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愛と子宮に花束を――夜のオネエサンの母娘論

2019.07.26 公開 ポスト

嫌いながら愛してくれたあなたへ

【家族が苦しい】母上様 あなたとの最後の会話を綴った本を出します(再掲)鈴木涼美

(写真:iStock.com/Maddy_Z)

鈴木涼美さんの『愛と子宮に花束を――夜のオネエサンたちの母娘論』には、ご自身の母親との最後の日々が綴られています。「家族が苦しい」特集の最後に、涼美さんが、本の刊行に際して寄稿してくださった、母への手紙を再掲します。娘のことを許さないまま世を去った母に、娘が最後に伝えたかったことは……。

*   *   *

母上様

あなたが息をしなくなってから来月でちょうど1 年経とうとしています。私は相変わらず新宿に住んで、ミナコやケイコやレイコとたまにワイワイ飲みに行きながら、でもずっと鳴り続けていた蓄音機が急に動かなくなったような、そんな不思議な毎日を送っています。

33歳になったばかりの頃に私を産んで、私が33歳になる直前に逝ってしまったあなたにとって、私はあんまりいい娘ではなかったのでしょうか。19 歳で家を出てから何度も、しばらく実家に戻ってくればいいのに、という両親の言葉を無視して外で暮らし続けた私の生活は、とても愉快で華やかなものでした。

それでも私は、いつかは向き合って答えを探さなくてはいけない問題をいくつか、身体の中にとどめたままでした。それは、棚上げにしたところでどこか気がかりで、だから目の前にある愉快や華やかさを、本気で何の疑問もなく受け止めていたというわけではなかったみたいです。

思えば私のこれまでの人生は、有り余る資本がぶら下がった身体を小気味よく利用して生きていくことが、どうして簡単に許されないのか、その問いに支配されていたような気もします。なぜ身体を売って、面白楽しく暮らしてはいけないのか。あるいは、どうして身体を売るような荒んだ生活は魅力的で、引き返せないほど強く私たちを掴んで離さないのか。

ただただ煌(きら)めくその世界に引き込まれながら、100枚以上の使用済みパンツを売った時も、キャバクラのおしぼりケースの中で眠りこけた時も、AV嬢になった時も、なんとなくではありますが、根っこのところにそんな問いが横たわっていました。どうしてこんなに楽しく、どうしてこんなに許されないのか、と。

ただ、おそらく私はその答えの、最も重要な、核のような部分を教えてくれるものがあるとしたら、それは私の数多の経験ではなく、あなたであると思っていたし、今でもそう思っています。そしてあなたは私のいる靄(もや)のかかった迷路の先に、その核の、本当に小さな小さな破片の影をチラつかせて、チラつかせたままこの世を去ってしまいました。

私は今も、わかりそうでわからない、掴めそうで掴めないそのぼんやりとした影を追いかけています。もしかしたら一生見つからないかもしれないし、最初から全体などないのかもしれないけれど、奥の方でぼんやりと光っている何かを追い求める人生も、結構楽しいのかもしれません。

先日、持ち主によって開けられることがなくなってしまったあなたの部屋のクローゼットや鏡台を整理しに、鎌倉の家へ行ってきました。

5000冊以上の絵本は父が図書館に寄贈したし、洋書はフィリピンの学校に寄付しましたが、洋服については父が手をつけたがらず、1年間そのままにしていたのです。

あなたのドレッサーがある部屋の壁一面に建て付けてあったクローゼットには、肩パット入りのCKのスーツからあなたらしいヴィヴィアンのケープなど、いろいろ笑えるものが入っていましたが、思いの外多かったのが、もともと、私が自分用に買った服やバッグです。

そういえばあなたはよく私が着なくなった服を、自分の部屋に持って行って時々着ていたな、と懐かしく思い出しました。私が知らないオジ様方にお酒をついで営業メールをして稼いだお金で買った服。それに袖を通して、もしかしたらあなたはほんの少しでも私のことを理解しようとしていたのかもしれません。エルメスやフェンディや和服の中にある私のシャネルやヴィトンは、明らかに異色の存在で、それにあなたが気づいていないわけないだろうな、と今では思います。

ついでに私は散らかり放題の倉庫のようになっている自分の部屋の整理もしたのですが、久しぶりに開けたクローゼットからは、カビだらけのクロエのお財布やマノロの靴などがたくさん出てきました。もちろん、安いギャル服もキャバドレスも出てきました。タグがついたままカビ臭くなっている洋服たちは私にとってもう、以前のようにキラキラとした輝きが感じられるものではありませんでした。

それでも、母であるあなたへの嘘のない愛をもっても、元カレたちに向けてきた嘘っぱちの愛をもっても、止められないほど強い衝動をもってそれらに囲まれた生活を選択してきた私にとって、そういった残骸はとても悲しく愛らしく見えるものです。私の中で、母や父を愛することと、暗い深海のような夜の街に繰り出すことは、大した矛盾もなく両立するような気がしていたけれど、あなたは最後までそれを真っ向から否定していました。

結局、私はあなたの言葉によってAV嬢を引退したわけでも、キャバクラを退店したわけでもなく、今もそれらを否定する言葉を持ちません。でも、今もなおそれなりに商品価値のある身体を抱えたまま、それでもそれを売らずに生きていられるのは何故なんでしょうね。散々知らない男にお酒を注いで、散々人に裸を見せて、もう守るべき聖域など何もないはずなのに。

前置きが長くなりましたが、この度、あなたとの最後の会話を書き綴った本を出版するに至りました。私のように、母親との間に絶望するほどでもない些細な悩みを持って夜の世界を駆け巡った女の子たちの話を書いたウェブ連載を本にしようと思った際に、あなたとの会話を、連載でなく書き下ろしで付け加えることを許してもらいました。

二度と更新されないあなたの言葉は、日々更新されるウェブサイトに乗せるには似つかわしくないと思ったからです。普遍的なことを言うのを恐れないあなたの言葉は、簡単にデリートできない、インクで書かれた文字に似ていると思ったからです。

そして何より、書斎にある何千冊もの本に埋もれながら、70冊以上もの本を書きながら、私を育て上げたあなたの言葉を、私も本の中に保存したいと思ったからです。

書いているうちに、わかったこともいくつかあります。思っていたより、私はずっとあなたの言葉に動かされて生きてきました。思っていたより、私もあなたのことを恨めしく思っていました。そして思っていたより、あなたはわかりやすい愛の言葉で、私を正そうとしていました。

長くなりましたが、良い娘を器用に演じずに生きる私を、長いこと許さずに受け入れ、嫌いながら愛してくれたことに、心から感謝いたします。

2017年5月
鈴木涼美

鈴木涼美『愛と子宮に花束を-夜のオネエサンの母娘論』

愛しているがゆえに疎ましい。 母と娘の関係は、いつの時代もこじれ気味なもの。 ましてや、キャバクラや風俗、AV嬢など、 「夜のオネエサン」とその母の関係は、 こじれ加減に磨きがかかります。 「東大大学院修了、元日経新聞記者、キャバ嬢・AV経験あり」 そんな著者の母は、「私はあなたが詐欺で捕まってもテロで捕まっても 全力で味方するけど、AV女優になったら味方はできない」と、 娘を決して許さないまま愛し続けて、息を引き取りました。 そんな母を看病し、最期を看取る日々のなかで綴られた 自身の親子関係や、夜のオネエサンたちの家族模様。 エッジが立っててキュートでエッチで切ない 娘も息子もお母さんもお父さんも必読のエッセイ26編です。

『身体を売ったらサヨウナラ―夜のオネエサンの愛と幸福論』

まっとうな彼氏がいて、ちゃんとした仕事があり、昼の世界の私は間違いなく幸せ。でも、それだけじゃ退屈で、おカネをもらって愛され、おカネを払って愛する、夜の世界へ出ていかずにはいられない―「十分満たされているのに、全然満たされていない」引き裂かれた欲望を抱え、「キラキラ」を探して生きる現代の女子たちを、鮮やかに描く。

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鈴木涼美

1983年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒。東京大学大学院修士課程修了。小説『ギフテッド』が第167回芥川賞候補、『グレイスレス』が第168回芥川賞候補。著書に『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『愛と子宮に花束を 夜のオネエサンの母娘論』『おじさんメモリアル』『ニッポンのおじさん』『往復書簡 限界から始まる』(共著)『娼婦の本棚』『8cmヒールのニュースショー』『「AV女優」の社会学 増補新版』『浮き身』などがある。

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