母娘のバトルが話題のドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」。毒親ではないけれど、束縛や干渉が面倒くさい母親に悩む人たちも多いのではないでしょうか。このドラマに監修協力した信田さよ子さんそして、朝倉真弓さんの著書『逃げたい娘 諦めない母』から、母に感じるストレスを解消する行動習慣を4回にわたってご紹介します。
「全部、自分が悪い」という思考の正体
なぜか物事を悪いほうにばかり考えたり、出した成果に対して素直に喜べずに居心地の悪さを感じる。娘世代の方たちで、何に対してもマイナスに考え、「自分が悪いのでは?」と疑ってしまうのは、子供のころから重ねてきた究極の合理的思考(否定的自己認知)がひとつの原因となっています。
幼い子供は、年齢相応の合理性をもっています。「どうして?」としょっちゅう問いかけるのは、その表れなのです。
ところが、父から母への暴力や母の泣く姿を見せつけられたり、突然叱られたり理由なく冷たくされ続けてきた子供は、その理由を考えても訳が分からないのです。
意味不明なできごとばかりでは、子供の世界は合理性を失ってしまうので、「全部自分が悪い」と考えるようになります。そうすれば、すべての現象が合理的に受け止められるからです。母が怒るのは自分が悪い子だから、母が束縛するのも自分が悪い子だからと考えると説明がつくのです。
しかし、無事に成長するためのスキルとして持ち合わせてきた「自分が悪い」という考え方の癖は、大人になって人間関係を作ったり、人生を楽しく生きたりしていくにあたって大きな障害となります。それがマイナス思考の正体です。
娘が抱くマイナス思考、そして、親に対する負い目。
これらは母親からだけではなく、社会的な常識──女の子なら両親の面倒を見るのが当然、男の子よりも頻繁に連絡を取らなくてはいけない──によって負わされる感覚でもあります。この負い目に追われるかのように、自分の気持ちの折り合いがつかないまま、身を削るような介護生活に突入する人もいます。
本来娘は──というよりも子供はすべて──親に負い目を感じる必要などありません。無事に生まれ、親に子育ての楽しみを与えただけで親孝行は完了しています。あなたの親孝行は、もうすでに済んでいます。
この世に生まれてきたのは親の恩である、と強調するのが日本語です。生まれてきた子供、産んでくれた親という組み合わせです。英語やフランス語を見てみましょう。子供は「生まれさせられた」という受動態です。出産して分かることはいくつかあります。確かに苦しい陣痛はありますが、「子供を妊娠した以上、生まなければ自分が死んでしまう」のです。極端にいえば、母親は生きるために、死なないために生むのです。生んだことを恩に着せ、陣痛がひどかったと、罪悪感で子供を縛る母がいます。でも、私たちは親も、家族も、性別も、顔だって選べないのです。
そのすべてが選べない環境のなかで、文句ひとつ言わずに、母の望む〝いい子〟に育って元気に生きて社会に貢献している。
それだけで、もう十分なのではないでしょうか。
親子の血がつながっていることに大きな価値を置く人もいます。しかしこれからは、養子や里親がどんどん増えるでしょう。虐待のニュースが報道されるたびに、血がつながっていても子供を殺す親があまりに多いことに驚かされます。
娘は、母のことを血によるつながりではなく、同じ空気をかなり長く吸ってきた同性のひとり、そう考えてもいいのかもしれません。
あなたは同じ女性として、母よりも若く、母より長い将来があります。そのことを母はどこかで嫉妬しているのかもしれません。娘が自分より優位に立つことが嫌だ、そんな上下関係で娘をとらえる母は少なくありません。そんな母親の存在を聞くたびに、どうして同じ女性として、娘の幸せを願えないのかと考えてしまいます。
距離を作り、少しだけ上空から母を眺めてみれば、どうしようもなく、不安で自信がないひとりの女性として思えてくるかもしれません。
この連載は、『逃げたい娘 諦めない母』の試し読みです。続きは、書籍をお手にとってお楽しみください。