新聞をキャラづけしたり、社説を「大御所の師匠からの言葉」とたとえたり、一気に新聞をおもしろく感じさせてくれる読み方が話題のプチ鹿島さんの『芸人式新聞の読み方』。その読み方を実際の新聞記者はどう思うのでしょうか? 元毎日新聞記者で、現在は、BuzzFeed JAPANで活躍する石戸諭さんと語り合いました。全4回でお届けします。
(構成:福田フクスケ 撮影:菊岡俊子)
新聞社は今も最強のジャーナリスト養成機関
鹿島 僕はふだん“時事芸人”と呼ばれるほど新聞の読み比べをしているんですが、実際に毎日新聞の記者として現場にいた“中の人”と会えるのは貴重な機会。ぜひいろいろ検証したいので、よろしくお願いします。たとえば今回の『芸人式新聞の読み方』では、朝刊各紙を擬人化しているのですが、あれはどうでしたか?
石戸 「毎日新聞は“書生肌のリベラルおじさん”」ってやつですね(笑)。新聞全体から立ち現れてくる論調をなかなかよく分析されてるなと、うなずきながら読みました。実際の現場には女性記者もたくさんいるし、個々の記者によって感覚はまた違ったりもするんですが。
鹿島 もちろん、社内には違う意見の記者もいて当然ですよね。
石戸 毎日新聞は、比較的記者の個性が認められているんですよ。「記者の目」というコーナーでは、「昨日○○という記者はこう書いていたが、それは違うのではないか」とか、侃々諤々やり合うこともありました。
鹿島 なるほど。ただ、一見小難しくてとっつきづらい社説も、「毎日、偉そうなおじさんが上から小言を言っている」と思いながら読むと、途端に親しみやすくなる。だから今回は、ふだん新聞をあまり読まない人に向けて、あえて「こういう風に擬人化してキャラ付けしながら読むとおもしろいよ」と提案してみました。
石戸 ええ、楽しみ方としては全然ありだと思うし、その通りだと思う部分もあります。実際、新聞業界の中で働いていても、「朝日っぽいな」「読売っぽいな」という独自の文化圏を感じることはありましたよ。
鹿島 そう言っていただけるとありがたい。今日お伺いしたかったのは、「新聞は弱体化しているのか?」ということ。昨年は“文春砲”という言葉が話題になったように、甘利大臣(当時)の政治資金スキャンダルなどは、本来新聞が追及するべきことだったのではないかと思うのですが。
石戸 昔の先輩の思い出話などを聞いていると、たしかにかつては取材費も潤沢に使えたとか、取材に専念する時間があった。そんな土壌があったのは感じていて、時代や環境が変わったなとは思います。ただ、新聞が弱くなった、ダメになったとはまったく思いません。取材記者を千人単位で揃えていて、かつ取材のノウハウをきちんと体系的に体得できる組織は、まだ新聞社以外にはあり得ない。今のメディアの状況を考えると、正直、新聞ががんばる以外にないでしょ、と思ってます。
鹿島 ちょうどこの本を書き終えた頃から、“フェイクニュース”や“ポスト真実”という言葉が出てきて、そんな時代だからこそ、まずはある程度情報の信頼性が担保されている新聞を読んだほうがいいんじゃないかと思うんですよ。
石戸 ええ、自分がネットメディアに移った今、あらためて思うのは、記者を育成するためのオン・ザ・ジョブ・トレーニング(実地経験を通じた人材育成)のノウハウやシステムは、やはりまだ圧倒的に新聞社が優れているということ。地方にいる若手記者は自分の将来を悲観してるかもしれないけど、新聞はまだそんなに捨てたもんじゃないぞ、と強く言いたいですね。
鹿島 新聞にはなんらかの裏付けを取ったものしか出せないし、記者はその取材ノウハウの基礎を教え込まれるわけでしょう?
石戸 地方支局にいた新人の頃、まず最初に叩き込まれるのは、やはり“ファクトチェック”です。とにかく裏を取れと言われる。でも、どこまでやれば裏を取ったことになるのかって、実は意外と難しいんですよね。「あなた、車に轢かれたんですか?」って被害に遭われた方に聞きに行くわけにはいかないじゃないですか。だから、複数の情報から確認したり、「警察はこう言ってるけど、ちゃんと道見た?」とか言われて、住宅地の地図を見て確認したり。
鹿島 最初は、地方支局での町ネタから担当するんですか?
石戸 新人はいわゆる“サツ回り”と呼ばれる警察取材ですね。サツ回りは「権力におもねりやがって」とよく批判されるんです。でも、警察ってこう捜査するんだとか、こう情報を発表するんだとか、刑法や刑事訴訟法が現場ではこう運用されるんだ、裁判はこう機能するんだ、ということを実地で取材しながら、学べたことは、後からとても役立ちましたよ。
鹿島 そういうのって、「今日からジャーナリストです」と名乗ったところでできないですもんね。そもそも、そういう場になかなか参加できないだろうし。
石戸 僕がサツ回りで学んだのは、ひとつの事件でも、事実というのは見る人が変わればまったく違う複眼的なものなんだということ。追いかけていくと、捜査をした警察の視点、被害者の視点、裁判で被告が語る視点……。それぞれに見方があることがわかるんです。そんな経験はやりたいと思ってできるものではないし、地方のサツ回りをしていたおかげで経験できたことですから。
鹿島 記者としての基礎体力を固めるジャーナリスト養成期間としては、いまだに新聞社以上のところはない、と。
石戸 現場にいたときは正直不満もありましたよ。夜遅いのに、取材先が帰ってこないとか、どうしても聞かないといけないことを締め切り時間までに聞けないとかですね。でも、いざ離れてみると悪く言えないんですよね。新聞社への志望者自体は減っていると思うし、週刊誌やフリーランスからスタートするという手もあるけど、それでもメディア志望の学生にはまず新聞社を勧めたいなぁ。セカンドキャリアを考えても、決してマイナスにはならないですよ。
“新聞が何を書かないか”という視点が大切
鹿島 僕は最近、「新聞って朝に読まなくてもいいな」と思っていて。朝刊6紙をすべて購読しているんですが、朝は忙しいし頭も冴えてないから、読もうと思うとプレッシャーになって疲れちゃう。だったら、朝は見出しだけ読んで、一日が終わって寝る前に気になるトピックを読み比べるとか、2~3日後に読み返しても、一週間後にまとめて読んでもいいじゃんと思うようにしたら、以前よりも新聞を読むのが楽しくなってきたんです。
石戸 それ、すごいよくわかります。片付け忘れた数日前の新聞を、今日のだと勘違いしながら読んでると「あれ、けっこうおもしろいな」と思います(笑)。「続報どうなったっけな」と次の日のも読み返したりとかして。
鹿島 池上彰さんも「朝は見出しだけでいい」とおっしゃっていて、池上さんと同じだと思ってホッとしたんですよ(笑)。それなら、新聞に興味がない人もとっつきやすいじゃないですか。僕は、あくまでも外部の一読者や野次馬としてこの本を書いたわけですが、プロの記者はふだん新聞をどう読んでいるんですか?
石戸 だいたい1〜3面と社会面を見て終わりにしがちですが、僕は今、生活とか暮らしについて書かれた面がけっこうアツいなと思っています。新聞の中でも比較的、記者の当事者目線というのが許されている気がする。子育てしていてもやっとしたこととか、記者の個人的な引っかかりや思い入れが込められていることがあっておもしろいんです。
鹿島 書く人のキャラクターが出せるんですね。
石戸 新人研修のときに、「新聞を読みなさい」と強く言われました。どういうことかと言うと、いざ新聞記者になると、自分の担当する記事が他紙に抜かれてないかばかり気にして、そのチェックさえしたら後は“そっ閉じ”ってことになりがちなんですよ。
鹿島 ああ、新聞記者に限って、新聞を読まなくなっちゃう可能性もあるってことか。
石戸 そう、だから「新聞を読みなさい」というのは、そうならないように視野を広く保ちなさいって意味なんです。僕は最初、岡山支局に5年いたんですが、毎日新聞は地方支局の人数が少なくて、他紙が2~3人でやっていることを1人でやるのは当たり前。もちろん「〜〜逮捕へ」みたいなスクープでも勝て、と言われましたが、仮に負けても「切り口で勝て」と言われてきました。
鹿島 ほう。自分なりの視点を見つけろ、と。
石戸 支局時代のデスクが、毎日新聞の事件記者から週刊誌の『サンデー毎日』に移った人で、とにかく「読ませるように書け」「おもしろく書け」と言われ続けました。彼いわく、新聞は書き方が決まっていてつまらないけど、もっと面白くできる。週刊誌はどこも“新聞が何を書かないか”というところで競っているんだ、と。
これは「新聞的には要らないと簡単に判断するな。どんな情報も軽く扱うな」ってことですよね。新聞的ではないけどおもしろい話、新聞の枠の中に収まらないけど重要な話というのが現場にはいっぱい転がっていて、そこを拾うと新しい切り口が見つかる。そういう想像力をフルに使って取材していますか? ということを常に指導されました。まさに鹿島さんがこの本でしているように、自分なりに仮説を立てて読んでみる想像力が大事なんです。
鹿島 僕は出ている新聞から想像を巡らせるだけですが、記者の方はその仮説からさらに裏を取りに行ったり、検証することでまた記事になるんですね。
石戸 “新聞が何を書かないか”を大事にしろという教えは、新聞社を離れてネットメディアで働くようになってますます役立ってます。新しいネタや切り口って、なんだかんだ新聞をめくりながら思いつくことが多いし、新聞があるからその向こうを張ることができる。
鹿島 僕が、タブロイド紙やゴシップ紙を楽しむためには、まず一般朝刊紙を読んだ方がいいと言っているのは、そういうことなんですよ。いきなりキャッチーで刺激的なものに触れても、その本当のおもしろさはわからない。まずは朝刊紙で前提となるベタを味わってはじめて、「タブロイド紙はここをえぐってきたな」「週刊誌はここを膨らませてきたな」というのが楽しめるんです。
石戸 結局、新聞は王道です。王道が失墜するとカウンターだった雑誌やネットも落ちていく。大きなマスメディア業界のなかで、それぞれの役割を果たしながら、お互いに競争しているんですよね。
(第2回は、4月16日公開予定です)