「あなたの仕事人生が“手遅れ”になる前にという副題が刺さった」という声が寄せられている、冨山和彦さんの最新刊『有名企業からの脱出』。丸善丸の内と八重洲ブックセンターのビジネス書ランキング1位も獲得しました。本書は、これからの自分の人生を間違えないためには「自分オリジナルの幸福の尺度」を持つこと、説きます。では、どうしたらその尺度を持てるのでしょうか? 冨山さんにじっくり解説していただきます。
歳をとるほど人生の選択肢は減っていく
多くの若い人が勘違いをしてしまうのは、「歳を経ていくと経験値が増え、社会的地位も上がるから、できることは増えていく」と考えていることです。そうではありません。むしろ、やれることは減っていくのです。
人生というのは、途中までは選択肢が増えていきます。学校教育は、選択肢を増やすために行われているといっていいでしょう。私自身も、アメリカのビジネススクールに行ったときくらいまでは、ずっと選択肢は増え続けていました。
30代までは増えていたと思います。でも、40代で産業再生機構のCOOになったところから、むしろ選択は減っています。
自分の尺度を持たないと、待っているのは悲劇だけ
人生の選択肢が減っていく時、自分の選んだ仕事がたまたま自分の成功や幸福の尺度と一致していればいいですが、一致していなかったとすれば、けっこう生きづらいでしょう。
そしてもし、自分の尺度を持っていなかったとしたら、一致するも一致しないもない、という話になってしまう。何も考えずに会社員生活を過ごしていたら、いったい最後にはどうなってしまうのか。
しかし、そういうことが起こり得るのです。実際、実は多くの日本人は会社に入る前から“出世競争”をやっています。小学校の頃から受験があり、偏差値の高い学校に行こうとする。そして就職となれば、今度は“就職偏差値”の高いところに行こうとする。
入社したら課長には早くなりたい。部長にもなりたい……。そうやって、ある意味で極めて同質的なゲームを小学校、中学校くらいからずっとやっているのが、多くの日本人なのです。この“出世競争”だけが尺度になってしまっている。
しかし、よくよく考えなければいけないのは、このゲームを最後までまっとうできるのは、ほんのわずかしかいない、ということです。
そのゲームをやることが、人生を気分のいいものにしているか。それは結局、自分自身に問いかけるしかない。
日本人が苦手な「自分は何者か」という問いへの答え
そして、この問いは建前で答えを出してはいけません。自分は本当に何に気分良くなるのか、自分をだましているようでは本当の答えは見つかりません。
正直な自分として、何をもって成功の尺度と考えるか。実は歳を経ていくと、これを試される局面が次々に出てきます。この時、多くの人は混乱する。なぜなら、ずっと自分ではない「仮面」をかぶってきたからです。
自分は何者か、というのはまさに哲学ですが、日本では、自分は何者なのか、という問いをできるだけしないように教育をしているのです。常に、誰かが考えた正解があり、その正解を当てに行く教育。これでは、自分の世界を確立できない。
確かに、かつてはこんなことを考える必要がない時代があった。日本が貧しかった時代。昭和30年です。貧しいと悲劇が起こる。だから、とにかく明日は今日より豊かになろうと日本人は頑張った。
自分に「仮面」をつけて出世ゲームをやり続けるサラリーマン
大企業に就職できたら、サラリーマンとしての出世競争。40年間1回勝負の競争を頑張った。やりたくもない麻雀に付き合い、行きたくもない土日ゴルフにも出かけ、なんとか取締役に、取締役になったらなんとか常務に、常務になったらなんとか専務にと、「サラリーマン」という仮面のゲームを延々とやり続ける。
冷静に考えると、日本企業のサラリーマンは、収入にしても、家族や個人としての幸福度合いにしても、多くのものを犠牲にして必死に頑張っているほどの差は開きません。
ところが、そこで「仮面」ゲームをやっている人が今なおたくさんいるからこそ、『沈まぬ太陽』や『半沢直樹』的なドラマが盛り上がるのです。冷静に考えれば実にくだらない、生身のリアリティもない、単なる出世ごっこ、派閥争いごっこです。そのゲームのために体を壊したり、家庭を壊したり、しまいには命を落としたりする人は、今日現在も後を絶たない。
運良く出世競争に勝っても、いつかは会社から離れます。そして仮面を取って家庭や地域に戻ると、単なる冴えない初老のオッサンです。最近の内館牧子さんのベストセラーに描かれた『終わった人』として過ごす何十年もの時間が待っている。
そこまで来て多くの人が気づく。「いったい自分は何のためにこんなに頑張ってきたのか」と。
どんなときに自分は達成感を得られるのか?
これからビジネスパーソンはいかに生きていくべきか。その答えは、とてもシンプルだと思っています。自分の成功や幸福の尺度を自分の中に持っているかどうか、ということです。それに尽きると思います。
ただし、趣味や家庭生活で幸福を追求していく、ということではなく、あくまで仕事の中でいかに自分の成功や幸福を定義していくか、ということが問われます。それも、自らの価値観で。
これをできるだけ早く持ったほうがいい。早ければ早いほど、それに合わせるだけの時間的な余裕が出てきます。遅くなればなるほど、人生の時間は短くなって、能力的なフレキシビリティはなくなっていきます。定義をしたはいいものの、実現は難しくなっていく可能性が高まっていくということです。
もう日本はすっかり豊かになったのです。みんな一緒の価値観は存在しない。だから、まだ心が柔らかなうちから、自分はなんなのか、自分にとって幸福感とはなんなのか、考える力を養わないといけないのです。
どんなときに自分が嬉しいと思ったり、どんなときに自分が心地いいのか、どんな時に達成感を得られるのか、そういうことを理解するのです。
「お金が成功の尺度」でもいい。正直に自分の声をきく。
例えば、銀行預金の残高が増えていくことに至上の喜びを感じるタイプだと思うなら、絶対、成功の軸を「いくら稼いだか」に置いたほうがいい。「そんな強欲な」と、自分にウソをついて他の聞こえのいい軸を設定してはいけません。
一方で、まわりの人間がどんなにお金持ちになって、どこかに大きな別荘を構えたりしても、自分にはピンと来ないなら「いくら稼いだか」は成功の軸になりません。
こういう感覚を、きちんと持てるかどうか。持っていないと、みんなで一生懸命、軽井沢に別荘を買ってしまったりすることになる。本当に別荘が欲しかったわけでもないのに。
自分と家族の運命を会社から取り戻す
実際のところ、地位や所得、家族の運命もろもろ含めて圧倒的に会社に握られているのが、多くの人の現実です。だから、自分の尺度を趣味の世界に追求してしまったりする。
そうではなく、自分のメインの人生、職業人としての人生を真正面から見つめないといけない。ちゃんと対価をもらっているプロフェッショナルな世界で、何を成功と考えるか、あるいはどういう仕事をしている状態を幸福と考えるか。そういう問いかけをしないといけないのです。
(後編に続く。)