ヒマラヤの秘境にて修行をし、究極のサマディ(悟り)に達した、ヒマラヤ大聖者・ヨグマタ相川圭子さん。「多くの人に幸せになっていただきたい」という思いから著した新刊『ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス』より、日常生活で今すぐ実践でき、悩みを手放し健康体質になれる「瞑想的生き方」をお届けします。
(刊行を記念して4月3日紀伊國屋ホールにて講演会を開催します)
なりたい自分に向かって努力することや、手に入れたいものを目指して努力することは、楽しいことです。変わっていく自分、足りないものを補って満ちていく自分に、人は興奮を覚えます。
しかし、その過程が楽しければ楽しいほど、その結果や成果を自分のものだと勘違いして、驕ってしまうことがあります。そして、その成果にこだわるのです。
「自分が努力して手に入れた成果なのだから、それは自分のもの」と、あなたは思うかもしれません。はたしてそうでしょうか。
あなたは、宇宙の創造の源から分かれた個人の魂からのエネルギーで生かされています。あなたが考えられるのも、体を動かせるのも、その力が働いているからです。
そのことを忘れ、自分がやった、自分が手に入れたと思い込むと、本質からどんどん離れてしまいます。
たとえば、あなたの努力が認められ、マネージャーに昇格したとします。あなたは思うでしょう。「私はマネージャーなのだ。マネージャーは私のポストなのだ」。そして、あなたはそれを評価し、大切に思い、いつのまにか執着していきます。ところがそんなとき、ちょっとしたミスを犯し、降格したとしましょう。あなたは「マネージャーではない自分」を自分として認められず、苦しむのです。マネージャーだった過去の自分に執着し、現状を否定してもがきます。
しかし、あなたが執着している過去のポストは、源の力があってあなたの心身が働いたことによる成果なのです。
また、たとえば、部屋を掃除してきれいに片づいたという成果も、それに対するこだわりも、誰かが部屋を使って散らかれば消えてしまいます。成果は変化するもので、その場限りのものです。成果を自分のものだと思い込み、こだわり、失うことを恐れ、失って苦しむのは愚かなことです。
最初は、こだわりを捨てたり、欲望を手放したりすることを怖いと感じるかもしれません。「成長できなくなるのではないだろうか」「何かが停滞するのではないだろうか」「貧乏になるのではないか」。いろいろな不安がよぎるでしょう。けれども、心配いりません。あなたは心を浄化し、本当の自分と出会うことで、もっと豊かになることができるのです。憎しみの人が愛の人になり、怒りの人が許しの人となり、無知の人が知恵の人となります。
外側からものを必要以上に集めることの虚しさを知り、常に心の飢えと闘う人生に決別し、内側から満ちる幸せを感じましょう。
「成果は自分のものではない」
そう思えば失うのは怖くない。