観光地を巡ることだけが旅ではない、と昨日のリードでは書きましたが、観光客の気楽さも実はとても大事。出掛けた先でたまたま見たものを、もっと知りたくなって検索するかもしれません。旅とは、新しい検索ワードを手に入れる行動でもあり、そこで起きた偶然の積み重ねが、人生を変えてしまうかもしれないのです。そんなことがまとめられた『弱いつながり 検索ワードを探す旅』は、2015年に「紀伊國屋じんぶん大賞2015」受賞。著者の東浩紀さんが発表した受賞コメントには、「観光客的態度」の効用がまとめられています。
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哲学者と観光客は似ている
紀伊國屋じんぶん大賞に選ばれたとの報を聞き、光栄に思っています。
本書でぼくが訴えたかったのは、ひとことで言えば、「哲学とは一種の観光である」ということです。観光客は無責任にさまざまなところに出かけます。好奇心に導かれ、生半可な知識を手に入れ、好き勝手なことを言っては去っていきます。哲学者はそのような観光客に似ています。哲学に専門知はありません。哲学はどのジャンルにも属しません。それは、さまざまな専門をもつ人々に対して、常識外の視点からぎょっとするような視点を一瞬なげかける、そのような不思議な営みです。ソクラテスの対話編には、哲学のそんな本質がすでに明確に刻まれています。
しかし、そのような観光客的な知のありかたは、現実の観光産業の隆盛とは対照的に、いまの日本ではもっとも蔑まれ、憎まれるものになってしまっています。メディアは専門家に支配されています。そして大衆はつねに答えを求めています。日本をよくするのはどうすればいいのか、いつ結婚しいつ子どもをつくればいいのか、格差社会で生き抜くにはいくら貯金すればいいのか、無数の専門家が無数の答えを提供しています。けれどそのような答えに疑問を投げかけ、立ち止まらせる言説は必要とされない。ぼくとしては、この本では、そんな風潮に小さな一石を投じたつもりでした。
本書は、哲学や思想にまったく親しみのない一般読者に向けた、一種の啓蒙書というか自己啓発書です。気軽に、観光ガイドのように読める本です。この受賞をきっかけに、より広い読者が手にとってくれることを望んでいます。
哲学は役に立つものではありません。哲学はなにも答えを与えてくれません。哲学は、みなさんの人生を少しも豊かにしてくれないし、この社会も少しもよくはしてくれない。そうではなく、哲学は、答えを追い求める日常から、ぼくたちを少しだけ自由にしてくれるものなのです。観光の旅がそうであるように。
(「紀伊國屋じんぶん大賞2015」大賞「受賞コメント)
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『弱いつながり 検索ワードを探す旅』目次
0 はじめに 強いネットと弱いリアル
1 旅に出る 台湾/インド
2 観光客になる 福島
3 モノに触れる アウシュヴィッツ
4 欲望を作る チェルノブイリ
5 憐れみを感じる 韓国
6 コピーを怖れない バンコク
7 老いに抵抗する 東京
8 ボーナストラック 観光客の五つの心得
9 おわりに 旅とイメージ
◆哲学とは一種の観光である
◆文庫版あとがき
◆解説 杉田俊介