中川右介著『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』(幻冬舎新書)――日本全体が動揺し、今なお真相と意味が問われる三島事件。文壇、演劇・映画界、政界、マスコミ百数十人の当日の記録を丹念に拾い時系列で再構築、日本人の無意識なる変化をあぶり出した新しいノンフィクション。
* * *
第二章 真昼の衝撃
事件は昼時だった。
たまたま家にいた人は、習慣で「昼のニュース」を見ようとテレビをつけ、事件を知る。
その衝撃が、三島の友人・知人であれば強いのは当然として、何の関係もない人も、かなりのショックを受け、誰かに知らせなければとの思いを抱いた。
事件報道はいくつかの段階に分かれる。
「三島が自衛隊に乱入」が第一報で、次に三島が自衛隊の建物のバルコニーで演説している映像、そして、三島が自決したとの続報である。
市ヶ谷、自衛隊駐屯地
「サンデー毎日」の徳岡孝夫は、市ヶ谷会館の屋上から玄関まで降り、玄関を出て坂を駆け下り、自衛隊駐屯地の正門から入って急な坂を駆け上った。走りながら、三島に言われて持って来ていた毎日新聞の腕章をつけた。正門は咎(とが)められずに通過できた。
グラウンドには、百人ほどの自衛官がバラバラと立っていた。整列するわけでも、かたまるわけでもなかった。
徳岡が「何があったんですか」と訊くと、「全員集合せよとの命令があったんだ」との答えだった。
たちまち自衛官の数は増え、そのなかのひとりが、「総監が人質にとられた」と言った。徳岡は、三島がやったんだなと思った。手紙にあった「いかに狂気の沙汰に見えようとも」「憂国の情に出でたるもの」とは、総監を人質にして演説をすることだったのかと、思った。
やがて、バルコニーに楯の会の制服を着た若者が現れ、ビラを撒き始めた。徳岡が受け取った「檄」と同じものだった。そして、垂れ幕が下ろされた。
グラウンドの自衛官の数は千人近くになっていた。取材のヘリコプターが上空を飛んでいた。新聞社の車が次々と到着し、記者たちが雪崩(なだれ)込んでくる。
徳岡は、NHKの伊達の姿がないことに気づく。
十二時。
《三島、森田両名の姿がバルコニー上に現われた。私は撮影した。》
三島邸
三島とその妻と子どもたちと、三島の両親の二世帯は、同じ敷地内の別の家に住んでいた。
平岡梓(あずさ、三島由紀夫の父)はひとりで家にいた。この年、七十五歳になる。農商務省(現・農林水産省)の官僚だった人で、同期に元首相の岸信介がいた。
この日、息子は朝から出かけてしまい、孫たちは学校、息子の妻は乗馬クラブに出かけ、さらに平岡の妻も出かけていたので、お手伝いを除けば、彼しかいなかった。
平岡は茶の間にいて、煙草を吸いながら過ごしていたが、昼が近づいたので、ニュースでも見ようとテレビのスイッチを入れた。それもいつもの習慣だった。
別に何か予感がしてニュースを見ようと思ったのではない。
《テレビのスイッチを入れて胡坐(あぐら)をかいたその瞬間、画面にいきなりニュース速報で「三島由紀夫……」という文字があらわれたのです。
おやっと思って見入りますと、「三島由紀夫自衛隊に乱入」とあるのです。乱入したのならどうせつかまるだろうから、警察その他各方面に手分けをしてお百度参りをしたり差入れをしたりしなければならないだろう、大仕事だと思いました。》
これが平岡の第一報を受けての反応だった。しかし、ことは「乱入」だけでは終わらない。
*
円地文子
作家 円地文子(えんちふみこ)は、自宅にいた。まさにこの日、円地文子は藝術院会員に選ばれる。この年、六十五歳。三島が評価する数少ない女性作家のひとりだった。
円地は昼食時となったので、時計代わりにテレビをつけた。
最初に彼女の耳に入ったのは、「三島さんの名を騙(かた)った誰かが」だったが、やがて画面一杯に三島の見慣れた顔が少し斜めに映り、「三島由紀夫氏ら云々」というニュースの声が聞こえてきた。ところが、それがふっと切れて、別のニュースに変わった。円地は何かの間違いだったのだろうと思った。
だが、テレビ画面は前のニュースに戻っており、「三島氏らの楯の会が自衛隊へ乱入した」と報じていた。
《そのあと、次々と映し出される画面と言葉は、どうにも動かしようのない事実となって、私の眼の前にのしかかって来た。》
*
宮崎学
グリコ・森永事件の重要参考人のひとり(逮捕はされていない)で、『突破者』で作家としてデビューした宮崎学は、この時、「週刊現代」の記者だった。早稲田大学の学生時代は日本共産党系の学生運動の闘士であり、中退後、出版社に勤めていたが、そこの紹介で「週刊現代」の記者になって、二カ月目のことだった。この年、二十五歳。
宮崎は自宅への編集部からの電話で、事件を知る。
その時点では、「三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乱入して、クーデターをアジっている」という段階だ。編集部からは、「早稲田の楯の会の連中も加わっているらしいんで、至急、取材してほしい」ということだった。
宮崎は、日共系学生運動のリーダーだったことから、新左翼、新右翼の党派のアジトや幹部の住まいをすべて知っていた。襲撃対象であり人質交換交渉の相手でもあったからだ。宮崎は武闘派だったが、情報戦にも長(た)けていた。
三島と共に自衛隊に乱入した楯の会のリーダー、森田必勝は早稲田大学の国防部幹部だったこともあり、宮崎は「敵」側の重要人物としてよく知っていた。
新宿
ルポライターの竹中労(ろう)は、雑誌「新評」の一月号に依頼されていた原稿「三島由紀夫の人間像」を書き上げて編集部に渡すと、別の雑誌の編集者との打ち合わせのため、新宿の喫茶店に入った。
竹中は左翼である。といっても、共産党や社会党には与(くみ)せず、もっと左のアナキストだった。この年、四十歳。ルポライターとして芸能界や政界のスキャンダルを暴く一方、山谷(さんや)解放闘争や琉球独立党の活動を支援するなど、行動もしていた。
喫茶店に入ったところで、ニュースを聞いた。
《ラジオは、「三島は(と呼び棄てにして)要求が通らない場合は自決するといっております」と報じ、聞いていた人々は声を上げて笑った。が、私は眼前に血柱が立ったような眩暈を覚えたのである。まぎれもなく、彼は死ぬにちがいない、と思った。
つい一時間ほど前、私はこう書いたばかりであった。「三島由紀夫の知行合一(言葉と行ないとをわかち難きテロリストの心)を喜劇と観るのは、私の敬意である。それを、もし悲劇と呼ばねばならぬ時がきたら、私はこの作家を軽蔑しなくてはならない……」(『新評』・七一年一月号)
むろん、それは逆説である。三島由紀夫が壮絶な観念の死に昇華することを、私は半ば信じ、半ば疑っていたのだ。あるいは、その““時””がくることを、惧れつつ念じていたというべきか。》
市ヶ谷、自衛隊駐屯地
「サンデー毎日」の徳岡孝夫は三島の演説をしっかり聞いた。「声は、張りも抑揚もある大音声で、実によく聞こえた」と彼は回想する。この演説については、ヘリの音がうるさく聞こえなかった、三島はハンドマイクの用意をするべきだったとの批判や揶揄が後にされるが、徳岡はそれを否定する。徳岡が演説内容をメモできたということは、聞こえたということだ。さらに徳岡には垂れ幕に書かれた要求書の文言を書き移す余裕と、そのうえさらに感想を持つ時間的余裕があった。事件直後の「サンデー毎日」に徳岡はこう書く。
《三島のボディービルや剣道は、このためだったんだな、と私は直感した。最後の瞬間にそなえて、彼はノドの力を含む全身の体力を、あらかじめ鍛えぬいておいたのだ。畢生の雄叫びをあげるときに、マイクやスピーカーなどという西洋文明の発明品を使うことを三島は拒否した。》
演説は十分ほどで終わった。
《演説が終わり、天皇陛下万歳を三唱した三島さんがバルコニーの縁から消えると、それを合図にしたように建物の前に待機していた数十人の警察機動隊が玄関から中へなだれ込んだ。》
徳岡は、三島の「挙」がどのようなかたちで終わるのかを見たかったが、総監室に入ることはできない。
三島が怖れた「事件の抹殺」は、しかし杞憂に終わった。三島が知っていたかどうかは分からないが、事件は報じられた。それも、大々的に。
三島らが立て籠った東部方面総監室には内側から鍵がかけられていた。中の様子は音でしか分からない。
所轄署にあたる牛込警察署の署員と警視庁との無線は、次のようなものだとされている(録音をもとに記されたものではない)。
バルコニーでの演説は終わり、三島が割腹したと推測されていた時点だ。
「警視庁から、牛込」
「牛込です、どうぞ」
「三島が割腹したというが、傷はどの程度か。重傷なのか、脈はあるのか、至急調査願いたい」
「牛込から警視庁」
「どうぞ」
「部屋の中には入れません。外からの音で判断し、介錯があった模様です。どうぞ」
「警視庁から牛込」
「牛込です。どうぞ」
「介錯とはどの程度のものか。至急医師団を派遣する。命をとりとめるよう、応急対処されたし、どうぞ」
「牛込、了解」
そこに、警視庁から急行した宇田川警視からの無線が割り込む。
「至急、至急、警備一、宇田川警視から警視庁」
「宇田川警視、どうぞ」
「市ヶ谷の現場を確認した。三島の首と胴は、すでに離れている。どうぞ」
「警視庁、了解」
昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃の記事をもっと読む
昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃
一人の作家がクーデターに失敗し自決したにすぎないあの日、何故あれほど日本全体が動揺し、以後多くの人が事件を饒舌に語り記したか。そして今なお真相と意味が静かに問われている。文壇、演劇・映画界、政界、マスコミの百数十人の事件当日の記録を丹念に追い、時系列で再構築し、日本人の無意識なる変化を炙り出した新しいノンフィクション。