殺人など事件が起きると、警察、被害者の遺族、容疑者の知人らへの取材に奔走する新聞記者。その記者がほとんど初めて、容疑者本人を目にするのは法廷です。
傍聴席で本人の表情に目をこらし、肉声に耳を澄ましていると、事件は、当初の報道とは違う様相を帯びてきます。
自分なら一線を越えずにいられたか? 何が善で何が悪なのか? 記者が紙面の短い記事では伝えきれない思いを託して綴る、朝日新聞デジタル版連載「きょうも傍聴席にいます。」。毎回大きな反響を呼ぶ人気連載が新書『きょうも傍聴席にいます』としてまとまりました。記者が見つめた法廷の人間ドラマをお届けします。
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「絶対君主」。自らそう名乗る祖母と、付き従う母。二人の10年以上続く壮絶な虐待に、女子高生は殺害を決意した。計画を打ち明けられた姉がとった行動は――。
2016年2月23日、札幌地裁806号法廷。
「二人を殺害してほしくないと思っていました。でも、彼女の願いをかなえることが自分のできることだと思いました」。黒のスーツに身を包み法廷に現れた長女(24)は証言台に立ち、裁判員の前で弁護人の被告人質問に答えた。母と祖母を殺した三女(18)を、睡眠導入剤や手袋を用意して手助けしたという殺人幇助(ほうじょ)の罪で起訴された。
札幌市中心部から東に約25キロ。北海道南幌町の閑静な住宅街で事件は起きた。
14年10月1日午前0時半。当時高校2年生だった三女は自宅で就寝中の母(当時47)と祖母(当時71)を台所にあった包丁で刺して殺害した。二人の遺体には多数の刺し傷があった。三女は殺害後、家を荒らし、強盗による犯行に見せかけていた。
当時、姉妹は祖母と母との4人暮らしだった。両親は10年ほど前に離婚。次女は父と暮らしていた。祖母と母は幼いころから三女を虐待し続けてきた。長女は祖母に従順という理由で、虐待を受けることはほとんどなかった。
弁護人「(三女は)祖母と母が嫌いだったのですか」
長女「はい。祖母に暴力を振るわれ、母はそれをただ見ているだけでした」
弁護人「どんなことをすると祖母は暴力を振るうのですか」
長女「家の中を歩いていたら、突然たたかれていました」
弁護人「祖母は三女を嫌いだったのですか」
長女「『子どもは一人でいい』と言われていました。『犬猫みたいで嫌だ』とも」
弁護人「暴力を振るわれて、(三女が)泣いたりすると祖母はどうしましたか」
長女「うるさいと言って、声が出ないようにガムテープを口に巻きました。涙でテープがぐちゃぐちゃになってとれそうになると、口から頭にも巻き付けていました。鼻が少し出るか出ないかくらいの状態でした」
三女は小学校に上がる前の04年2月、児童相談所に一時保護された。祖母に足を引っかけられ、頭に重傷を負い、児童相談所が「虐待の疑いがある」と判断したためだった。
弁護人「そのときのことを覚えていますか」
長女「(三女が)自宅で顔を真っ白にして倒れていました。すぐに救急車で運ばれました」
弁護人「その後、どうなると思いましたか」
長女「ようやく祖母らが警察に怒られ、助かるんだと思いました」
弁護人「児相の人には話を聞かれましたか」
長女「はい……でも、聞かれた部屋の扉のすぐ向こう側に祖母と母がいました」
その後、母親が児相に三女を迎えに行き、三女は自宅に戻ることになる。
弁護人「どう感じましたか」
長女「大人を頼ることはできないと思いました」
児相の一時保護の後、三女への虐待はさらに深刻化していった。
弁護人「方法が変わったのですか」
長女「床下の収納部分に閉じ込められたり、冬でも裸で外に出されたりして水をかけられていました」
2月24日、裁判官からも虐待の内容を問われた。
裁判官「今まで見た妹の虐待で一番ひどいのは」
長女「食事が一番印象に残っています」
裁判官「どのような」
長女「小麦粉を焼いて、マヨネーズをかけて、生ゴミを載せられていました。はき出しても、無理やり口に入れられて、食べさせられていました」
裁判官「生ゴミというのは、台所の三角コーナーにあるようなものですか」
長女「台所の排水のところにあるものです。柿やリンゴの皮やへた、お茶の葉が多かったです」
虐待がエスカレートするなか、周りに助けを求めることはできなかったのか。
弁護人「親戚に相談することは」
長女「祖母は親戚の悪口を言っており、連絡を取ることはできませんでした」
弁護人「近所の人には言えなかったのですか」
長女「以前、妹たちが相談しましたが、結局は祖母らに話が行って、ひどいことをされていました」
弁護人「どんなことを」
長女「『お前、よくもありもしないことをペラペラ言いやがって』と言って、風呂場で冷水をかけられたり、床下に閉じ込められたりしていました」
三女が高校に通い始めると、祖母らからの暴力は少しずつ減っていったという。三女の高校生活について、長女は「楽しそうで、友人にも恵まれていた」と話した。
検察官「三女が高校生になって、祖母とはうまくいくようになったのですか」
長女「三女は、(家の)仕事さえやれば何も言われないというのがわかってきていました。ただ、暴力や嫌がらせが全くなくなったわけではありません」
では、三女の殺害動機は、どこにあったのか。
検察側は論告で、三女の殺意の直接のきっかけについて「親しい友人との関係から家を出たいという思いだった」と指摘した。
ちょうどそのころ、長女も自宅を出るという話が持ち上がった。
長女は高校を卒業後、医療福祉の専門学校を経て、近所の薬局に勤めていた。事件前、長女は男性との交際について祖母に相談。男性の職場の事情などから冬場は二人で札幌市中心部の近くに住みたいと伝えた。
弁護人「祖母に何と言われたのですか」
長女「何回も『出てけ』と言われました。月3万出せば、縁を切ってやると言われ、悲しくなりました。私はお金目的なんだと」
弁護人「どう思いましたか」
長女「もう何を言っても無駄だ。縁を切って、家を出て行こうと思いました」
弁護人「三女のことは」
長女「出て行ったら、三女は一人になります。家事や金銭面、二人の重圧がすべて行くと思いました」
検察官は三女の供述調書を読み上げ、その胸中を明らかにした。
長女に家を出たいと伝えられた三女は「『出て行ってほしくない』と思い、どうすれば一緒に住めるかを考えたが、思いつかず、沈黙が続いた」。そして、長女は三女に愚痴をこぼした。
「おばあちゃん、いなくなればいいのに」
二人は、祖母と母がこの世からいなくなるという妄想に会話を弾ませた。車のタイヤをいじれば事故死に見せかけられる。強盗に入られて、二人だけやられればいいのに。殺し屋を雇ってみようか――。
長女はストレスを発散するように冗談半分で話していた。だが、三女は違った。「これまでも殺すことを考えたことはあったが、一人で全部やるのは無理だと思っていた。でも、姉も同じ気持ちだと知った」
三女は事件前、友人との電話の中で、身内を殺害することを伝えた。友人から理由を問われると、「自分とお姉ちゃんの自由のため」と答えた。
そして、三女は殺害の準備を始める。二人を眠らせるための薬、強盗に見せかけるために使う手袋を手に入れるよう長女に頼んだ。
長女は「いざとなったら殺害することなんてできない。高校生ができるわけない」と思っていたが、三女は心を決めていた。「姉は『本気なの?』と聞いてきたが、計画は完全にできていた。殺すとき、殺した後のことを何度も想像した」
あの日。勤務先から帰ると、三女が裸のような姿で家にいた。風呂場には血のついた包丁が落ちていた。「聞かない方がいい」。三女は静かに言った。
逮捕前、長女は三女にひたすら謝罪の言葉を述べたという。「私が止められなかったこと、解決策が見つからず三女の生活を壊してしまったことを謝りました」
2月24日の被告人質問。
検察官「人を殺す以外の選択肢は本当になかったんですか」
長女「(三女が)一度、札幌に逃げたことがあったけれど、二人に見つかりました。どこに行っても追いかけてくるのが恐ろしかったです」
検察官「殺害前、三女に『やめよう』とは言えなかったのですか」
長女「この家族にいい思い出、家族らしい思い出がなくて、(三女がやろうとしていることが)正しいと思ってしまいました」
三女は逮捕され、今は医療少年院にいる。月に1度、二人は手紙をやりとりしている。長女は事件後、交際相手との間に子どもができた。「妹が戻ってきたら、今まで感じられなかった家族というものを感じられるよう一緒に生活したい」
裁判長は2月26日、長女に懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した。
裁判長は姉妹の置かれた状況に同情を示し、「犯情が低い事案」としながらも、「これからやり直していくにあたって、事件を絶対に忘れないようにしてください」と説諭した。長女は涙声で「はい」と小さくうなずいた。
2016年3月5日 (光墨祥吾)
*追記 検察側、被告側とも控訴せず、判決は確定した。
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◇次回は12月6日に掲載予定です。
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記者が紙面の短い記事では伝えきれない思いを託して綴る、「朝日新聞デジタル」人気連載の書籍化第2弾。