誰もが避けられない”臨終“の間近、人は実に不可思議な現象に遭遇する――これまで数千人を看取った医師が、そんな臨終にまつわる奇譚と、50年の臨床経験から導き出した幸せに逝く方法を赤裸々に明かしたエッセイ――『臨終医のないしょ話』(志賀貢著)
本日のないしょ話は、すでに末期がんの状態で入院してきた78歳のおばあさんのお話しです。彼女が病床でつねに聴いていたのは、若かりし頃から愛する哀愁のメロディでした。
* * *
他の病院から転院をしてきた78歳になる女性患者のIさんは、転院したときからすでに末期の状態でした。すでに多臓器不全の兆候が見られ、そのうえ胆道がんを併発、肝臓や腹膜に転移が見られ、腹水も貯まり始めていました。
食事は嚥下障害があって、とても自分では摂取することができず、病棟のスタッフがゼリー状のものやスープを口に含ませると、かろうじて食べることができる程度でした。
ただ、Iさんの意識はしっかりしていて、入院後の認知症のテストでもほとんど正常の範囲で、記憶もしっかりとしています。無論、高齢者にありがちな物忘れの症状もありません。
こうした頭のクリアな患者さんは、病棟スタッフにとっては非常にその対応が難しくなってきます。
「意識がしっかりしているから、可哀そうですよ。恐らくあれだけの病気があるんですから、腹痛などもしょっちゅう起きていると思うんですが、我慢強い方で口を歪めていてもスタッフに痛いなどとは言いません。
それを見ていると、そんなに我慢しなくてもいいのに、と可哀そうになります。こんなに高齢になってもがんで苦しむ人が多くなってきていますが、早くもっともっと医学が進歩して、がんを撲滅できないものですかね」
師長はそう言って、私を恨めしそうに見つめます。まるでがんが治らないのは、私が怠けて、今まで研究心が不足しているためだと言わんばかりです。そうは言われても、困ります。
私の学生時代には、後20年もすれば必ず人類はがんを克服できる、と教えられたものです。それが何十年経っても根本的に治す薬など、人類は発見できていません。
それでも、外科的な技術や放射線療法などがかなり進歩していますから、私の学生時代とは比べものにならないくらい、がんの治癒率が上昇したことは確かです。
しかし、がん細胞には他の臓器に転移するという極めて悪い性質があります。このがんの転移や、あるいは再発をせめて抑えることのできる薬が発見されれば、人類がどれほど人生を豊かに全うできるようになるかわかりません。
Iさん自身は、自分はがんであることに気づき、すでにこれ以上治療しても回復の望みがないことを、どうやらかなり前から主治医に知らされていたようでした。
したがって、そう遠くない将来この世との別れがやってくることを理解しているらしく、病気に対する愚痴はまったく口にしようとしませんでした。
家族の方もすでに諦めているらしく、入院した当初から、延命治療は望まないとハッキリと言っていました。
口からの栄養摂取は、入院後、徐々に難しくなっており、胃ろうなど経管栄養を行おうとIさんを説得するのですが、体に管を入れるのは嫌だと言って、首を縦に振りません。
これでは間もなく栄養失調状態に陥ることは確実なので、IVH(中心静脈栄養法)を採用しようとしますが、これも拒否します。
やむを得ず末梢点滴で行うことにして、手足の血管を探すのですが、血管そのものが体の衰弱のために細くて見つけるのが容易ではなく、病棟スタッフは四苦八苦している状態でした。
腹部のがんによる痛みは、日増しに強くなるようで、我慢強いIさんですが、さすがにうめき声をあげるようになってきました。早晩、強い痛み止めが必要になると、その様子を見ていると私も暗い気持ちになりました。
音楽が痛み止めの特効薬になることもある
Iさんは枕元に小さなCDプレーヤーを置き、よくイヤホンで音楽を聞いています。そのイヤホンから漏れてくる音を聞いていると、タンゴやシャンソンの曲であることがわかります。
「へぇ、ドイツのアルフレッド・ハウゼ楽団のタンゴが好きなんですか」
と私が腰を屈(かが)めて顔を覗き込むと、彼女はそのときだけは苦痛の表情を緩めて小さく頷きます。そこでこう話しかけました。
「私も実は昔、学生のころ、タンゴバンドをやっていたので、タンゴはけっこう好きなんですよ。とくに、ハウゼの『夜のタンゴ』は素晴らしいものね。もう何度聞いてもその演奏の素晴らしさには、しびれちゃうほどですよ。だから、よく家でも話すんだけども、私の葬式のときには『夜のタンゴ』を流してほしい、と……」
と言って私は、慌てて口をつぐみました。Iさんにとって葬式などという言葉は禁句であるはずなのに、私も軽率でした。
しかし、Iさんはにっこりと笑って、
「趣味が似ていますね。私も『夜のタンゴ』が大好きです。それから、『ジプシーの嘆き』が同じくらい好きです。じゃあ私のときも、どちらかの曲を枕元で流してくれますか」
「何言ってるんですか。まだまだそんなことを考える年じゃないでしょう。早く病気を良くして、思う存分コンサートでも聞けるようになりましょうよ」
と、励ましてみましたが、それにはIさんは答えずに、
「先生、シャンソンはいかが?」
と聞き返してきました。
「あぁ、シャンソンもいいね。私は『小雨降る道』が大好きだし、後は日本でもよく知られているアダモの『雪が降る』や『サン・トワ・マミー』もいいね。それから学生のころは、リュシエンヌ・ドリールの『ルナ・ロッサ』やジュリエット・グレコの『ロマンス』も好きな曲で、よく聞きましたよ」
そう答えると、
「私たち、こんなに趣味が合うけど、ひょっとして昔からの知り合いなのかしら」
と彼女は嬉しそうに笑いました。
その夜、Iさんは激しい腹痛を訴えました。
俗に胃痙攣と言われる症状で、鳩尾(みぞおち)の辺りが手を触れると板のように固く硬直しています。
「師長、医療用の麻薬を使う時期だよ。PX(モルヒネの一種)を1本用意してくれ」
「…………」
「どうして黙ってるの。早く痛みを取ってあげないと可哀そうだよ。ほら、PXだよ、PXを1本注射器に詰めてくれ」
「緩和ケアは反対します」
師長は私を睨(にら)みつけるようにして言いました。
麻薬は使うなと訴える看護師長の患者への愛
こうした師長の姿を見ていると、私はときどき彼女は、“カミツキガメ”の化身ではないか、と思うことがあります。しかもその亀の甲羅には天使の羽が生えているので、始末が悪いのです。
あるとき、医療機械の業者がナースステーションに入れる医療器具の交渉で、師長と話し合った後、帰り際に八海事務長に挨拶をしており、ため息を何度もつきながら言ったそうです。
「私ども、数多くの病院で取引をさせていただいておりますが、ここの師長ほど病院思いの素晴らしい人は会ったことがありません。今日は、思いっきり値切りに値切られました。しかし、病院を思う師長の気持ちに感動しましたから、言い値で納入させていただきます。本当に久しぶりに素晴らしい人に会いました」
業者がそう言って感心するくらい、師長は病院に対して献身的に尽くしてくれるのですが、ただ羽が外れたカミツキガメに変身したときには手がつけられません。
たいていは、私や事務長が悪いことが多いのですが、少しでも患者のことや勤務体制のことでいい加減なことを言おうものなら、たちまち嚙かみついてきます。私などはいつも心があざだらけです。
このままでは身が持たないので、彼女が怒りそうだな、と思ったときにはシッポを巻いて逃げ出すことにします。
後は、私に代わって徹底的に追及をされ、小言を聞かなければならない役を引き受けるのは、もっぱら事務長ということになります。本当に気の毒な男だと、私は心から同情しております。
その天使の羽を持った師長が、
「緩和ケアは許さない!」
とすごい剣幕で言うのです。
私はいつその場から逃げ出そうかと、嚙みつかれないように後ずさりをするしかありませんでした。
「このおばあちゃんは、先生とはタンゴ仲間じゃないですか。そんな大切な友人を死期が早まる麻薬などを打って眠らせてしまおう、というわけですか。その先生の魂胆が私には許せないのです」
そこまで言われては、私は反論せざるを得ません。
「師長、まぁまぁそう怒らないで……。私だって麻薬など打ちたくない。しかし、あのお腹が板のように固くなって、どんな強い痛みが彼女の体を襲っているかと思うと、どうしても楽にしてやりたいと思うのだよ。
私だって大学時代は放射線科の研究室に籍を置き、そこで学位を取り、がん患者を山ほど見てきたし、また麻薬もずいぶん使ったから、その後、患者の容態がどう変わるか知り尽くしているつもりだよ。
師長の言うとおりだ。麻薬を使えば死期は早まる。しかし、本人も家族ももう死を受け入れることを覚悟しているわけだから、苦痛を少しでも取ってやることも、我々に課せられた仕事ではないだろうか」
「いいえ、わかりません。先生がそんな人だとは思いませんでした。おばあちゃんは、タンゴやシャンソンを聞き、毎日その音楽に感動して希望を持って生きているに違いないのです。死にたい、などと思っているわけがありません。
生きよう、という気持ちが少しでも残っているうちはできるだけの治療をして、1分でも2分でも生かしてあげるのが、先生や私たちの仕事だと思います」
「よしわかった。それ以上は言うな。たとえ本人が拒否しても、末梢点滴をIVHに替え、栄養を十分に取らせて、痛みは痛みで他の方法で楽にするように考えてみようじゃないか。私の説明が悪かったようだが、患者を助けたいという気持ちは師長と同じだ。わかってくれ」
「先生……」
と言って彼女は机の上に顔を伏せ、泣きじゃくりました。少しは私の言っていることがわかっただろうか、と私はほっとしながらその“カミツキガメ”の泣きじゃくる様子を見つめていました。
Iさんは、それから2週間ほどがんの末期の激痛と闘いながら、息を引き取りました。
約束どおり、出棺するまでの間、枕元では彼女の大好きなタンゴの『ジプシーの嘆き』が美しいメロディを奏でていました。
臨終医のないしょ話
誰もが避けられない<臨終>の間際、人は摩訶不可思議な現象に遭遇する――これまで数千人を看取った医師が、そんな数々の臨終にまつわる奇譚と、50年の臨床経験から導いた幸せに逝く方法を赤裸々に明かします。