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ミサキア記のコソダテ記

2017.08.17 公開 ポスト

最終回

コソダテ記、あるいは、地下鉄の出口的な旅三崎亜記

 旅が好きなんだ。

 とはいっても、見たことのない異国の風習だとか、人跡未踏の地の絶景だとか、そんなものにはあんまり興味がない。

 それじゃあ、いったいどんな旅かって?

 そうだな、たとえば……。

 たとえばそれは、地下鉄の旅だ。

 ありきたりな、どこかで聞いたことのあるような地下鉄の駅で、通勤仕様のロングシートの電車を降りる。周囲は日常使いの客ばかりで、旅人の姿なんか見かけもしない。

 自動改札を抜けて、地上への階段を、一歩一歩上る。

 上り切ったところで立ち止まって、外の世界をゆっくりと見渡す。

 周囲には、ありきたりな商店街が広がり、チェーン店の見慣れた看板が並んでいる。

 地下鉄が走っているような市街地なんだから、初めての場所だからといって、目くるめく絶景や、旅情を誘う風景が広がっているわけじゃない。どこかで見たような景色ばかりだ。

 それでもそこは、初めて訪れた、見知らぬ街だ。

 きっとこの街で暮らしても、今とあまり変わらない人生を送ることになるんだろう。そんな日々を思いながら、住み慣れた場所のように、見知らぬ街を歩いてみる。

 昔っからの住民みたいに、商店街を歩き、スーパーに立ち寄り、路地に入り込む。

 この町で、喜んだり、怒ったり、悲しんだりする自分を思う。

 街角のあちこちに、初めてなのに懐かしい記憶が「よみがえる」。

 スーパーの自転車置き場の前で、「ああ、今日も一日、頑張ったなぁ」とつぶやく。そして、この街にはありもしない、家族の待つあったかな場所を目指して、家路を急ぐんだ。

 この街すべてがいとおしくなる。そんな時、胸が痛くなるような旅情を覚える。

 それはまさに、一つの旅だ。

 赤ちゃんと暮らす日々は、初めて訪れた、地下鉄の外の町を旅するみたいなものだ。今までと似ているけれど、すべてがちょっとずつ違って、ちょっとずつ新鮮な日々……。

 だけど、当の赤ちゃんにとっては、「地下」ならぬお腹の中の暗闇から抜け出た先は、どこもが初めての場所で、新鮮で、未知なる空間だろう。

 ありふれた毎日が、新鮮でいとおしく思えてくる。そんな日々を記録したコソダテ記も、今回が最終回だ。

 誕生から一年が経って、ノホホンもずいぶんと成長した。とはいえ夫さんは、ノホホンの発達状態が早いのか遅いのか、よくわかっていない。何しろ、同じ月齢の子を比較する機会ってのがあまりないんだ。

 なので、ノホホンがやんちゃなことをしでかしても、「ああ、同じくらいの赤ちゃんがいる家では、同じような苦労をしてるんだろうなぁ」なんてのんきに思っていたんだ。

 そんなある日の休日、夫さんと妻ちゃんは、ノホホンを連れて「こどもプラザ」に行ったんだ。

 一つのおもちゃにじっくり取り組む周囲の赤ちゃんたちをよそに、ノホホンはおもちゃの食器に毛糸のヌードルを注ぎ込んだかと思えば、次の瞬間には動物の型はめパズルを「型にはまった人生なんてまっぴらよ」とばかりにすべて型からはずし、休む間もなく男の子が遊んでいた機関車トーマスを線路から脱線させ、アンパンマンゴムボールを箱から玉入れの数を数える人みたいに四方八方に放り投げる。子どもプラザに入ってたった二分間の出来事だ。施設を存分に利用し尽くす姿勢は見上げたものだが、侍従のように付き従って後始末をするパパやママの身にもなってほしいものだ。

 そこに、妻ちゃんのママ友が、パパと娘さんと共にやってきた。娘さんの「ペコちゃん(ペコちゃんみたいなツインテ―ルがよく似合う)」はノホホンとほぼ同じ頃に生まれていて、よく一緒にお出かけしている一番の顔なじみだ。

 ノホホンは、ペコちゃんの姿を見るや、バンザイの恰好でペコちゃんに駆け寄り……と思いきや、疾風のごとく通り過ぎて、こどもプラザ名物の、「傾斜がゆるすぎて、スロープにしか見えないすべり台」に突っ込んで行って、吉本新喜劇のズッコケシーンみたいな無理やりな態勢になって「滑って」いる。

「あぁ……、あれが噂の、一番活発な子だね」

 ノホホンとは初対面のペコちゃんパパは、遥か彼方でうごめいているノホホンの背中を見つめて、そう呟いた。

 だけどその表現が、オブラートに包んでいるってのはわかっている。

「あぁ……、あれが噂の、傍若無人な子だね」

 夫さんの頭では、そんな風に変換されたんだけれど、多分それで合っているはずだ。

 どうやらノホホンは、同年代の子と比べると、特別に「やんちゃ」らしい。

 夫さんも妻ちゃんも、そこまで積極的な性格ではないので、ノホホンが生まれた直後は、「この子は内気に育つだろうねー」って言っていたんだ。

 それが、いったいどうしたことか。

 もしかすると、パパとのお散歩中には常に前向き抱っこにして、いろんな人に話しかけられてきた弊害が、そんな形で表れてきたんだろうか……。

 だけどまあ、どんなにやんちゃだろうが、傍若無人だろうが、ノホホンは、我が家のかけがえのないノホホンだ。

 赤瀬川原平氏が提唱した「老人力」とは、目が見えなくなってきただとか、腰が曲がって来ただとか、本来ならばマイナスとして捉えられがちな老いの現象を、「老人力がついた」とプラス思考に転じる画期的な発想だ。

 それをまねて、夫さんと妻ちゃんも、ノホホンの行動すべてを「ノホホン力」としてとらえることにしたんだ。ノホホンがどんな騒動を巻き起こしても、「ノホホンは、ずいぶんとノホホン力がついてきたなあ!」って思っていれば、怒る気にもならない。

 子どもプラザでの右往左往っぷりも、ノホホンは一つの分野を深く突き詰めるスペシャリストじゃなくって、いろんな分野に幅広く興味を持ったジェネラリストなんだって思っていればいい。

 さて、誕生から一年……ではあるが、この最終回が掲載される時点で、ノホホンは既に一歳九か月になっている。

 一歳の時の「選び取り」では、真っ先に「お箸」をつかみ、初めて覚えた言葉が「おいしー!」だったノホホンも、今では、誰も教えていないのに、おいしいものを「うん! うん!」と頷きながら食べるっていうグルメリポーターばりの表現力を身に付けている。

 体重が十二キロを超えた今も、パパを「自由に乗り降りできる便利なベビーカー」と認識しているみたいで、常に前向き抱っこでの町内巡回を強要してくるんだ。しかも、パパがちょっとでも自分の望みとは違う方向へと向かおうものなら、被っている帽子をつかんで、くしゃくしゃにして地面に叩きつけるっていう、ダチョウ倶楽部の上島竜平さんも真っ青の技を覚えてしまったんた。

 ますます「ノホホン力」に磨きをかけているノホホンに、二週間前に妹が生まれた。ノホホンの「3800グラム超え!」には及ばないものの、3500グラムの、大きな女の子だ。ノホホンは、晴れて「お姉ちゃん」になった。

 夫さんは現在、自営業の身ゆえ、休業補償のない自主的な育児休暇を「取得」して、ノホホンと二人っきりで過ごしている。ノホホンは、妹の出現&ママの不在でナーバスになるかと思いきや、「パパかママか、どっちかいればいいわー」って態度で、今もパパの横で、雑誌をビリビリと破りまくる業務に専念している。

 お姉ちゃんになったノホホンが、妹に対してどんな強権を発動するのか? はたまた、どんな性格なのか今のところは全くわからない妹ちゃんが、ノホホンお姉ちゃんを上回る騒動を巻き起こすのか?

 それはまたいつか、別の機会に……。

 ありふれた、それでも新鮮な家族四人の日々は、まだまだ続く。

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三崎亜記

1970年福岡県生まれ。熊本大学文学部史学科卒業。2004年「となり町戦争」で第十七回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。直木賞、三島賞の候補ともなった同作は、映画化もされベストセラーに。著書に『バスジャック』『失われた町』『廃墟建築士』『コロヨシ!!』『海に沈んだ町』『逆回りのお散歩』『ターミナルタウン』『手のひらの幻獣』『メビウス・ファクトリー』などがある。最新作は『チェーン・ピープル』。

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