新聞は偏った報道をする旧メディアだと怒る人たちが増えています。しかし、本当に新聞が中立である必要があるのでしょうか。『芸人式新聞の読み方』の著者プチ鹿島さんは、「それぞれの新聞に芸風があるのは当たり前」と言います。どういうことなのでしょうか?
新聞の「芸風」を許せない人が増えた
新聞各紙の「文脈」や「芸風」を知らない人が増えたように思う。いや、知らないというよりも、知っているけど「認められない」人が増えたと言うべきか。
私も以前、ツイッターで『産経新聞』の記事を紹介したら、「産経という時点でダメ」とリプライをいただいたことがある。
ちなみにその記事は、イギリスを訪問した中国の習近平国家主席を歓迎する公式晩餐会で出された高級ワインが「天安門事件と同じ1989年のワイン」だったというもの。「英国的な皮肉あふれる無言の抵抗なのか。同事件を連想した招待客らの間では、さまざまな憶測を呼んでいる」(2015年10月28日)という内容。この記事の読みどころは憶測の楽しさや是非ではなく「中国が嫌がらせをされている様子を嬉しそうに報じる産経新聞」なのである。他紙ではこのトピックはなかったからだ。
人の顔が違うように、新聞のキャラも違う。それを読み比べることが楽しみだと私は思っている。だから新聞を読むのである。
たとえば、『産経新聞』と『東京新聞』の記事を読み比べると、ときどき同じ日本のできごとを報じているとは思えないことがある。
2015年夏に、国会前で安保法案に反対するデモがあったとき、『東京新聞』は一面でデモの記事以外は載せなかった。一方、『産経新聞』『読売新聞』は一面では報じず、社会面で淡々と伝えたのみであった。
同じできごとでも新聞によって素晴らしく扱い方が分かれるのだ。これを偏向と言う前に、どちらも読んで、お互いに見えている世界がどれだけ違うのかを興味深く眺めたほうがおもしろい。
「●●なんて信用ならん!」という態度こそ(●●にはお好きな新聞の名前を入れてください)、偏向していてつまらないと言うべきだろう。
そもそも、新聞には「朝刊紙」「朝刊スポーツ紙」「夕刊紙・タブロイド紙」と大きく分けて3つの種類が存在する。いわゆる「格式」や「情報の信頼度」は違うが、一律に「スポーツ紙だから信頼できない」「タブロイド紙だからでたらめ」とは言えないからおもしろい。大切なのは、それぞれの「キャラ」や「芸風」といった前提を理解しておくことで、より読み比べが楽しくなるということ。
まずこの章では、朝刊紙から見ていこう。ここでは、代表的な朝刊紙として、『朝日新聞』『産経新聞』『毎日新聞』『読売新聞』『日本経済新聞』、そして地方紙を代表して『東京新聞』を取り上げ、それぞれの特徴を比較してみることから始めたい。
格式ばったおカタいイメージがあり、それゆえ情報の確度にも一定の担保がなされている朝刊紙だが、前提となる「ベタ」を伝えてくれる新聞だと思えばわかりやすい。それでも、各紙によってまったく違う芸風を持ったキャラだということがわかると、より親しみやすくなるだろう。
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具体的な各新聞紙の芸風、キャラについては『芸人式新聞の読み方』をご覧ください。
芸人式新聞の読み方
プチ鹿島著『芸人式新聞の読み方』試し読みを文庫化記念で再び。