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ピンヒールははかない

2017.07.20 公開 ポスト

ラケルの話

産後鬱。それを伝える相手も、サポートシステムも持ってなかった。佐久間裕美子

母親、妻、仕事……。毎日仕事をするだけでも大変なのに、子を持ち働く女たちは、限られた時間の中で母の顔、妻の顔と、いくつもの役割を求められる。弱音を吐かない彼女たちが辛かった時間について口にするのは、たいていコトが終わってからだ。『ピンヒールははかない』の著者・佐久間裕美子さんがレポートするニューヨークの女たちの話。今回は、産後鬱と向き合ったラケルについて。

  *

 ラケルは、モデルで、アーティストで、母親だ。5年ほど前に友達のギャラリーで彼女が個展をやったときに知り合った。「live free in hell(地獄を自由に生きる)」というタイトルがついていた。

 当時の彼女はまだ20代前半で、男性モデルに特化する事務所に唯一の女性モデルとして所属し、異彩を放つ活動をする一方、ポラロイド・カメラで自分や家族の写真を撮っていた。スウェーデン人の母親と、アメリカ人の元ボクサーの父親との間に生まれ、ティーンエージャー時代にドラッグ依存症になって施設に入り、そこから少しずつ自分を発見してきた彼女の撮る写真は生々しく、正直で、自由で、衝撃的だった。ヴィンテージのライダース、タトゥー、中指、アメリカ国旗、ヌード、ストーナー・メタル……彼女の世界を構成するものたちは、泥臭くて荒々しいけれど粋だった。

  *

 しばらく経って、彼女から妊娠した、出産するという連絡があった。うっかり妊娠である。父親はしばらく付き合っているボーイフレンドで、結婚する予定もない。けれどラケルの言葉には、迷いは一ミリもなかった。キリリとした様子で「これまで私の表現は、いつもそのときそのときの自分を反映してきたし、メスとして生まれた少女が女性になりかわろうとすることがテーマだった。それがこの先どう変わっていくのか楽しみ」と言ったと思ったら、急に溶けんばかりの表情になって「でもほんとは、彼女が“bad ass”になってくれれば、他に何も望まない」と笑った。“bad ass”は訳しづらいところだけど、潔くてかっこいい彼女のような人によく似合う言葉である。

 

 生まれた子供にイーグル(鷹)という名前をつけたと聞いて、そういえばラケルの表現する世界では、イーグルはお馴染みのモチーフなのだと思い出した。女児の名前としては意外だけれど、常識に縛られない彼女の“bad ass”な女の子になってほしいという願いにぴったりな名前だった。イーグルが生まれて数ヶ月した頃に、ブッシュウィックのアパートにお祝いを持って遊びに行った。その後もときどき、お互いのソーシャルメディアで見た近況に感想を送ったり、道端でばったり会って喜び合う、という程度の付き合いが続いていたけれど、今度飲みに行こう、という約束はなかなか果たされないまま、早くも3年ほどが経っていた。

 彼女のアパートの向かいにあるコーヒーショップで落ち合った。すっかり成長したイーグルはふわっとしたピンクのオーガンジーのスカートをはき、絵本を読んでいる。

「毎日お姫様のような洋服を着たがるの。この私からガーリーな子供が生まれてくるなんておもしろいと思わない?」

 端整な顔立ちをした年上の白人男性が入ってきて挨拶をし、ラケルに事務的なことを伝達して、またカフェを出ていった。

「あれは今のボーイフレンド。庭に芝生を敷こうと業者に頼んだら、思っていたより大掛かりな作業で、邪魔になると思ってイーグルを連れて出てきたの」

 以前会ったことのある、イーグルの父親とは違う人だった。

「イーグルのパパとは2回別れた。一度目は、またすぐにもう一度トライしようということになった。心のどこかで、もうふたりの関係は修復できないとわかってはいたけれど、『これからどうやって子育てと向き合っていこう』となかばパニック状態だったから、子育てを一緒にやってくれる人がいることが、一番の優先事項だった」

 そしてラケルは言った。

「それにあのときの自分は『子供が生まれる前の自分』の死に向き合うだけでいっぱいいっぱいだった」

「death 死」という言葉にはっとなった。聞き間違えかもしれないと、「今、死って言ったよね?」と確認した。

「言った。だって、子供を産むということは、確実に、それまでの自分とは違う自分になる、前の自分が死ぬこと。生まれてきた新しい命が、自分の意識を離れる瞬間がひとつたりともないという新しい状況設定に突然放り出される。新しい命を育てながら、それまでの人生と自分を失った喪失に取り組むのはとても大変な作業だった」

 ラケルは、何年か前に自分を見つけられずに荒れていたティーンエージャー時代のことを話してくれたときと同じように、まっすぐ私の目を見て、淡々と話し続けた。字だけで読むと、ビター(苦々しく)に聞こえるかもしれないけれど、イーグルに接する態度には、愛情の深さがにじみ出ている。

「産後はとにかく辛かった。9ヶ月もの間、人間の体の中に抱えていた命をついに吐き出すという大作業を終えて、肉体的にも精神的にも疲れ果てていたから、鬱になるのは不思議なことじゃない。しかもそれまで生きてきた社会から断絶されて、誰とも話をしないような日が続き、辛くて仕方がないのに、母親たちはみんな、『幸せよ、すべてうまくいっていて、子供も元気に育っているし、ああ幸せ』と振る舞っている。自分は産後鬱に苦しんでいて、それを伝える相手も、サポート・システムも持っていなかったから」

 幸せだ、と振る舞う女性たちの口調を真似するとき、ラケルは普段の低くゆっくりと落ち着いた声から、ピッチを2段くらいあげて、早口になった。

「Oh my god, I am so happy. My baby is great, everything is great and I am soooooo happy」と。

 そして妊娠中には、出産直後も続けるのだと思っていた表現活動は、思いのほかに大変だった。

「何かを作りたいという気持ちに身をまかせて刺激を受けていた自分から、夜子供を寝かしつけたら表現する気力もなく、口の端にチップスのかけらをくっつけて、ソファで呆然とテレビを見ている自分になってしまった」

 当時のパートナーは、古典的な家庭に育ったヒスパニックの男性で、彼女にとって創作が命綱であり、生きることの一部であることがわからないようだった。

 それでもポラロイド写真は撮り続けた。

「妊娠したときから、出産、生まれてきたイーグル、産後鬱に苦しむ自分のすべてを記録してきた。私の初期の作品は、女性の生き方についての定説と戦うことがテーマだったけれど、今は母親としての生き方の定説と戦うことがテーマになった」

 それが今、ラケルの新しい写真集として完成しつつある。

 母親、という新しい自分の役割に向き合う過程で、子供を産んだ人間は、いつもハッピーに振る舞わないといけない、そういう社会のプレッシャーを感じた。

「joy(喜び・幸福)とは、それを体験することを自分で選択した結果の瞬間的な存在で、恒常的な状況を表す言葉ではない。継続的な幸福なんてものは存在しない」

 公園で、幸せそうに振る舞う母親たちを見るたびに、さらに追い詰められた気持ちになっていた自分が、辛いときにも撮り続けた写真を発表することで、苦しいのはおかしなことではないと若い母親たちに知ってほしいのだと、編集中の写真集を見せてくれた。やっぱりこの中にも泣いているセルフ・ポートレートが多々あった。

「辛いときは、ごくごく少人数の人にしか連絡できなかった。最近、ようやく友達に『昔のあなたと変わらないよ』と言ってもらえるようになった」

 話をしながら、ちょっと前に日本で目にして衝撃を受けた女性誌の特集のコピーを思い出した。

「幸せだって思われたい」

 自分の心と付き合っていくだけでも大変なのに、その幸せが他人に紐ひも付いているなんて、なんて恐ろしいことだろう。

 どこどこのなんとかちゃんは私立の名門校に受かったらしい、お医者さんと結婚したらしい、田園調布に家を買ったらしい、かわいい子供を産んだらしい──私が育ってきた環境には、人がうらやましがる(妬む)ような環境設定と、誰かをうらやましいと思う気持ちがいつも渦巻いていて、けれど、自分を他人の状況設定と比べても、ネガティブな感情にしかつながらないことは子供心にもわかった。そしてその嫌悪感が、この手の感情からできるだけ遠い場所に行きたいと、海外を目指すことにもつながった。ニューヨークで自分の周りを見回すと、みんなが選ぶ人生があまりに多様すぎて、比較しようにもしづらいから、こういう気持ちとは無縁で生きることができる。でもときどき子供を育てている友人に「ママの世界にはあるんだよ」と言われてはっとなるのだった。

 それでも、ラケルと話しているうちにわかったことがある。「幸せだって思われたい」、他人から承認されたいという気持ちがあるのは、みんな、自分の選択が正しいのか不安だからだ。女として生きるということは、結婚する、しない、子供を持つ、持たない、仕事を続ける、辞める、といった選択肢の中から自分の道を選ぶということだ。そして、人生に付随する無数の選択を日常的にするということだ。誰だって、自分が選んだ道は間違っていなかったのだと思いたい。だからきっと、他者からの承認を求めてしまうのだろう。

 もうひとつはっとなったことがある。

「幸福は、瞬間的に感じるもので、継続的な状態ではない」

 それでも人間は、「継続的な幸せ」が可能であるという幻想を抱くし、それを目指して葛藤する。幸せとは、何かいいことがあったとき、美しいものに出会ったときに、瞬間的に感じる気持ちのことである。継続的な幸せなんてないのだと受け入れることができたら、他者からの承認欲求からも解放されるのかもしれない。

 アメリカの大学院を志願した当時、まさか受かると思わなかった東海岸の大学に受かってしまい、行くつもりだった西海岸の大学とどちらに行くべきか、悩みに悩んだときに、母親がくれた適切なアドバイスがある。

「選んだ道が最善の道よ」

 目の前に、ふたつの道がある。右を選んだらどうなるか、左を選んだら……と頭の中でシミュレーションする。けれど、いつだって自分が選んだ道がベターな道なのだ、と母は言った。そのこころは、「別の道を選んだらどうなっていたか、という仮説に対する答えは永久に謎。だから、自分が選んだ道こそがベストの道と思うしかない」。

 ほぼ20年前に教えてもらったこの教訓のおかげで、複数の選択肢に迷って「えいやっ」と決断を下すことができたのは、一度や二度ではない。「私の選んだ道、正しかった」は、能天気な思い込みかもしれないけれど、間違っていたかもしれない、とのちのち思い悩むのは、エネルギーの無駄というものだ。

 だからと言って、悩むことがないわけではない。「本当にこれで良かったのか」と不安になる瞬間がないわけでもない。でもきっと、「幸せ」が継続的な状態を指す言葉ではないのと同じように、悩み、不安、不幸も、永遠に続くわけではないのだと思えれば、少しラクになる気もするのである。(佐久間裕美子『ピンヒールははかない』より)

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佐久間裕美子

1973年生まれ。ライター。慶應義塾大学を卒業後、イェール大学大学院で修士号を取得。98年からニューヨーク在住。新聞社のニューヨーク支局、出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。アル・ゴア元アメリカ副大統領からウディ・アレン、ショーン・ペンまで、多数の有名人や知識人にインタビューした。翻訳書に『日本はこうしてオリンピックを勝ち取った! 世界を動かすプレゼン力』『テロリストの息子』、著書に『ヒップな生活革命』『ピンヒールははかない』がある。最新刊はトランプ時代のアメリカで書いた365日分の日記『My Little New York Times』。

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