今年もクリスマスシーズンが到来。きれいなイルミネーションで、一年で一番街が輝きだす季節です。
クリスマスは、イエス・キリストの誕生日だといわれています。みんなで集まって「メリークリスマス!」と言って乾杯したりケーキを食べたり、プレゼントを贈り合ったりするイベントでもあります。
しかし、日本人の大多数はクリスチャンではありません。キリスト教について、イエスと聖書について、あまりよく知られていないのが現状です。
そこで、『知ったかぶりキリスト教入門』の著者で、さまざまな宗教を平易に説くことで定評のある宗教研究者の中村圭志さんが、キリスト教の最低限の知識をQ&A方式で解説。本書より、一部を抜粋してお届けいたします。
Q そもそもイエスは実在したのか? A 実在していなかったという強い証拠はありません。
福音書に書かれたイエスの生涯は、要約すると次のようになります。
◆イエスは処女マリアから「神の子」として生まれた。
◆イエスは人々に「福音」を説いた。
◆イエスは奇跡を行ない、人々の病気を癒した。
◆イエスは一二人の弟子たちと「最後の晩餐」をとった。
◆イエスは弟子のユダに裏切られて、腐敗した祭司たちに売られた。
◆イエスは人類の罪を背負って十字架上に死んだ。
◆イエスは死後に甦り、人類の恵みと裁きの源泉となった。
これは処女から生まれ、奇跡を行ない、死後に復活した人間の物語だというわけですから、「そんな人物は本当に実在したのだろうか?」という疑問が生じるのは当然のことです。
今どこかの新宗教が、自分たちの教祖についてこんなことを宣伝して歩いていたとしたら、誰も相手にしないでしょう。
歴史学者はどう見ているかというと、概ね「人物としては存在していただろうが、奇跡や復活の話は福音書の書き手の信仰の産物だろう」というあたりかと思います。
仏伝の場合にも同様のことが言えます。釈迦もまた、摩ま耶や夫ぶ人にんの右脇腹から生まれるという奇跡的な誕生をしており、数々の神通力を発揮し、神々や悪魔と対話し、死後は涅ね槃はんという絶対の領域に入ったとされています。
しかし、そういうのはすべてシンボリックな表現であり、歴史上の釈迦はまっとうな人間として悟りについて弟子に教えただけだと、歴史学者は考えています。
福音書は歴史書ではなく「信仰の書」
そもそも四種類ある福音書というのは、イエスの生涯を記してあるといっても、今日の歴史書のような意識で書かれたものではありません。これらはあくまで信仰の書です。
最初に書かれたのは『マルコによる福音書』ですが、イエスの死後四〇年ほど経ってから書かれたものです。開祖をめぐる伝承を集めて、一つの人生の流れとして再構成してドラマ化してみせたのです。
伝承自体には、本当のイエスの事績も交ざっているでしょうが、噂や都市伝説の部分が多いと思われますし、いずれにせよ話に尾ひれがついて伝わっているはずです。
イエスの事績を「記録」したものは福音書しかありません。当時の役所の文書に記載されてもいないし、どこかの文人が「町でイエスという人物が説教しているのを見かけた」と書き残しているわけでもありません。
だから、存在自体をまるごと疑うことも理論的には可能ですが、少なくとも伝承の中核となる人物がいたと考えるほうが自然でしょう。
福音書に記された人物像にはキャラクターとして実在感がありますし、福音書がない時代にすでに信者たちは活動しており、その信仰が開祖イエスに集中していることは明らかです。しかも、直弟子と称する者たちがいて、それどころかイエスの「兄弟」とされる人物(ヤコブ)が教団のリーダーを務めていた時期もあります。