▽第二幕
1996年8月23日、お昼過ぎ。
靖国通りに面したロフトプラスワンの入り口には、数名の関係者が奥崎謙三の到着を待ち構えていた。真夏の新宿はアスファルトが焼けるほど暑かった。あるいは暑さのせいだけでなく、これから起こるであろう出来事に対する緊張の汗も入り交じっていただろう。
ほとんど宣伝もできなかったが、口コミだけで多くのお客さんが集まってきた。報道陣もフリーライターも多く、突破者・宮崎学、一水会・鈴木邦男、見沢知廉(みさわ ちれん)など只者ではない顔ぶれもあった。
複数のテレビ局が特集取材に動き回っていたが「平野さん、とても今の奥崎さんは、言うことが支離滅裂で取材をあきらめました」と早々に引き揚げて行ったのは残念だった。
しかし、開演時刻になっても奥崎謙三は現れない。近くのホテルにいるという連絡が入り、私がステージに上がって奥崎氏が遅れることを観客に告げた。ほとんどの人にとって生で奥崎謙三を見るのは初めてのことだが、大きな期待と同じぐらい大きな不安も混在していたはずだ。
それまで奥崎のイメージといえば、映画『ゆきゆきて神軍』の神軍平等兵の姿があまりにも強烈だった。
奥崎不在のままイベントは始まった。
司会の私のほか、身元引受人の重松修とその妻である大崎ヒヨコ、出所後奥崎の運転手を務めていた大宮イチがステージに上がり、3日前に府中刑務所から出所したときの奥崎の様子を話した。
それによると、奥崎は刑務所の前でマスコミを相手にひとしきり演説とパフォーマンスを行った 。第一声は「マスコミの皆さんありがとうございます。神軍平等兵、奥崎謙三ただ今凱旋いたしました!」だったそうだ。その後は、ホテルの自室で支援者を相手に一睡もすることなく機関銃のように話し続けていたという。
▽第三幕
「奥崎さんが到着しました!」
入り口通路の誰かが叫んだ。弛緩した会場が突如ざわつき、緊張が走った。根本敬、藤井良樹らに付き添われ、真っ白な軍服を着た奥崎謙三が入り口に立った。
「みなさんありがとうございます。奥崎謙三です」
僕のあいまいな記憶では、この時それほど拍手は起こらなかったと思う。いや、みな拍手をするのを忘れていたと言ってもいい。奥崎は入り口付近の椅子に座り込み、水が飲みたいと言った。胸には亡き妻の骨壺を抱えている。かなり疲労している様子だったが、ただならぬオーラを放っていることは確かだ。
やがて、藤井、重松と共にようやくステージに上がると、隣にいた重松をいきなり怒り出した。机をドンドンと叩きながら「だからあなたはダメなんだ!」と怒鳴り続ける。観客は奥崎が何を怒っているのかさっぱり分からないが、とりあえず様子を見守った。すると今度は目の前のお客さんに向かって話しだした。
「最高の演技だと思いませんか。だめだと思ったら、だめだと言ったらいいんだよ。なにも、付き合いなんて必要ないんだよ。思ったらはっきり言えばいいんだ! ものごとはっきりしないやつは俺は嫌いなんだ。どうですか? この演技は」
と、もうほとんど舞い上がっている。
唐突に奥崎から質問されたお客さんもさぞかし驚いたことだろう。それでも一人のお客さんが「素晴らしいと思います」と答えたのはさすがだった。
「思います? おべんちゃら言ってもだめですよ。私、芝居しているんじゃないですよ。違うんだから。神様演出の演技をご覧下さい。これ、金もらいたくてやってるんじゃない。とにかく、誰が何と言おうと、これは最高の映画です。世界中の者がどうぬかそうとね、俺はこれがナンバーワンなんだ」
彼は、これは最高の演技と言いながら、芝居しているんじゃないとも言う。矛盾しているようにも思えるが、これが奥崎を理解するためのキーワードの一つ「神様の演出」だ。どれだけ怒鳴ったり激高しようとも、奥崎の中には常に自分をカメラで撮っているもう一人の奥崎がいる。自分の行動はすべて神様の演出であり、神様監督の映画なのだ。
ステージ上の奥崎はしゃべりっ放しだった。奥崎が目指す世界・万人を一様に生かす「ゴッド・ワールド」について、また自身が服役中に編み出した血液をサラサラにするための秘法「血栓溶解法」について、にわかには理解できない話を一方的に語り続ける。
かといって周りを見ていないわけではなく、客席が退屈な様子になると、突然お客さんに向かって、
「ありがとうございます。私お金あったらみなさんに百万ずつでも差し上げるのに、お金がないんです。だから聞きたくない方はお帰り下さい。帰りたけりゃ、みな帰れ。帰れ、帰れ、帰れ、帰れ、気に入らんやつは!」
と怒鳴りつける。お客さんも全く気が抜けない。
そしてイベント終盤。残り時間を気にしだした奥崎は、夜の部まで延長できないのかと言い出した。壇上の藤井が「それは難しい」とやんわり制すると、今度は目の前にいたプラスワン店長(当時)の脇田に向かって「絶対不可能なんですか?」と詰め寄る。「別のイベントがあるので、だめです」と答えた脇田に、「私が世界中のお金を差し上げてもだめなんですか?」と食い下がった。
困ったように首を傾げた脇田に対し間髪入れず奥崎は「だめだったら、首を傾げずにもっとはっきりおっしゃったらいいんです。そういう態度がいやだと言うんです」と激高。「私も早く帰りたい。何も銭ももらえず、一文にもならないのに、こんなもん……」。そして突然、奥崎謙三はステージ上で崩れ落ちた。この間、約2時間。
他の出演者が急いで机をどけ、座布団を敷いた。奥崎は倒れたまま血栓溶解法を始めた。みんなで奥崎を担ぎ、とりあえずプラスワンの事務所に運び出した。顔面蒼白状態で横たわった奥崎は「こんな暑い所に……独房の方がもっと涼しい…」と力なくつぶやいた。
出所記念トークイベントはこれで終了となったが、しかし今思えば、これはその後に続く長いストーリーの序章に過ぎなかったのだ。
店の外はいつのまにか激しい雷雨となっていた。これも神様の演出であったのだろうか。
奥崎謙三出所記念トークライブで、ついに奥崎本人と関わることになったロフトプラスワンだが、最終的には05年6月16日に奥崎氏が永眠するまで関係は続いた。府中刑務所からの出所後ほどなくして撮影が始まった根本敬<監督役>による映画『神様の愛い奴』の製作をロフトシネマが引き受け、それは奥崎謙三言うところの「神様の演出」にロフトもひと役買う(神様の演技指導を受ける!?)ことでもあったのだ。
根本敬と言えば特殊漫画家として有名だが、ロフトプラスワンとも関わりが深く、開店当初から、根本がライフワークとして探求している「因果者」──佐川一政(パリ人肉事件)や川西杏(在日朝鮮韓国人シンガー)をプラスワンに呼んでイベントを開催してくれていた。そしてついに因果者<西の横綱>奥崎謙三とドップリと関わる機会を作ってくれたのだ。
では、因果者とは一体何なのか? はっきりとした定義はない。あえて言えば、
“生まれる以前からワケアリな〈前世〉を抱えて誕生した事情のあったとしか思えない人”(根本敬著『電氣菩薩』(径書房)より。以下引用も同)
で、具体的には勝新太郎や佐川一政のように、
“凡人には理解できない別世界(独自のファンタジー。真理としての実在)と太く繋がっていて、それを当たり前のものとして生きている人々”
のことだ。
そして我々凡人がこうした因果者と対峙する時の心構えを、根本はこう説明する。
“相手は野球に例えれば4番でエース、監督で、そのうえ審判も兼ねる。投げながら同時に「ストライク!」と宣告するのだから、どんな暴投が来てもこちらは(打者の場合なら)三振にとられるより他ない。その上、状況(当人の都合)によっては突然、柔道に変わり、そしてこちらを投げ飛ばすやいなや何事もなかったように再び野球になる。だが抗議は許されぬ。そもそも一度ゲームに参加した以上「抗議」を思い立った時点(「なんだこのクソジジイ、オレはもうガマンなんねえ。言ってることがさっきと違うじゃねえか」だとかの感情の噴出、怒り)で、永遠の敗北である。”
97年夏、この「勝敗なき勝負」((c)幻の名盤解放同盟)を双方ギリギリの所まで続けた結果、映画『神様の愛い奴』が胚胎し、それは永遠に完結しない物語のごとく今も闘いは続いている。
奥崎謙三に関わるということは、一見クダラナイ(しかし、この世の真理にも近い)気の遠くなるような闘いに明け暮れることなのだ。(構成:加藤梅造)
※短期集中連載ですが、まだ続く可能性アリ