■「孤高の服役囚 奥崎謙三出所~「神様の愛い奴」まで全4幕」<前段~出所カウントダウンが始まった>
う~ん、ロフトプラスワンがオープンして20年、いろいろあったが、最大の事件は奥崎謙三だ。奥崎との関わりが始まったのは、ロフトプラスワンが新宿・富久町にオープンしてまだ1年も過ぎていない春だったと思う。
ある日、物静かな、ちょっと暗い感じの若い男が企画書を持ってきた。
「あの~、奥崎謙三さんが来年、府中刑務所から13年の刑期を終えて出所するんです。僕は奥崎さんの身元引受人をやっている重松修(工員)と言います。
僕もあの映画『ゆきゆきて神軍』(原一男監督作品)を見てショックを受けました。空前の単館大ヒットをとばした凄い作品でしたよね。学生時代には奥崎さんの著作『ヤマザキ、天皇を撃て!』を読んだこともあります。
僕の手元には奥崎さんの未公開フィルムがあるんです。本人がニューギニアで8ミリカメラを回して撮影した作品なんですけど、これを見たがっている人は多いと思って、できたらここで上映出来ないだろうかと思って……」
「そう、奥崎さん出所するんだ?身元引受人って、君みたいな若者なんだ」
「はい、奥崎さんてわがままで誰とでもケンカしてしまう人なんです。もう僕しかやる人がいなくなっちゃって……」
97年。映画『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三が13年と8か月の服役を終えて出所した。自称「神軍平等兵」は何を語り、何を訴え、何をしたのか? 運命の糸(=因果鉄道 (c)根本敬)にあやつられ、特殊漫画家・根本敬の「幻の名盤解放同盟」、大宮イチ、藤原章、へーやん、そしてロフトプラスワンは、奥崎謙三独特の個性というかパワーに翻弄され、「勝敗なき勝負」を続けることになる。
果たして今は亡き怪物・奥崎謙三を文章に書き切れるのかどうか、はなはだ自信がない。
96年5月4日、奥崎謙三身元引受人・重松修が一日店長のイベントが開かれた。来客数13名。初公開という8ミリ映像は無声でなんのテンションもなく、奥崎夫婦のただのニューギニア観光映像だった。約2時間、主催の重松はただ黙々と面白くない映像を流し続けた。放映1時間もすると、お客の大半は帰ってしまっていた。私はかなり怒っていた。フィルムはつまらないし、解説は全くない、お客は少ない。そのお客も途中ぞろぞろ帰ってゆく。
イベントが終わって私と重松君と、お客で来ていた藤井良樹(ライターズデン主催者)と酒を飲んだ。もうこのイベントはやらないと言う私に、藤井氏が、次回は自分が司会をやる、だから何とか奥崎さん出所まで続けられないものだろうか? と助け船を出し、彼が協力するという条件で、私は定期開催を約束した。
■第1幕<ゆきゆきて神軍・奥崎謙三の出所>1997年8月19日(火)「神軍平等兵・奥崎謙三 出所記念トーク」【出演】藤井良樹、他
そしていよいよ奥崎謙三の出所日である97年8月19日。
「熱烈歓迎! ゆきゆきて神軍・神軍平等兵・奥崎謙三出所記念トーク」の開催が決定した。昼間に杉並公会堂で出所した奥崎さんのイベントで『ゆきゆきて神軍』を上映し、夜にロフトプラスワンで凱旋トークを行う予定だ。
しかし、またここで前代未聞な珍事が起きた。
なんと奥崎さんは(支援者も含め)自らの出所日を間違えていたのだ。
8月19日は刑期満了日で、出所日(つまり娑婆に出る日)は翌日だったのだ。もうこれには苦笑いするしかなかった。
あの20年間刑務所に入っていた元赤軍派議長・塩見孝也が「牢獄20年の経験者から言わせて貰えば、13年も刑務所に入っていて出所当日にイベントなんかできるはずがない。出所日なんていうのはもう、精神的にパニックになるはずだ。第一、権力側は、出所日に記念トークをやるなんて権力をなめてんのか、こら!って思うし、イベント時刻に合わせて釈放するはずがない」と言っていたのが印象的だった。
一度は流れた「奥崎謙三出所記念トーク」は、8月23日の昼の部に緊急決定し、告知もほとんどされないまま、開催日を迎えた。
※奥崎謙三は本当にくるのか? 次回は「出所記念トーク 第二幕と第三幕までをとりあえず」です。