ。それを加工で入れたらめっちゃ売れたんですよ。
堀江 今で言うところのライブ2Dみたいなことですよね。
横澤 それって、最低限、何をしたらこれが生きているという風に人間は認識するのかという実験だったのかもしれませんね。
堀江 意外とそこは、プリミティブなんですよ。人間が人間であるというのを、どうやって認識しているのかっていうのは、結局のところよく分かんなくて。例えば、顔認識も、これまでは高性能のGPUもビッグデータも無かったから、目が2つあって、鼻があって口があるのが人間だ、みたいな定義づけ人間がAIに設定してやるんだけど、目が片方ない人とかいるじゃないですか、それは認識できなかったんです。でも、ビッグデータとディープラーニングを使えば、それも人間は人間だと分かるんですよね。それが何でなのかはよく分かんないけど、沢山顔のデータを食わせると、人間だって分かるようになるという。
斎藤 むかし将棋の羽生さんと対談したことがあるんだけど、その時に、羽生さんが将棋ゲーム作ってて、そのゲームと羽生さんが戦ったらどっちが勝ちますかってジョークで聞いたら、「もちろん僕が勝ちますよ」って言ったので、「何でですか?」って言ったら「定石にも流行があるんですよ」って言ったんです。定石に流行があったら、定石って言わないんじゃないか?と思った。笑
横澤 次、電王戦で羽生さんがやるかもしれないですからね、AIロボットと。
堀江 あれ、どうなんですかね。勝った負けたっていってますけど、人間がいつかは負けるわけじゃないですか。
横澤 ドラマですよね。人間とAIという二軸がある一コのドラマというか。
堀江 結局スピードの勝負だから、、いつかは人間が負けますよね。絶対負けると思う。
斎藤 それはもう、絶対負ける宿命にあると思います。でも、かつて将棋の名人が良い事言ってましたよ。「車ができて、機械の方が人間よりも速く走れるようになったけど、それでも人間たちは走り続ける」と。
堀江 それはその通り。だからエンターテインメントなの。
横澤 やっぱり、無駄なところに美学があるんですよ、結局は。
斎藤 機械に負けると分かっていても将棋を打つし、電卓に負けると分かってるけど算盤を習う。そこに人間らしさがあると、そういう事で今回まとめたいと思います(笑)。
横澤 お後がよろしいようで。
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三回にわたって展開した「ホリエモン、ゲーム業界に参入スペシャル」は、この連載らしく、やはり「余白にある力」をまたも発見して終わりました。AR、遠隔会議システム、AI将棋に代表されるディープラーニング。人狼ゲームのシステムから始まった鼎談は、人間はどこまで人間なのか、人間は何故エンターテインメントを求め、それはどこにあるのか、というところにたどり着きました。「それでも人間はマラソンを走る」のです。
余白の力 ~二人の異能が語る無の中に有を見出す手法~
『ザ・タワー』や、喋る人面魚育成の『シーマン』をはじめとする新機軸のゲームを作り続けてきたゲームクリエイター斎藤由多加氏と、『ニコニコ動画』の全企画を起ち上げてきたプロデューサー横澤大輔氏。この二人のカリスマの頭の中を赤裸々に公開する!(構成:納富廉邦)