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ピンヒールははかない

2017.08.03 公開 ポスト

エマの話

被害者意識との付き合い方佐久間裕美子

キャンパス・レイプが問題になっているアメリカでは、一生の間にレイプを経験する女性が5人に1人に上るという調査結果がある。コロンビア大学でアートを専攻していた彼女は、ある日を境にキャンパス内を移動する際、23キロのマットレスをかつぐようになった。自分をレイプした学生に対する抗議運動として始め、それは卒業まで続いた。あれから数年、彼女はどうしているのか。『ピンヒールははかない』の著者・佐久間裕美子さんがレポートするニューヨークの女たちの話。今回はエマ・サルコウィッツについて。

  * 

「エマ・サルコウィッツのパフォーマンスに招待します」

 聞き覚えのある名前だなとググってみると、メディアで何度も見かけたマットレスをかつぐ若い女性の写真が出てきた。白人とアジア人のハーフで、ニューヨーク誌の表紙を飾ったこともある。いっとき、世間を賑にぎわせた事件の当事者だった。メールを読むと、ショーはすでにソールドアウトになっているけれど、特別に招待したい、出席できる場合は、7時から9時まで現場にいてほしいと書いてある。差出人は、ブルックリンの若手ギャラリーだった。喜んで出席します、と返事をした。

 エマが世間に注目されたのは2014年のことだ。コロンビア大学でアートを専攻していた彼女は、ある日から、マットレスをかついで移動するようになった。それは「Mattress Performance : Carry that weight(その重みを持ち歩く)」と題したアートプロジェクトの体裁だったけれど、同時に自分をその前の年にレイプした学生と「同じ学校に通わなくなる日まで」、つまり男子学生が自ら学校を去るか、退学処分になるか、どちらかの状況が起きなければ、卒業式までキャンパス内の移動を続けるというステイトメントがついた、ひとつの抗議運動でもあった。

 彼女の主張によると、「レイプ」は同意のもとのセックスとして始まった。男子学生とは、それ以前にも二度、セックスをしたことがあった。けれど、その夜は、行為が始まると、彼はエマの顔をひっぱたいたり、首を絞めたりした。抵抗すればするほど、相手はさらに喜んで、そういう行為は激しくなり、最終的には押さえつけられてアナル・セックスを強要された。エマは、数ヶ月間は黙っていたけれど、他にも同様の被害にあった女子学生が何人かいるのを知り、大学に被害を届けた。

 男子学生は、「同意の上で起きたこと」として「レイプ」であることを否定した。コトが起きてから時間が経っていたこともあり、結局のところコロンビア大学は、調査ののちに男子学生のことを罰しないことを決定し、発表した。だから彼女はマットレスをかつぎ続け、卒業式にはレイプの被害を受けたことのある複数の女子学生とともにマットレスを携えて出席した。

 このきわめてパーソナルな「作品」は、アートの世界では一部の例外をのぞいておおむね高く評価された。アメリカではこの数年、キャンパスにおけるレイプが問題になっている。そんなこともあってエマはキャンパス・レイプの象徴としてメディアから引っ張りだこになり、女性政治家に招待されて記者会見を開いたこともあった。けれどもちろん同時に、おそろしいコメントや中傷にさらされた。

 あれから2年が経った。エマのパフォーマンスの会場であるブルックリンのライブハウスに足を運んだ。照明を暗めに落とした会場の入口で受付を済ませる。

「今夜はエマがお客さん全員と一対一で会話をして、全員が終わったところで話をしますから、終わりまで退出しないでください」

 会場に入ると、30人くらいの「観客」たちが飲み物を片手にそれぞれ歓談している。パフォーマンスというより、カジュアルなパーティといった雰囲気だ。

 近くに立っていた女性が話しかけてきた。フィラデルフィアのギャラリーで働いていて、来年エマとプロジェクトをやろうとしている。彼女に会うチャンスはなかなかないから、バスに乗ってやってきたのだと言う。その他、エマがコロンビア在学中に大学院にいたというアーティスト、オーストラリア人のジャーナリスト、リベラル系の新興メディアとして力を伸ばしている〈MIC〉のエンジニア──現場にいる人のほとんどが知らない同士のようだった。けれど、知らない同士の会話は必然的に、エマのこと、そしてレイプのこと、キャンパス・レイプの蔓延に移っていく。

 しばらくすると、エマが私に近づいて肩を叩き、さりげなく自然とできていたグループから私を引き離した。

 私が自己紹介をすると、知ってるよ、というように頷いた。私が以前やっていたオンラインのバイリンガル媒体〈PERISCOPE〉が好きだった、と。そして、私の手首に、クラブやライブハウスなどでお金を払ったことを示す紙のブレスレットをつけながら、今夜の「パフォーマンス」について説明してくれる。

「自分が私にどんな印象を与えたかを推測して、形容詞を書いてみて。私は、自分があなたにどんな印象を与えたかを推測して、その形容詞を書いてみるから」

 その時点ですでに、エマの手首には形容詞の入った何十本ものブレスレットがついていた。シャイ、イージーゴーイング(気楽)というように。数分の「対面」のあとに、エマはまた別の出席者に移っていった。

 2時間にわたる歓談時間のあと、エマがスポットライトの下に立って、スピーチをした。このパフォーマンスのテーマは、自分の身を守る鎧としてのアイデンティティ。パーティのように見知らぬ同士が混じり合う場所で、自分たちはどんな印象を相手に与えようとするのか、どう見られたいのか、そしてその会場の外に出たとき、自分が感じるアイデンティティとどう違うのか。哲学者やジェンダー研究家の言葉をちりばめたスピーチのあと、こう言った。

「パーティが終わったとき、その環境で自分が表現しようとするアイデンティティと、パーティの外で自分が感じる自己像が残る。それは両方とも本当の自分」

 他者から見られる自分、世間の目に投影される自分と、自分だけが知っている生の自分。これからエマはどこに行っても、「マットレスの子」というフィルターで見られるのだ。良くも悪くも。そういう自分とどうやって折り合おうとしているのだろう。

 その数ヶ月後、エマをお茶に誘った。様々なインタビューを散々読んだけれど、やっぱり自分の耳で聞いてみたかったから。

 彼女が指定してきたユニオン・スクエアのカフェは、約束した土曜の昼下がりには、あまりに混雑していて、とても親密な会話をできる雰囲気ではなかった。別の店にテーブルを確保したけれど、それでもレイプの話を堂々とする感じだろうかとちょっと心配になった。エマは隣に乳児と一緒の家族連れがいることを、意に介さない様子で話を始めた。

 エマも、自分以外にも被害者がいることを知るまでは、レイプを公表しないつもりだった。そのことに水を向けると、

「それに気がついてくれてありがとう。ひとりで戦ってなんて勇敢なの! って言われるたびに違和感を覚えていた。自分ひとりだったら、何も言わずに、対自分で、起きたことに向き合って、それでいいのだと思ってた。自分は強いから、これぐらいのことはハンドルできるって。でも、他にも同じ目にあった学生がいるって知って、私ひとりだけの問題じゃないと思った」

 レイプの被害を学校に届け、夏休みに入って、起きたことと向き合うプロセスの中からマットレスのパフォーマンスのアイディアが生まれた。

「その夏、イェール大学のレジデンシーに参加した。ちょうどその頃から写真や動画を使った表現をするようになって、家具などの重いものを動かす自分を映像に撮るようになった。そこから、マットレスを自分で動かすようになって、あ、私がマットレスを作品に取り込んだのは、レイプの件があったからだ、と気がついた」

 ユダヤ人の父親も、日本人と中国人のハーフである母親も、心理学者だったから、幼少の頃から、自分の発言や行動を分析する癖がついていた。

「だから言葉を発する前に、自分の気持ちを慎重に分析してからモノを言う人間になった。でも、アートは私にとってその逆の存在。内側から湧き出てくるアイディアを嘔吐のように吐き出してから、なぜ自分がそのアイディアを思いついたのかを考えながら、作品を構築していく。何もないところからひとつのコンセプトを表現するために、マットレスを運ぶ、学内の移動では必ず運ぶ、というように具体的な実行ルールを決めながら」

 マットレスは、自分の寮の部屋というプライベートな空間で、抵抗しながらも犯された経験の象徴的な存在だった。重さは23キロ。持ち上がらないほど重いわけではないけれど、常に携行するには負担になる存在だ。レイプされた、という痛みを抱えて日々生きることのメタファーになった。

「コープ(対処)するために、自分の経験をアートにしたのだと思う?」

 と疑問を投げかけてみた。「cope with」は精神的な問題と取り組むことを話すときによく使う動詞だ。

「正直なところ、コープする、というコンセプトを信じていいのかわからない。最終的に『癒やし』が待っていることが前提になっている考え方でしょう? 完全に癒やされることなんかあるんだろうか?」

「マットレスのパフォーマンスをやって、気持ちはラクになった?」と聞かれることがある。「もちろんそんなことはない」と答えている。日々、普通に暮らしているけれど、感情の深いところではまだ傷ついている。

 そして事件を公表したことによって、様々な誹謗中傷にさらされた。噓つき、ビッチというタイプの罵りもあれば、「お前のビデオを見てオナニーしてるぜ」というタイプのものもあった。

「それまで存在することすら知らなかった罵り言葉を知った。毎日、酷い内容のコメントを投げつけられた。でも結局、自分の『対処法』はこれ。表現すること。こんなこというと絶望的に聞こえちゃうかもしれないけれど……」

 まったく絶望的ではない調子でエマは言った。

「私たちはみんな、どこか壊れていて、ずっと壊れた存在のまま生きていくのだと思う。だから表現をやめることはできない。ひとつの傷から立ち直ることができたとしても、他にもいろんな問題があるわけだから。だから人間はいつも、新しい傷との立ち向かい方を探すんだと思う。こういう考え方は、軟弱だと思うけれど」

 サバサバとした口調でそういう彼女は軟弱なんかじゃなかった。酷いことが起きて傷つき、それに異議を唱えたら公開処刑にあったようなものだ。でも目をそらさずにそれと立ち向かってきたのだと思った。

「立ち向かうことがエマのやり方なのかもしれないね」

「自分のことは皮膚がないのではと思うほど敏感でエモーショナルな性格だと思っている。私の人生の対処法はなんでもめいっぱいに『感じる』ことなのだと思う。感じなくなってしまったら表現なんてできないでしょ?」(佐久間裕美子『ピンヒールははかない』より)

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佐久間裕美子

1973年生まれ。ライター。慶應義塾大学を卒業後、イェール大学大学院で修士号を取得。98年からニューヨーク在住。新聞社のニューヨーク支局、出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。アル・ゴア元アメリカ副大統領からウディ・アレン、ショーン・ペンまで、多数の有名人や知識人にインタビューした。翻訳書に『日本はこうしてオリンピックを勝ち取った! 世界を動かすプレゼン力』『テロリストの息子』、著書に『ヒップな生活革命』『ピンヒールははかない』がある。最新刊はトランプ時代のアメリカで書いた365日分の日記『My Little New York Times』。

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