葛飾北斎はなぜ「世界の北斎」になったのか?
国内と世界各地を回って取材しているノンフィクション作家、神山典士です。
今春書き下ろす「知られざる北斎」(仮題)一部抜粋してご紹介させてください。
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ジャポン・エクスポは、まるで150年前のパリの美術シーン
パリ市内からシャルル・ド・ゴール空港に向かう郊外行きの地下鉄で。
たまたま同じ車両に乗り合わせた10代の女の子グループの一人が、恐る恐る私にこう声をかけてきた。
「Vous allez à la JaponExpo?(ジャポン・エクスポにいくんですか?)」
この日私はパリ市内に掲示されていたポスターで見かけた「ジャポン・エクスポ2017」というイベントに向かおうとしていた。7月のパリ。強い日差しが降り注いでいる。
それは空港近くの大展示場で開かれる、日本のマンガやアニメを中心としたゲームや各種グッズの展示会だという。連日数万人のファンが詰めかけ、4日間の会期中、延べ25万人もの大観衆が集まるらしい。
「一度は見ておいたほうがいいわよ。凄い熱気だから」
パリに住む友人がそうアドバイスしてくれた。
私もかねてから、アジアや欧米での日本のマンガやアニメの人気は知っていた。サンフランシスコでは日本のマンガの老舗出版社がショールームを持ち、定期的にイベントを開催しているのも見たことがある。日本国内でも最近は、秩父方面の登山の帰りに、西武鉄道の駅に外国人を含むアニメファンが集まっているのも垣間見ていた。2・5次元ミュージカルという、日本のマンガを原作としたミュージカルが、香港やマカオあたりの劇場ではディズニー作品よりも動員を伸ばしているという話も聞いた。
とはいえ私はそれほどマンガやアニメに興味があるわけではない。たまたまヨーロッパ取材の旅程に一日の空白があったので、日本文化に熱狂する西洋人の姿が見たいと思ったのだ。
私は彼女の問いかけに、拙いフランス語で答えた。
「Oui,bien sûr.(ああ、もちろんね)」
彼女たち4人グループの中で私に話しかけてきた子は、紫色に花柄をあしらった着物姿だった。安っぽい生地、どぎいつ色彩、奇妙な帯の結び方、下着にはTシャツ、足には白いスニーカー。隣の女の子は両手で大きなピカチューのぬいぐるみを抱いている。違和感だらけだが、「アニメ100」と題されたイベントにいくのだから、コスプレの一種なのだろう。私は日本人だから、きっと同じ会場に行くと思ったに違いない。
ところがそうではなかったことに気付いたのは、次の質問だった。
「Vous portez quoi comme Cosplay?(その格好は何のコスプレなの?)」
その日私は、いつものように浴衣姿だった。この季節のヨーロッパは、浴衣で過ごすのが一番気持ちがいい。荷物にもならない。しかもこの日選んで着ていたのは、黒地に戦国室町時代の意匠「破れ格子」。大好きな一着だ。それをコスプレだとは!
「Non! Ce n’est pa Cosplay! C’est la Mode!(違う!これはコスプレじゃない、現代ファッションだ)」
力んではみたものの、10代の子たちにそれはどこまで伝わったか。ジャポンと言えばアニメ。アニメといえばコスプレ。ファッションだけでなく、作中でキャラクターが食べるラーメンやお寿司も大人気だ。西洋人の頭の中には、すっかりジャポンのイメージはアニメでインプリントされている。浴衣姿をコスプレと思われても、この空間では仕方ないのかもしれない。」
「若者たちが競ってコスプレしているのはセーラームーン、ルパン三世、コナン、ポケモン、ナルト、ワンピ―ス等。見たこともない新しいキャラクターも多い。
五感の全てを刺激され、目眩がするような空間をフラフラ彷徨いながら、私はいつしか不思議な既視感に囚われていた。
―――ここは約150年前のパリの大きな画廊だ。芸術を愛好する人々の熱狂が渦巻いている。目の前で売られているのは歌麿、写楽、師宣、国貞、国豊、広重等の浮世絵。美人画、役者絵、風景画、一枚ものの肉筆画。そして密かに人気なのは春画だ。鮮やかな彩色に彼らは感嘆の声を上げる。誰もが競うように浮世絵に群がり、状態の良い綺麗な一枚を探そうと必死だ。
その中央には、この頃没後約20年の葛飾北斎の作品が鎮座している。中でも全15冊からなる「北斎漫画」や「冨嶽三十六景」が人気だ。ベロ藍と呼ばれる深い藍色で描かれた大波が印象的な「神奈川沖波裏」は、愛好家にもアーティストにも好奇の目を持って迎えられ大人気だ―――。まるで今日のピカチューやセーラームーンのように。
ジャポン・エクスポの会場で、私は白昼夢を見ているようだった。目の前でマンガやアニメのキャラクターに群がる人々と150年前のパリの美術シーンが、相似形の様相でダブって見えてきたのだ。
日本文化への偏愛ムーブメント「ジャポニズム」
かつて1870年代から1900年頃にかけて、パリを中心とするヨーロッパの各都市では、目の前のジャポン・エクスポの熱狂に勝るとも劣らない「ジャポニズム」と呼ばれる日本文化への偏愛、熱愛ムーブメントが起きた。
元ルーブル美術館学芸員でオルセー美術館名誉学芸員のジュヌビエーヴ・ラカンブル氏によれば、「ジャポニズム」という言葉自体は美術評論家ピュルティが1872年に言い出したのが最初だという。この頃台頭してきたブルジョア層や美術評論家、アーティストの中に日本文化愛好家が誕生し、陶器、工芸品、そして浮世絵が大ブームとなった。
日本の開国期から1990年代までの約30年間で、日本からヨーロッパへは夥しい数の陶器や工芸品、そして約30万枚もの浮世絵が輸出されたと言われる。
このブームを煽ったのは、この間パリで1867年、78年、89年、1900年と11年毎に4度開催された万国博覧会だった。これもまた、マンガやアニメのブームが99年から開かれた博覧会「ジャパン・エクスポ」が起点になっているのと同様だ。
67年の万博には時の将軍の弟・徳川昭武が約一カ月半の航海(途中スエズ運河は工事中だったので陸路を使用)を経て参加し、のちに「日本の株式会社の父」と言われることになる渋沢栄一らが随行した。幕府だけでなく薩摩藩、佐賀藩も出展し、茶屋で芸者がお茶を振る舞う日本館は大人気となった。
この67年の万博が、一般人にとっては浮世絵のデビューだったと言われる。(続く)
知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
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