本業は調達のコンサルタント。その傍ら、ビジネス書の執筆、講演、テレビの出演と多忙を極める坂口孝則氏。彼の人生最大の挫折は、30代のはじめ、大企業を離れたことに端を発します。
(インタビュー・構成:漆原直行 撮影:菊岡俊子)
◆印税収入で人生の判断が狂う
坂口 僕の最大の挫折体験は、幻冬舎さんのせいでもあるんですよ。
──え、それはどういうことでしょうか?
坂口 あ、もちろん、僕が勘違いしたことがいちばんの理由なんですけどね。2008年1月に、幻冬舎から初めての新書『牛丼一杯の儲けは9円 「利益」と「仕入れ」の仁義なき経済学』を上梓したのですが、おかげさまで、これがけっこう版を重ねまして。
──素晴らしいことです。
坂口 ですよね。本当にありがたいことでした。毎週のように「重版が決まりました。部数は5000部です」という連絡が来るんですからね。それが5~6週間続いたんです。当時、僕は自動車メーカーに勤めるサラリーマンで、月給は手取りで20万円台。そんな人間が、毎週のように5000部分の印税として35万円くらいの収入を得るわけです。
──なかなかの金額ですね。
坂口 会社員からしたら大金ですよ。2007年に3冊ほど、自分の専門分野である調達・購買といった領域に関する専門書を刊行していたのですが、ここまで大きな反響があったのは初めての経験です。「あ、俺、このままイケるかもしれない」とのぼせ上がってしまった。これが、大きな間違いでした。
──悠々自適の印税生活ができると。
坂口 いや、そこまで能天気には考えませんでしたが、いまの会社を辞めて、もっと自由に働けるようになるかな、とは思いましたね。実はその頃、人気ビジネス書作家でもあるビジネスコンサルタントの方とお話しする機会があって、「いまのサラリーマンとしての年収と同程度の収入が得られるのであれば、すぐにでも会社を辞めたほうがいい」と助言をいただいたんです。自著の印税収入が年間2~300万円程度見込めたほか、ちょっとした研修会やセミナーなどで講演の真似事もするようになっていて、そのギャランティが年間で同じく2~300万円ほどあったんです。合計すると500万円強。これなら、大企業を辞めても大丈夫では!? ……そう思ってしまったんですよねぇ。
──で、独立されたのですね。
坂口 完全に独立したわけでなく、誘ってくれたベンチャーのコンサルティング会社に入りました。社員数9人という小さな所帯です。ここで、人生最大の挫折を経験します。
──詳しく教えてください。
坂口 とにかくもう、やること成すことのすべてが上手くいかないんですよ。僕がそのベンチャーに入って主に手がけたのは、コンサルティングではなく、紙や映像で教材を制作したり、ウェブサイトなどユーザーとコミュニケーションするためのシステムを構築したりなど、仕組みづくりや調達支援ツールづくりだったんです。とはいえ、ただ作ればいい、というわけにはいきません。ちゃんと売上を立てなきゃいけない。
──小さな会社ですから、みんなで営業活動をして、それぞれが売上にコミットしなきゃいけないわけですね。
坂口 そのとおりです。大企業を経験してから小規模のベンチャー企業に移った経験のある方でないと実感として理解できないかもしれませんが、従業員が何万人もいるような会社での一社員と、10名にも満たない組織の一社員では、責任の重さがまったく違うんです。大企業なら、多少苦手な人が職場にいても、できるだけ付き合わないようにするとか、異動の希望を上に伝えて距離を取るとかできますよね。ちょっとしたミスやノルマの不達成があっても、全体で吸収できてしまうから、そう大した問題にはなりません。
──“寄らば大樹の影”というか。
坂口 ええ。容れ物がデカいから、多少の濁りはすぐに薄まってしまうわけです。ところが、規模が小さいと、絶望的なまでに逃げ場がない。僕の手がけた教材やウェブサイトがまったく売上に貢献しない時期が続いて、10カ月くらいは地獄にいるような感覚でした。「なんとかしなければ」という危機感、圧迫感にずっと苛まれて。自分はこんなにも無力だったのか、と。
──それはキツイ。
坂口 そのベンチャー企業は“見える化”を実践している組織だったので、いま会社にどのくらい資金があって、誰がどのくらい売上を立てていて、僕がウェブサイトづくりにいくらつかっていて、僕の給料としていくら支払われていて、僕の社会保障費がいくらかかっていて……というお財布の中身が社員全員に共有されていた。これが苦しいんですよ。他のメンバーから嫌味を言われたり、過剰なプレッシャーを与えられたりしたわけではないんです。が、誰がどのくらいの利益をもたらして会社に貢献しているか、どのくらい足を引っ張っているかが明白ですから、嫌でも現実を思い知らされる。資金が日々、目減りしていくのを目の当たりにする絶望感は凄まじいものがあった。
──まったく売上が立たなかったのですか?
坂口 ええ。ずっとゼロでした。精神的にも、ちょっとおかしくなっていたかもしれません。新しいウェブサイトをローンチしても、問い合わせ電話なんて一件もかかってきません。いま振り返ってみれば、そんなの当たり前なんです。何の訴求施策もしてないのですから。ただ、当時はまったくわかっていなくて、「このウェブサイト、ちゃんと機能しているのだろうか」と疑心暗鬼になっていた。パソコンを替えて閲覧してみたり、ガラケーやスマホで確認してみたり。
──そもそもインターネット上に存在しないんじゃないか、と不安になって。
坂口 もう、現実を受け入れられなかった(苦笑)。でも、端末をかえてもちゃんと閲覧できる。それじゃあ、問い合わせページの入力フォームが壊れているんじゃないか……そう思って自分で打ち込んで送信してみたら、ちゃんと文面はこちらに届いている。ならば、電話が通じていないのかもしれないと、外に出て公衆電話からかけてみたら、ちゃんと通じる。ひょっとして、FAX番号に誤りがあるんじゃないか……そんな調子でしたね。
──少々、危ない人になっていた。
坂口 明らかに変でしたね。人間、追い込まれると些細なことまですべてが気になってしまい、あらゆることをネガティブに考えるようになるものです。3カ月くらい、そんな具合に「なぜだ、なぜだ」と葛藤していました。冷静に考えてみれば、そもそも潜在顧客にリーチする絶対数が少ないとか、サイト上で商品の訴求がうまくいっていないとか、先に考えるべきことは他にあるんですよ。でも、視野が狭くなっているから「この教材は非常に価値がある。なのに、なぜ売れない?」としか考えられなくなっていて。
──意識すべき方向が間違っていたのですね。
坂口 そうです。FAXの問い合わせ用紙をPDFでサイトに上げていたんですけど、その用紙には「ここを持ってください」と親指を置く場所まで描いておきました。「もしかしたら、用紙に記載されているFAX番号が指で隠れてしまい、番号を押し間違えているのかもしれない」と考えたら、気になって気になって。
──若干、病的な印象を持ちます。
坂口 でも、そのときの僕は必死でした。というか、冷静に考えられなくなっていました。FAX番号のリストに4000万円ほど突っ込みそうになったり。
──どういうことですか?
坂口 順番に説明しましょう。業界的な常識でいうと、FAX DMの成約率って0.01%くらいが目安なんです。つまり、1万人にDMを送って、1人が契約してくれる程度の成約率ということ。5万円の教材を販売して、利益を100万円出したければ、20万人にFAXを送って、20人と成約しなければならない。一方、よく例に引かれる話ですが、社員が会社に利益をもたらすには、自分の給料の2倍以上を稼がなければいけません。給料以外に、福利厚生とか、社会保障費とか、オフィスの電気代や事務用品代とか、自分が働くために会社側が負担してくれている金額を考えると、給与の2倍は会社に利益をもたらさなければ帳尻は合わない。それを踏まえると、僕としては月に100万円くらいは売上を立てたかった。
──なるほど。
坂口 いろいろ調べていくと、ある業者が企業のFAX番号1件を200円で販売していたんです。20万件で4000万円。100万円を売り上げるために4000万円を投資するなんて、明らかに割に合わないんですけど、真剣に迷いましたからね。パッと出せるお金がなかったから踏みとどまったけど、まかり間違えば支払っていたかも。そのくらい、感覚が狂っていたように思います。
──結局、どうされたのですか?
坂口 ジェトロ(JETRO:日本貿易振興機構)のビジネスライブラリーにさまざまな業界団体の名簿が収蔵されていて、そこからコピーを取ってエクセルに手打ちしたり、電話帳ソフトから企業のFAX番号を抽出したりして、さすがに20万件は無理でしたが、何とか2万件分のFAX番号リストをつくりました。それこそ不眠不休で。
──結果は?
坂口 反応ナシですよ。稀にリアクションがあっても「こんな営業FAX、二度と送ってくるなボケっ!」みたいな、お怒りのお返事ばかりでしたね。好意的な反応は1件だけ。ある地方新聞から「ウチで広告を出しませんか?」という営業の連絡がありました。営業をかけたのに、逆に営業をかけられるという(笑)。まともな反応は、これだけです。売上に繋がったのは、結局ゼロでした。
◆大企業では泥臭い仕事を自分事として考えていなかった
──呆然となりますね。
坂口 笑ってしまうくらいの悲惨さでしたね。あまりにも申し訳なさすぎて、実は僕、当時もらっていた給料に手を付けずにプールしていたんです。というか、いまでも使わずに残しています。もしも他の社員が「オマエ、いい加減にしろよ。1円も売上を立ててないじゃないか」とキレたら、給与を全額会社に返して、辞めようと決めていました。まあ、結果的には誰からも文句を言われずに済んだのですが、いまでも戒めというか、自分なりのケジメとして、当時の給与はとってあるんです。あと、忘れられないのは売上発表の会議ですね。これがまた地獄でした。
──どんな会議だったのですか?
坂口 要は、それぞれが担当している案件の状況報告とか、売上額の共有をする会議です。他のメンバーが「今月はこういう案件が動いてます。請求はこのくらいになります」「見込み客の感触は悪くないです。70%くらいの確率で成約に至ると思います」なんて発表している中で、僕だけが「いろいろと試行錯誤しているのですが、今後の見込みはとくにありません。今月の売上もありません」なんて、蚊の鳴くような声でボソボソと報告していました。「この時間、早く過ぎないかなぁ」としか考えられなかった。毎週開かれていたこの会議のことは、思い出すだけで気持ち悪くなりますね。
──聞いているこちらもお腹が痛くなってきます。
坂口 ただね、学びも非常に多かったんですよ。いちばんは、自分がそれまで一丁前に語っていた経験や知見は、ビジネスのある一側面しか捉えていなかったと気づけたことです。商売とはシンプルに言ってしまうと「調達する」「モノをつくる」「販売する」の3つから成り立っています。それらが揃うことで、初めてお客さんに価値を提供できて、対価を頂戴することができるんです。
──たしかに、そうですね。
坂口 僕が専門にしていたのは、調達・購買・原価企画の領域です。これだけでは、会社の機能の1/3程度しかカバーできません。製品にしろサービスにしろ何かしらの商品を形にして、さらにそれを販売しなければ、企業に利益はもたらされない。言葉にすると当たり前のように響きますが、以前の僕は、その現実をきちんと実感できていなかった。極端な話、食うためには土下座をしてでも商品を売ってこなきゃならないわけです。そういう泥臭い部分も“自分事”にできていなかったと思います。
──当事者意識を持って、ビジネスのすべての側面を見られるようになったのですね。
坂口 そうですね。まだまだ至らないところもありますが、視野は確実に広がったと思います。その意味で、僕が2009年までに手がけた本は不十分であると、自分では考えています。ビジネスの一部分しか理解しないで書いていた、浅はかな本であると。バカが書いた本ですよ。
──そんなこと言わないでください。いまでも評価されている本たちじゃないですか。
坂口 ありがたいことです。ただ、自分としては、そうした評価に甘えてはいけないと考えています。もちろん、調達や購買といった、自分が社会人になってからずっと携わってきた領域に関する知識や経験は、真摯に自著に編み込んだ自負はあります。が、いま読み返してみると、まだまだ不勉強だったところも多いなと感じてしまうんですよね。
──暗黒期を経たからこそ、ビジネスパーソンとしても、著者としても、成長できたといえるのでは?
坂口 そうだといいのですが……どうなんでしょう。ただ、ベンチャーにいた2009年の終わりから2010年の1年間は、まさに暗黒期でしたね。人生でもっとも沈んでいた時期だったと思います。とはいえおかしなもので、ベンチャーに在籍していたころに書いた『1円家電のカラクリ iPhoneの正体 デフレ社会究極のサバイバル学』とか『思考停止ビジネス 売りたかったら客に考えさせるな!』といったタイトルは、いま読み返してみても面白いんですよね。いちばん苦しかった時期に書いたものが、いちばん強度があるように感じます。なぜでしょうね?
──仕事で追い込まれたぶん、雑念がなくなって、感覚が研ぎ澄まされたところもありそうです。
坂口 確かに、そうですね。あと、実際に仕事で苦しんでいたから、本質や本音をえぐり出すことができたようにも思います。それにしても、あんなに苦しんでいて、あんなに忙しかったのに、一体いつ執筆していたんだろうと思うんですよ。妻いわく「普通に、土日を使って書いていたよ」ということなんですけど、自分にはまったく記憶がなくて。つまりは、そのくらい余裕がなかったんです。
(後編につづく。12月24日公開予定です)
*坂口孝則さんの最新刊は『日本人はこれから何にお金を落とすのか』。今後、日本の消費がどこに向かうのかを大胆に予測されています。こちらもぜひご覧ください。
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