囲碁で2度の七冠独占を果たした井山裕太さんの国民栄誉賞が決定致しました。
家族の励ましや師匠のアドバイスに勇気づけられ、強敵たちとの全身全霊を懸けた闘いで一喜一憂しながら、自分の碁を育ててきたと語る井山さん。囲碁に関する考えや辿ってきた足跡を、初めての著書『勝ちきる頭脳』より紹介します。
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僕と囲碁との出会いは五歳の時でした。
銀行員だった父が、同僚の人と囲碁でも始めようかという話になり、囲碁の入門・初心者用テレビゲームを買ってきたのです。父がゲームをやっているのを見ていた僕が興味を持ち、やがて自分でもやるようになって、自然とルールを覚えたのでした。
ですから、僕が囲碁と出会ったのは、本当に偶然だったのです。父が買ってきたゲームが囲碁ではなく、将棋だったら将棋をやっていたでしょうし、他のゲームだったらやっぱりそれをやっていたことでしょう。
最初は当然、父のほうが強かったのですが、父も初心者に近かったので、割とすぐに僕が勝つようになりました。すると今度は祖父が相手になってくれました。祖父は囲碁が好きで、アマチュア六段の実力だったのです。
六歳になって通うようになった小学校が自宅(大阪府東大阪市)と祖父の家の中間にあり、我が家は両親が共働きだったので、放課後は祖父の家に行って碁を打つという生活を送っていました。なので僕にとっては、祖父が最初の師匠ということになります。
その後は祖父が碁会所に連れていってくれるようにもなり、大人のおじさんたちと対局する機会も増えてきました。こうして僕は少しずつ強くなっていったのですが、この時点で囲碁のプロになろうなどとは考えたこともありません。そもそもプロ棋士という存在すら知らなかったのです。
囲碁を始めて一年ほど経った時、まだ小学校に入る前でしたが、僕の人生を決定づける出会いがありました。
生涯の恩師、石井邦生先生(九段)と知り合ったのです。
きっかけは「母の独断」でした。
当時、読売テレビで『ミニ碁一番勝負』という番組がありました。一般の視聴者が参加し、九路盤で勝ち抜き戦を行なうのですが、この番組に母が僕の名前で勝手に応募し、これが見事に採用されてしまったのです。
六歳の僕は意味もわからないまま参加することとなり、おじさんたちを相手になんと五連勝してしまったのですが、この番組の解説者をされていたのが石井先生でした。
そして番組収録の後に、先生から声をかけていただき「ちょっと一局打ってみようか」となったのです。そのスタジオではなく、どこか近くの囲碁サロンのような所だったでしょうか。
七子を置いて教わったのですが、こちらは子供で恐いもの知らずですから「相手は碁会所のおっちゃん」くらいの感覚で打つわけです。もちろんボッコボコに負かされて「このおっちゃん、なんて強いんだ!」と驚いたのですが、これが石井先生との出会いでした。
こうして先生とのご縁ができたわけで、定期的に指導をしていただけることになりました。僕はこうした経緯をほとんど知らなかったし憶えてもいないので、のちに両親から聞いたのですが、先生のほうからお話を切り出してくださったそうです。
おそらく先生には「プロ棋士として育ててみたい」という思いがあったのでしょう。僕はただ碁が好きでやっていただけなので、プロ云々はまったく考えてもいなかったのですが、強くなれるように教えてもらえるということで、喜んで飛びついたのだと思います。
ですが、我が家と先生のお宅がかなり離れていたため、僕が頻繁に伺うのは難しいという問題がありました。そこで先生が、当時広まり始めていたインターネット対局のシステムを使って指導することを提案してくださったのです。この時代、インターネットを使っての師弟関係など皆無でしたから、極めて異例の形だったということになります。
ただ、インターネットとは言っても、当時はまだ一家に一台パソコンがある時代ではありません。見た目は本当にテレビゲームみたいで、ソフトを機械にカチャッと差し込んで電話回線で繋ぐのです。すると画面に碁盤が映って対局できるというものでした。
こうしてインターネット対局で指導を受けるようになったのは、僕が小学校に入ってからのことでした。対局をした後、電話で先生に講評していただくという流れです。このネット対局を一日二局、週二回ほど。僕が小学校三年の秋に、プロになるための養成機関である「院生」になるまで続けていただきました。
ですから、小学生になってから約二年半、先生にはひたすら指導対局を打っていただいたことになり、その総対局数は一〇〇〇局を超えています。これだけ師匠に打ってもらえる弟子はそうそういないはずで、この点でも僕は本当に幸せ者でした。
なぜなら、囲碁界では従来「師匠と弟子が対局するのは二回のみ」というのが通例とされてきたからです。入門の時に一回、そしてもう一回は卒業──晴れてプロとなり巣立っていく時か、プロ入りの夢破れて師のもとを去る時か。
例外はあるとはいえ、通常はこの二回だけしか、師匠と弟子は対局しないとされてきました。あとはすべて、弟子が師匠の背中を見て、自力で学んでいくものとされていたのです。
ですから、この慣例を破り、僕と一〇〇〇局以上の対局をしてくださった石井先生には、感謝の気持ちしかありません。正直なところ、自分個人で実戦以外の囲碁の勉強は一切していなかったので、僕が強くなったのはすべて、石井先生とのネット対局のおかげです。これに尽きると言っていいでしょう。
石井先生とのご縁がなかったら、今の僕はありません。プロ棋士にならず、まったく違った人生を送っていたことでしょう。石井先生の導きのおかげで、僕は囲碁というゲームの深さと厳しさを知ることができ、今こうして一人の棋士として存在できているのです。
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勝ちきる頭脳
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