寄生=パラサイトとは生物が他生物から栄養やサービスを一方的に収奪する関係を指します。人間界よりずっと過酷な生物界の仁義なき生存競争。その決死の戦略から私たち人間が学べることもありそうです。幻冬舎新書『したたかな寄生 脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』より、カマキリを自殺に追い込むハリガネムシの話をどうぞ。
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人間界より過酷な生物界の仁義なき生存競争。シビアな世界で、情もなく、己れの「生」を淡々とまっとうする虫たちに、首肯して慰められる日も時にはありそうです。
水の中で泳げないはずのコオロギやカマキリ、カマドウマが水に飛び込んでいきます。それは、まるで入水自殺であり、水に飛び込んだ虫は溺れ死ぬか、魚に食べられるか、他に道はありません。これらの入水自殺する昆虫たちも体内にいる寄生虫に操られています。
これらの昆虫の体内にいて宿主をマインドコントロールしているのは「ハリガネムシ」です。
ハリガネムシ(針金虫)とは類線形動物門ハリガネムシ綱(線形虫綱)ハリガネムシ目に属する生物の総称です。世界には2000種以上いると言われており、日本では14種(2014年時点)が記載されています。種類によっては体長数センチから1メートルに達し、表面はクチクラで覆われているため、乾燥すると針金のように硬くなることからこの「針金虫」という名前がつきました。実際に動画などを見るとわかりますが、体が硬く、のたうち回るような特徴的な動き方をします。
ハリガネムシは水中でのみ交尾と産卵をおこない、宿主を転々と移動して成長するという生活史を持ちます。
簡単に概要を説明しますと、川で交尾・産卵 → 水生昆虫体内 → 陸生昆虫体内 → 再び川 という流れです。
寄生されたカマキリの自殺行動
まずは、水中で交尾をし、産卵します。そして川の中で1、2ケ月かけて卵から孵化し幼生となります。この幼生をカゲロウやユスリカなどの水生昆虫が取り込むのです。水生昆虫の体内に入ったハリガネムシは体の先端についたノコギリで腸管の中を進み、2、3ケ月かけて腹の中で成長し、「シスト」という状態になります。この「シスト」は自分で殻を作って休眠した状態であり、マイナス30°Cの冷凍下でも死なないという特性を持ちます。
カゲロウやユスリカは幼虫期に川などの水中で成長しますが、成虫になると羽を持ち陸に飛び立っていきます。そして、このハリガネムシの幼生を体内に持った昆虫を肉食のカマキリ、コオロギ、ゴキブリなどが捕食するのです。こうして、宿主と共に水から陸へ上がってしまいます。しかし、ハリガネムシにとって交尾と産卵ができるのは水中です。せっかく上がった陸から水に戻らなくてはなりません。そのために、本来、陸でしか生活しない宿主昆虫をマインドコントロールして水に向かわせるのです。
ハリガネムシの幼生はカマキリなどの体内で数センチから1メートルに大きく長く成長し、繁殖できるようになります。しかし、寄生している宿主はカマキリなどの陸の昆虫です。泳げない昆虫は川の水に飛び込んだりは決してしません。そこで、ハリガネムシは宿主の脳を操り、奇妙な行動を起こさせるのです。宿主を水辺に誘導し、入水させるのです。そして、宿主が入水すると、大きく成長し成虫になったハリガネムシがゆっくりと宿主のお尻からにゅるにゅるとはい出てきます。その姿は時に全長30センチを超えます。そして、無事に川に戻ったハリガネムシは交尾をし、また産卵するのです。
どうやって入水自殺させているのか
フランスで、2002年にコオロギを使って、行動学的な面での研究が発表されています。
この研究では、Y字で分岐する道を作り、出口に水を置いてある道と、出口に水がない道の枝分かれを作っておきます。ハリガネムシに寄生されたコオロギを遠くから歩かせると、水のある方にもない方にも行ってしまいます。しかし、水がある方に行ったコオロギは、水を見るや否やほぼ100パーセント水に飛び込んでしまいます。もちろん、寄生されていないコオロギは水のある出口に出たとしても泳げないため、飛び込んだりはしません。
研究者たちは、出口に置かれた水の反射にコオロギが反応しているのではないかと予測し、水を置かず、光だけに反応するかという実験もおこなっています。その結果、寄生されたコオロギは光に反応してそこに向かっていく行動が見られました。
また、2005年に同じ研究チームが、寄生されているコオロギの脳で発現しているタンパク質を調査しました。ハリガネムシに寄生されている個体、寄生されていない個体、寄生されているけれどもまだ行動操作を受けていない個体、寄生されてお尻からハリガネムシを出した後の個体などの脳内のタンパク質を徹底的に比較しました。
その結果、まさにハリガネムシが体内で成長して行動操作を受けているコオロギの脳内でだけ特別に発現しているタンパク質がいくつか見つかりました。それらの異なるタンパク質は神経の異常発達に関わったり、場所認識に関わったり、あるいは光応答に関わる日周行動に関係したりするタンパク質と似ているとわかりました。さらに、それらの寄生されたコオロギの脳内にはハリガネムシが作ったと思われるタンパク質も含まれていたのです。
これらの研究から、ハリガネムシは寄生したコオロギの神経発達を混乱させ、異常行動をさせながら、光への反応を変えさせ、水辺に近づいたら飛び込むように操っているのではないかと考えられています。
ハリガネムシがつなぐ森と川
日本では、このハリガネムシが生態系において重要な役割を果たしていることを実証した研究が2011年に発表されました。
研究では川の周りをビニールで覆ってカマドウマが飛び込めないようにした区画と、自然なままの区画を2ケ月間比較しています。また、カマドウマが入る量と、カマドウマ以外の虫が入る量を分けて操作をして実験しました。
なんとその結果、川の渓流魚が得る総エネルギー量の60パーセント程度が、寄生され川に飛び込んでいたカマドウマであることがわかったのです。実際にカマドウマが水に飛び込むのは1年のうちで3ケ月ですが、その時期に渓流魚が得る総エネルギー量の9割以上がカマドウマとなります。そしてその3ケ月間というのは渓流魚が1年のうちで一番たくさんエネルギーを得られる時期で、冬に比べると100倍にもなります。それを踏まえて計算した結果、年間の60パーセントのエネルギーがカマドウマ由来ということがわかったのです。
川の渓流魚以外にもハリガネムシは影響を与えていました。カマドウマが飛び込めないようにした区画では、渓流魚は水に飛び込む大量のカマドウマを食することができないので、他の水生昆虫類をたくさん捕食していました。そして魚のエサとなったこれら水生昆虫類のエサは藻類や落葉だったため、河川の藻類の現存量が2倍に増大し、川の虫の落葉分解速度は約30パーセント減少したことがわかったのです。
このように、小さな寄生者であるハリガネムシが昆虫を操り、入水させることは、河川の群集構造や生態系に、大きな影響をもたらすことが実証されました。
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