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弱いつながり

2016.09.10 公開 ポスト

誰もが「自分は弱者」だと訴える時代の懸念東浩紀

ネットは、階級を固定し、人間関係を縛り、そこから逃げ出せなくなる道具だーー。グーグルの予測検索で、Facebookで、そう実感する人も多いでしょう。そんなネットの世界からもはや逃れられない私たちはどうすればいいのか? 単行本発売時から、SNS時代の人生論として話題をさらった『弱いつながり 検索ワードを探す旅』が文庫になりました。ネットの統制から逃れるために何が必要なのか? そこには当事者以外の視点が必要であることが、「文庫版あとがき」からわかります。

  本書は、二〇一四年に出した単行本の文庫化です。内容はいっさい変えていません。この本は、嬉しいことに、刊行年度の紀伊國屋じんぶん大賞をいただきました。読者のみなさんの投票で決まる賞です。多くの読者におもしろく読んでいただけたことを、著者として幸せに思っています。

 ぼくの専門は、哲学や思想や批評といった、いささか小難しいタイプの文系の議論です。けれども、単行本時のまえがきにも記したとおり、この本は、それらの知識がまったくないひとでも読めるように作りました。文庫化をきっかけに、ますます多くの読者に届くことを祈っています。

 ぼくはこの本では、世界を見るときに、「観光客」の立場を取ることの重要性を語りました。ぼくがそのようなことをことさら訴えた理由は、いま世間では、「当事者」の言葉があまりにも万能になっていると思われたからです。

 当事者という言葉は、この一〇年ほどで急速に普及しました。中西正司さんと上野千鶴子さんの共著『当事者主権』(岩波新書)が出版されたのが、二〇〇三年のことです。ジェンダーやマイノリティや障害者の問題は、かつては「専門家」が「上から目線」で語るものでしたが、いまでは当事者の声がなによりも尊重されるように変わってきています。政治や報道の場でも、いま問題に巻き込まれているひと、いま解決を必要としているひとの意見が、多く紹介されるように変わってきました。背景にはネットの普及も影響していることでしょう。ぼくもむろん、この動き自体はよいことだと考えます。

 けれども、その動きが進みすぎて、当事者の言葉「だけ」が尊重されるようになるとすると、それもまた問題です。なぜならば、ものごとの解決には、第三者の、つまり当事者以外の視点が必要なことが多いからです。

 本来は、そのような視点こそが「理念」と呼ばれるものです。理念は、よい意味でも悪い意味でも、個別の利害からあるていど離れているからこそ、理念になりえます。みなが、おれが当事者だ、まずはおれの話を聞け、おれのほうが抑圧されているんだと叫び合う状態では、議論は成立せず、政治は利害調整しかやることがなくなってしまうことでしょう。実際、この国でも、ひとむかしまえは批評家とか知識人とか言われるひとがたくさんいて、日本の未来や世界の行方などについて侃かん々かん諤がく々がくの議論をしていました。けれども、最近はそんな光景はめっきり見なくなってしまいました。それどころか、若いひとたちは、なんの根拠もなく、そのような抽象的な議論の伝統そのものを軽蔑し拒絶しています。ぼくは、この本を、そのような現状に抗あらがうために出版しました。

 観光客は、当事者とは対照的な立場を表す言葉です。当事者の言葉イコール正義の言葉だと思われているいまの日本では、本書の主張は、とても奇異に映るかもしれません。でも、ぼくは、それがいま必要なことだと思ったのです。

 冒頭で記したように、ぼくはこの本を、哲学や批評の知識がまったくないひとでも読めるように記しました。政治的なことも、ほとんど書きませんでした。けれどもそれは、本書の内容が、時代に媚こびたものであることは意味していません。本書はむしろ、とても反時代的な本です。

 いま日本は、否、世界は、さまざまな問題を抱えています。そのなかで、みなが、おれが弱者だ、おれが被害者だ、おれこそが差別されているのだと、終わりのない「当事者間競争」を仕掛け始めているように思います。声をあげているのは、もはやマイノリティだけではありません。日本でもアメリカでもヨーロッパでも、いまやマジョリティこそが最大の弱者であり、被害者なのだといった倒錯的論理が急速に力をもち始めています。当事者間競争は排外主義につながります。本書でぼくは、幼いこどもを連れてじつにあちこちに「観光」に出かけていますが、そのようなことは徐々に難しくなっていくのかもしれません。

 観光客がいるのは、いい世界です。観光客の視点こそが、当事者たちの不毛な闘いをあるていど抑止するはずだと信じて、この本を送り出します。

****
東さんの言う、「観光客の視点」が気になる方は、ぜひ『弱いつながり 検索ワードを探す旅』をお読みください。このあとに続く、杉田俊介さんの解説「観光者にとっての倫理とは何か」は、より深い「弱いつながり」の案内になっています。

目次

0 はじめに     強いネットと弱いリアル
1 旅に出る     台湾/インド
2 観光客になる   福島
3 モノに触れる   アウシュヴィッツ
4 欲望を作る    チェルノブイリ
5 憐れみを感じる  韓国
6 コピーを怖れない バンコク
7 老いに抵抗する  東京
8 ボーナストラック 観光客の五つの心得
9 おわりに     旅とイメージ

◆哲学とは一種の観光である
◆文庫版あとがき
◆解説 杉田俊介

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東浩紀

一九七一年東京都生まれ。作家、思想家。株式会社ゲンロン代表取締役。『思想地図β』編集長。東京大学教養学部教養学科卒、同大学院総合文化研究科博士課程修了。一九九三年「ソルジェニーツィン試論」で批評家としてデビュー。一九九九年『存在論的、郵便的』(新潮社)で第二十一回サントリー学芸賞、二〇一〇年『クォンタム・ファミリーズ』(河出文庫)で第二十三回三島由紀夫賞を受賞。他の著書に『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』(以上、講談社現代新書)、『一般意志2.0』(講談社)、「東浩紀アーカイブス」(河出文庫)、『クリュセの魚』(河出書房新社)、『セカイからもっと近くに』(東京創元社)など多数。また、自らが発行人となって『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』『福島第一観光地化計画』「ゲンロン」(以上、ゲンロン)なども刊行。

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