今、話題のVR(仮想現実)映像。書籍『VRスコープ付き タイムトリップ 日本の名城』では、付属のQRコードをお手持ちのiPhoneで読み取って特製VRスコープに入れることで、手軽に名城のVR体験ができます。
頭の向きを変えると臨場感のある映像が全方位に広がり、復元された名城が目の前にあるかのよう。まるで時間旅行をした気分に――。
書籍では「おんな城主 直虎」の時代考証などで知られる小和田哲男氏監修のもと、全国の20名城をCGイラストで復元。豊富な解説で歴史や逸話がわかるとともに、城内の見どころやアクセスガイドを網羅し、城めぐりに役立つ一冊です。
今回は「彦根城」の一部を試し読みとして公開します。遠江の地方豪族だった井伊家が直虎の奮闘を経て、直政の時代にたどり着いた彦根の地。直政と嫡男・直継が知略を尽くした工夫の数々とは?
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失われた近江の城郭が息づく
彦根は琵琶湖を介して京へ接続し、北国(ほっこく)街道の交わる交通の要衝である。
関ケ原の戦い後、徳川家康は西国の大名たちを牽制するため、徳川四天王のひとり井伊直政にこの地での築城を計画させた。それが彦根城である。
直政を当主とする井伊家は、もともと遠江(とおとうみ)の井伊谷(いいのや)を拠点とした地方豪族で、当初今川家に服属していたが、直政の父・直親(なおちか)が謀反を疑われ誅殺されて以来没落していた。その後、直政のはとこにあたる次郎法師が女性ながら直虎と名乗って再興に尽力。直政が家康に見いだされたことで、家運が上向いた。
直政の没後、嫡男・直継(なおつぐ)の代に一応の完成を見た彦根城は、彦根山の地形を利用し、竪堀(たてぼり)や登り石垣を配した実戦的な平山城である。
工期を短縮するため、近江国内の城から資材が調達されており、たとえば、天守は廃城となった大津城から、独特の形の天秤櫓(てんびんやぐら)は長浜城からの移築といわれている。
彦根城は慶長11年(1606)に天守が完成。数種の破風(はふ)を組み合わせた壮麗な3重3階の天守が姿を現わした。一旦、大坂の陣の影響で工事が中断し、元和(げんな)8年(1622)に完成に至った。
【Column】大名庭園の白眉「玄宮園」
彦根城の北東に位置する玄宮園は、延宝7年(1679)までに4代藩主・井伊直興により整備されたと伝わる大名庭園である。
中国湖南省の瀟湘八景を「近江八景」と置き換え、作庭された。大池泉「魚躍沼」から彦根城の天守方向を眺める景観は美しく、数寄屋造の臨池閣が水面に映え、天守が借景となる。大名気分を満喫できる池泉回遊式の庭園である。
【ココがスゴい!】天守の意匠の秘密
彦根城の天守は、入母屋破風、唐破風、千鳥破風、切妻破風と4種類の破風で飾られている。この破風は天守をより鮮やかに飾ると同時に、内部に狭い部屋「破風の間」が設けられ、天守に迫る敵を迎撃する仕掛けが施されている。
【防御のPOINT】
1. 大手門につながるのは1本の橋。渡ろうとする敵は大手門からの射撃と多聞櫓からの側射を受ける。さらにこれに鐘の丸からの砲撃が加わり、対岸の敵に損害を与える。大手門を抜けられたとしても、今度は枡形で十字砲火を行なう仕掛けとなっている。また内枡形虎口のため、門を直射されることがない。
2. 万が一敵が渡河を強行し、城壁を乗り越えた場合は、山崎曲輪からの牽制と西の丸からの逆襲で挟撃する。西の丸三重櫓は10mの高石垣の上にあり、西側の敵を一望のもとに収めることができた。
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