30歳でIT企業を興して経営者となった高山知朗さん。ところが猛烈に働いていた40歳の時に脳腫瘍、さらに42歳の時に白血病と、2回の異なるがんを経験します。5年生存率はそれぞれ25%と40%、かけ合わせると10%という低い確率です。しかし高山さんは手術、放射線治療、抗がん剤治療の西洋医学のみで寛解し、45歳の今日まで生き延びているのです。
『治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ』では高山さんが2度の闘病経験から学んだ、病を生き抜くヒントを丁寧に解説しています。今回は第四章「がんになることの意味」の一部を試し読みとして公開します。今ではがんに感謝しているという高山さん。その真意とは?
* * *
☆人生の優先順位が大きく変わる
がんになって、私の人生の優先順位は大きく変わりました。家族と自分の健康が一番大切なことになりました。自分が健康でなければ、そして家族の支えがなければ、仕事もできないということがようやく理解できました。人生の目標は「娘の二十歳の誕生日に、娘と妻と一緒においしいお酒で乾杯してお祝いする」になりました。
2回目の入院中に、私は社長の座を後進に譲り、会長に退きました。経営は社長に完全に任せ、自分は一切口を出していません。仕事を任せれば社員が成長するということが、今ではよく理解できます。そのためにも自分の場合、がんが必要だったということです。本で読んでもできなかったことが、がんになることで初めて理解でき実践できました。
経営の最前線から離れたことで、退院後の今も自分の身体を優先した生活を送らせてもらっています。本当にありがたいことです。会社のメンバーには本当に感謝しています。
がんを経験したことで、このように会社と自分をきちんと分離して、本来の自分を取り戻すことができました。会社のこともよい意味で客観的に見ることができるようになりました。
家族と過ごす時間は非常に増えました。基本的に毎晩家で、家族3人で妻の手料理を食べています。その後娘と一緒に寝ています。家族との時間が、私の副交感神経を優位にして、免疫力を高め、がんの再発防止につながっていると感じています。家族を大切にすることが、自分の健康にもつながっていることを実感しています。
こうしたことを自分に分からせるためには、がんというインパクトのある経験が必要でした。しかも自分の場合は頑固なので2回必要だったのでしょう。
2回の闘病経験を経て、こうしたことが体感的に理解できたため、自分と家族のこれからの人生はより幸せで充実したものになっていくはずです。そして会社もさらなる成長を遂げていってくれるものと期待しています。
☆がんにありがとう
もう一つ、病気になって初めて分かったことがあります。人間は一人で生きているわけではない、人に生かされている、ということです。
友人、病院の医師、看護師さん、社員、そして家族。そうした人たちに助けてもらったお陰で、私は今、生きていられます。誰が欠けても、今の自分はありませんでした。
私は常に自分の人生を自分の力で切り開いてきたと思っていました。でもその自分の人生は、いろいろな人の支えがあって初めて成り立っているということを、2回の闘病で学びました。そして何でも自分だけで考えたり判断したり実行したりしようとせずに、より積極的に周囲に委ねることの大切さを知りました。
こうしたことを実体験を通じて理解するということが、私にとってがんが必要だった理由の一つだと思います。そして実際にがんを通じて得られたことを考えると、がんになって本当によかったと思います。がんには感謝しています。
☆命を救ってもらった恩返し
私ががんになった意味には、自分のためということに加えて、世の中のためという面もあるのかもしれないと考えています。
自分が病気で経験したことを世の中に発信することで、他の患者さんやそのご家族の役に立つことができるからです。
私は2004年からいわゆる社長ブログを書いていました。自分の考えを書くこと、それを世の中に発信することはもともと好きでした。だから、自分が2回のがんで経験したことを文章にして発信することで、他の患者さんに参考にしていただければと考えました。
悪性脳腫瘍が見つかって目の前が真っ暗になってしまった患者さんには、適切な病院で適切な手術を受ければ治る可能性があること、実際に治って元気に生きている元患者がいることを知っていただきたいと思っています。
白血病・悪性リンパ腫が見つかって病院や治療法に迷う患者さんには、骨髄移植だけではない選択肢もあるということ、化学療法で寛解して元気に生きている患者がいることを知っていただきたいです。
それが、私の生かされているミッションではないかと思います。私の人生のシナリオを書いた神様が、私に期待していることであり、私に2回のがんを与えてくれた意味なのだと思うのです。
そして、このミッションを果たすことが、私の命を救ってくれたみなさんへの間接的な恩返しになるものと思っています。
命を救っていただいた恩はとても返し切れるものではありません。だから、せめて自分の経験を世の中の多くの患者さんたちに役立てていただき、一人でも多くの患者さんががんを乗り越えるための助けとなることが、お世話になったみなさんへの恩返しにもなるのだと信じています。
この本を書いているのも、そうしたミッションの一環であり、恩返しの一環です。
(高山知朗『治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ』「第四章 がんになることの意味」に続く)
情報戦でがんに克つの記事をもっと読む
情報戦でがんに克つ
30歳でIT企業を興してがむしゃらに働いていた高山知朗さん。ところが40歳の時に脳腫瘍、さらに42歳の時に白血病と、2回の異なるがんを経験します。5年生存率はそれぞれ25%と40%、かけ合わせると10%という低いものでした。しかし手術、放射線治療、抗がん剤治療の西洋医学のみで寛解し、45歳の今日まで生き延びています。
ここでは高山さんが2度の闘病経験から学んだ、病を生き抜くヒントを無料の試し読みでお届けします。