ヒマラヤの秘境にて修行をし、究極のサマディ(悟り)に達した、ヒマラヤ大聖者・ヨグマタ相川圭子さん。「多くの人に幸せになっていただきたい」という思いから著した新刊『ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス』より、日常生活で今すぐ実践でき、悩みを手放し健康体質になれる「瞑想的生き方」をお届けします。
(刊行を記念して4月3日紀伊國屋ホールにて講演会を開催します)
相手に気を使うのではなく、愛を使いましょう。それが正しい姿です。
ここでいう「気」とは「心」のこと。ですから、心を使うと、無意識のうちに相手に気に入られようとか、嫌われないようにしようというエゴが働きます。
エゴでする行為は善行にはなりません。なぜなら、相手を気づかっているふりをして、本当は自分の得になるためにしているからです。それは相手への思いやりでなく、自分の価値観によるものであり、相手の気持ちを無視した押しつけになることもあります。
欲の心に基づいて行ったり、タイミングや本当にするべきことを誤ったりすると、かえって相手をダメにしてしまうこともあります。それは、相手からすると「余計なお世話」になります。
さらに、常に気を使うと、文字通りエネルギーを消費します。気がせわしい人になったり、自分が疲れるのです。
また、無意識に相手からの感謝や見返りを期待することもあるかもしれません。たとえば、道を譲ってあげたのにお礼も言われず、当たり前のようにふるまわれたら、少し腹が立つかもしれません。
「せっかく、いいことをしてあげたのに」と、損をした気になるかもしれないのです。エネルギーを消費するうえに、否定的な気持ちを抱くことで悪いカルマまで積んでしまいます。
では、「愛を使う」というのはどういうことなのでしょうか。見返りを期待せず、その人の幸せを祈って行う。それが「愛を使う」ということです。自分のことは何も考えません。ただ、相手の幸せを祈ります。だから、感謝されなくてもいら立つことはありません。
「愛を使う」は、「母性的な愛」と言い換えることもできます。たとえば、お客様がいらしたとします。あなたはその人を喜ばせるために特上のお茶を買ってきてお出ししました。その人は、本当は喉が渇いていないのに、出されたものを残せないから無理をして飲んでいるかもしれません。「愛」を使わずに押しつけがましい「気」づかいになると、相手の負担になったり、自分のエゴのための「余計なお世話」になりかねません。
また、もし木枯らしの中、外で遊んでいた子どもが帰宅したとしましょう。あなたは「子どもにいい親だと思われたい」などの気持ちを働かせることもなく、冷えた体を温めるため、ホットミルクや温かいココアを出すでしょう。
そのときに、子どもが「走り回って暑いから温かい飲み物はいらない」と言っても、きっと腹は立たないはずです。「そうか、暑いのか。風邪をひかなくて良かった」と思うのではないでしょうか。
これが「愛を使う」ということです。見返りを期待せず、ただ相手の幸せを願って、相手のために行動をする。それが、人と接する際の正しい在り方なのです。
無償の愛を使っていると、愛の質は純粋に高まっていきます。その愛は減りません。むしろシェアをすることで、源からの愛とパワーを引き出し、それがどんどん増えていきます。もっと愛を使いましょう。そして深めましょう。世の中の多くの人が、気を使うのではなく愛を使うことで、この世界は平和になり、幸せが満ちていきます。
無償の愛を使うと
愛は増えていく。