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経済政策大全

2017.04.18 公開 ポスト

第22回

経済衰退理論 1小幡績

 さて、いよいよ経済衰退理論を考えよう。

 これまで経済衰退理論が存在しなかったのはなぜか。

 2つ理由がある。

 第一に、20世紀後半になるまで、資本主義が拡張し続けていると思われており、かつ実際に、量的な拡大は続けていたこと。

 第二に、衰退する事実を認めたくないため、衰退を食い止めることが求められ、あらゆる政策が動員され、議論は成長を復活させることにすべてのエネルギーを注いできたこと。

 

 しかし、現実には、拡大があれば縮小があり、膨張の後は、収縮か崩壊であり、発展があれば衰退もある。

 

 近代資本主義自体が一つの循環

 帝国にも栄枯盛衰があるように、世界経済全体にも盛衰は当然に存在し、景気循環があるように、資本主義自体の循環があり、このシステム循環により、資本主義は衰退し、次のシステムあるいは循環に移っていく。システムも当然循環するのであり、それぞれの循環が一つのシステムと捉えられる。

 すなわち、近代資本主義は一つの循環であり、拡大局面が終了すれば縮小局面になり、拡大を発展と呼ぶなら、縮小は衰退となる。

 衰退理論とは、全体像である近代資本主義の循環過程の一部分に過ぎないから、資本主義の循環過程の議論こそが、衰退理論の議論である。多くの循環の中の個別事例である一つである近代資本主義の循環過程を追ってみよう。
 

 近代資本主義とは流動化による動員

 近代資本主義は、資本と労働の動員によって成立した。

 社会的背景についてはここではとても議論できないが、結果として、経済的には、労働が流動化し、資本とともに、労働が動員できるようになった。

 労働の動員は、分業の進展をもたらした。

 しかし、近代資本主義による本格的な労働の動員が起こるまでは、分業の進展は、ある共同体の、村の、地域の、小独立経済圏の、どういってもよいが、閉じた経済圏の内部の自給自足の効率化、高度化に留まった。生産性は上昇し、その経済圏内の人々はより多くの生産物を手に入れる。ただし、これは市場経済の進展ではなく、自給自足の拡大でしかない。それが貨幣を用いた交換であっても、地域内の市場の発達を伴っていても、経済圏内で完結していれば、それは自給自足の高度化に留まり、市場経済の進展、資本主義の進展ではない。
 

 シュンペーターとは異なる漸進的な経済発展:高度な自給自足

 この世界においては、膨張もなく、破綻もなく、大きな循環もない。逆に言えば、まさに経済は発展したのであって、それは断絶も新結合の遂行もないが故に、漸進的に技術の改良、分業の高度化が進展し、豊かになったのだ。

 ここは、シュンペーターの経済発展理論と大きく異なる。

 つまり、経済発展には2つあって、断絶を伴う異次元への発展と、今述べたような漸進的成長だ。実際、シュンペーターもそういう成長は排除しないし、存在する、としている。ただ、それはあえて経済発展の理論として分析しなくとも、循環の分析から容易に拡張しうる、理解可能であるから、理論考察の対象とする必要はない、として、分析対象からはずしているだけだ、と述べている。

 さて、この高度化された自給自足経済圏は、外部との交易、あるいは単に取引によって、瓦解を始める。一般的には、それを経済成長、発展と考えてきた。市場経済の発展、経済圏の拡大、これこそが資本主義経済の成功の証である。
 

 経済圏と社会圏の不一致

 しかし、これは経済圏と社会圏の不一致を生み出した。

 ここに、資本主義の堕落が始まったのであり、逆に言えば、資本主義の本質が動き始めたのである。価値中立的に言えば、資本主義の循環の中で、拡大が始まり、縮小が将来起きることを運命付けたのである。

 経済圏と社会圏の違いは何か。

 それは、匿名取引が成り立つ世界と成り立たない世界である。

 社会圏においては、常に特定できる相手で、かつ関係がその取引以外でも成立しており、1回ごとの経済取引よりもトータルでの関係(社会的な関係)の方が重要である相手、そういった相手との取引しか成立しない。そのような取引だけで成り立っているのが社会圏であり、社会圏の中での取引である。

 別の言葉で言えば、贈与論が成り立つ世界である社会圏に対して、貨幣取引しか成り立たないのが経済圏である。

 貨幣取引は、取引相手に信用を求めずに成立する。貨幣に信用が乗り移っているからだ。逆に、このため貨幣取引に対する警戒も生じる。金で土地を売ってくれといっても、現在でも、地域によってはかなり難しい。むしろ、それが日本でも世界でも普通だ。何にその土地を使う不明のままではもちろん駄目だし、用途を示しても、信用できない相手には土地など売れない。貨幣換算できないのである。土地はまさに象徴的で、土地取引は社会圏内でしか成立しない取引であり、外部からの購入者は、その社会の内部者になることを求められる。

 社会はそれぞれ閉じており、外部とは経済的取引でしか結びつくことはなく、その取引も貨幣で行われる。伝統的には、この「社会」は「地縁社会」であるが、それ以外の社会においても、実は同様である。

 ネット上でコミュニティが生まれているというが、それを社会と呼べないのは、関係を一方的に低コストで絶つことが可能であり、次のコミュニティにローコストで移ることができるからである。同時に複数のコミュニティに参加することが排除されないどころか、むしろそれが一般的であり、これでは、社会とは呼べない。

 社会か否かの本質は、個別の取引(あるいは関わり)が、将来の関係性よりも重要になることがあり得ないのが社会であり、その可能性があっては社会として成立しない。

 将来の関係性の価値が低かったり、ほかの社会に移る選択肢があったりすることにより、コミットメントのメリットが小さくなっていると社会として成立しえないともいえる。

 したがって、社会は基本的に地縁以外では成り立たない。例外は、宗教団体などだが、日本の「会社」は、ある特定の時代においては社会であったといえる。だから、「企業」ではなく「会社」なのだ。その結果、日本の会社の内部では、取引ではなく贈与が行われ、強い結束力の組織が成り立っていた。学校の同窓会なども、一部の学校では社会として成立することがあり得る。また特定の業界が社会になっていることもある。日本の芸能界は互助会であると批判されることがあるが、そこが米国の興行界とは良くも悪くも違うところで、前者だけが社会であり得る。ハリウッドはマーケットだ。しかし、これは特定の業界に限った話ではなく、米国と日本のすべての業界における相違であり、「社会」が成立しやすいという「日本社会」の特質である。
 

 貨幣の本質

 さて、貨幣とは資本主義そのものである。

 それは自己増殖本能を持っているからだと言っても良いが、より本質的には、社会の紐帯を解き放つものであるからである。

 すなわち、貨幣によって、異なった社会同士の経済的取引がはじめて可能になるのである。貨幣がなければ、社会はそれぞれ孤立し、経済的な関係を持たない。逆に言うと、貨幣取引取引でない経済的取引が行われている(あるいは可能である)場合、それは同じ社会圏にいることになる。

 貨幣が社会の紐帯から取引を解き放つ(人間をではなく取引を、と言うべきである)のは、貨幣が物物交換の呪縛から交換経済を解き放ち、自給自足から市場経済へ向かう手段となっているからであると一般的には理解されている。しかし、より重要なのは、貨幣が匿名性を持っているということだ。

 貨幣とは「匿名の信用」である。

 これが貨幣の核である。
 

 マネーは貨幣ではない

 銀行の与信は広義のマネーだが、貨幣ではない。匿名ではないからだ。

 為替手形が金融の発達の始まりであり、貨幣はその遥か昔から成立していたのだが、前者は、あくまで、信用は個人あるいは法人などの特定の主体に帰属し、匿名性の信用ではない。どんなに無限に近い連鎖が続くように見えても、それはやはり特定の主体の信用の連鎖であり、個別具体的な主体の信用に基づく。これが貨幣になるためには、匿名性を獲得しなければならず、そのためには、個別の主体という紐帯を解かなければならない。

 金(gold)は、金(gold)そのものに信用があると思われがちだが、金に信用があると人々が思っているから、金には信用があるので、人々が勝手に信用しているから信用があるのだ。このとき、金は貨幣になるのである。

 日銀など中央銀行が発行する紙幣も同じことで、これは日銀などの信用に基づいているように見えるが、そうではなく、人々が日銀を信用するということがきっかけにはなっているが、本質は日銀は背後に下がり、その紙幣をすべての人々が受け取ることに微塵も疑問を持たないからであり、もはや貨幣そのものに信用がある状態になっている。

 この結果、信用そのものが流動化された形態の貨幣の出現により、異なる社会に属する主体同士が、貨幣を媒介として取引を行うことができるようになった。取引相手はいつ裏切られるかわからないが、貨幣は裏切らないから、貨幣さえ出してくれれば、取引相手ではなく貨幣そのものを信用する、ということだ。ここに社会が不要になる。
 

 貨幣は社会を流動化し、経済圏を規定する

 さて、社会圏同士をつないだ経済圏が貨幣によって成立する、ということを議論してきたが、一方、経済圏の外縁を規定するのは、貨幣圏である。すなわち、同一の貨幣が通用し、流通する範囲が一つの経済圏なのである。貨幣は経済圏を規定する核なのだ。

 さらに、帝国も国民国家も、経済圏として地域を支配するために、帝国または国民国家を築いたのだが、経済圏を獲得するためにもっとも重要な手段は通貨発行権を獲得することであった。国家建設する目的は、通貨発行権を手に入れるためという論者もいるぐらいだ。

 一方、現実には、君主が発行しない貨幣が、通貨として流布したことも多く、太古においては、羽根、貝殻や石を貨幣として用いていたし、現在でも刑務所ではタバコが通貨になることなどを考えると、国家とは離れて貨幣は存在する。他方、貨幣を離れて経済圏は成立しない。したがって、帝国や国民国家があろうがなかろうが、経済圏とは貨幣圏そのものであると捉えられる。

 国民国家が、資本と国民を動員して戦争に勝つための枠組みであり、そのための手段が民主主義であり、その結果が民主主義国家という体裁、建前、となるわけだが、資本主義とは、その国民国家を利用して繫栄したのだが、あくまで国家とは独立に成立するものであり、そのときの手段が貨幣であり、貨幣とは流動化であり、資本とは流動化して、社会の間を流れ、飛び回ることにより、力を得ていったのである。

 これが近代資本主義の成立であり、近代資本主義循環の始まりなのである。

※第23回へつづく

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経済政策とは何か? なぜ専門家の政策提言は経済を悪くするのか? 経済政策はなぜ政治家のオモチャになりやすいのか? 「経済政策」の全体像を、そもそもの出発点から平易に考える。専門家に騙されない武器が身に付く集中連載。

 

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小幡績

1967年生まれ。慶應義塾大学ビジネススクール准教授。個人投資家としての経験も豊富な行動派経済学者。メディアなどでも積極的に発言。専門は行動ファイナンスとコーポレートガバナンス。著書に『リフレはヤバい』(ディスカバートゥエンティワン)、『成長戦略のまやかし』(PHP研究所)、『GPIF 世界最大の機関投資家』(東洋経済新報社)などがある。

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