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ご用命とあらば、ゆりかごからお墓まで

2020.05.30 公開 ポスト

第四回 私利私欲の百貨店へいらっしゃいませ

女性が集まるところに平和なし【祝!デパート再開記念再掲】

緊急事態宣言も解除され、通常の生活ーーというより「新しい」日常を始めることになった私たち。そんな中でデパートの再開は物理的にも精神的にも嬉しいニュースです。再開記念と題しまして、4月に文庫になって装い新たに発売されたデパートの外商が主人公の小説『ご用命とあらば、ゆりかごからお墓まで』の魅力をご紹介させていただきます。

*   *   *

デパートには「もっと綺麗になりたい」「もっと豊かになりたい」人たちが集まってきます。特に女性たちがデパートに集う理由は、デパートの外の世界で自分以外の誰かと美しさ、豊かさ、幸せさを競うためといっても過言ではありません。

壮絶な戦いの幕開けですね。考えてみれば女性の集まるところ平和なし。二人集まれば誰かの悪口、三人集まれば一人をうっすらいじめて…なんてこともあるとかないとか。いずれにせよ、水面下でいろいろな思惑がう蠢いていること間違いなしです。その世界のほんのほんの一部を、敏腕女性外商が活躍するお仕事イヤミス『ご用命とあらば、ゆりかごからお墓まで』でお楽しみくださいませ。集まった女性たちの本性、本音とは?

Introduction

外商を辞書で調べると、「デパートなどで、店内の売場でなく、直接客のところへ出かけて行って販売をすること」と説明されている。もちろんそれで正解なのだが、充分ではない。外商という部門はもともと呉服屋のご用聞き制度がルーツで、百貨店の店舗で行われている販売とは、一線を画す。店舗では、店員と客はその場だけの関係だが、外商と顧客の関係はそれこそ一生もので、「ゆりかご」から「墓」までお世話するのが外商の仕事なのだ。そういう意味では、「執事」または「秘書」ともいえる。さらに、顧客の話し相手をしたり日々の相談に乗ったりするのも、外商の仕事の内だ。そういう意味では、「コンパニオン」ともいえる。(本文より抜粋)

第1話 タニマチ - 1

 なんで、こんなことをしているのか。

 森本歌穂は、クリスタルビーズにテグスを通しながら、ふと、息を漏らした。

 が、他の六人は、黙々とビーズを編んでいる。彼女たちが囲む丸テーブルの上には、まるでマリー・アントワネットがつけていたようなネックレスのイラスト。「首飾り事件」のときのネックレスを模写したそうだ。それを見せられたとき、そんなものがど素人の私たちに作れるはずもないと思った。が、瀧島さんは言った。

「大丈夫。愛があれば不可能はないわ!」

 愛があれば。これは瀧島さんの口癖で、または呪文だった。これを言えば、ここにいる連中は、スイッチが入ったロボットのように使命に立ち向かう。

 そう、今日の使命は、「豪華絢爛なネックレスを一日で作り上げる」というものだった。

 無理だ。絶対無理だ。歌穂は、これ見よがしに腕時計を見た。

 もう、夜の十一時。……帰りたい。そろそろ出ないと、終電に間に合わない。

 歌穂は、今一度、息を漏らした。

 なのに、他の六人は、呼吸する時間すら惜しいというようなひたむきさで、ひたすら、ビーズを編んでいる。

「あ、これは、平成十五年の春レビューね!」

 手を動かしたままそう声を上げたのは、白井さんだった。

 歌穂は、ちらりとテレビを見た。もうかれこれ八時間はつけっぱなしのテレビには、次々と古い映像が再生されている。

『熱海乙女歌劇団』

 という滲んだテロップが、目に痛い。歌穂は、ビーズを編む手を止めると、目頭を揉んだ。

 

 熱海乙女歌劇団。

 正直言って、それまでほとんど聞いたことがない名前だった。宝塚歌劇団や松竹歌劇団なら聞いたことはあるが。

「まあ、確かに、今ではあまりメジャーではないからね。でも、歴史は宝塚に負けてないし、舞台の完成度も高いのよ。ファンの熱心さに関しては、むしろ宝塚以上ね」

 三ヶ月前、大塚さんは言った。そう、初めて、この部屋に上がったときだ。

 大塚さんは、職場の先輩だった。面倒見がいい人で、部署替えで一人浮いていた歌穂によく声をかけてくれた。そんなことが半年ほど続いたある日、突然、誘われた。「瀧島さんという方の家で、ちょっとした集まりがあるの。遊びに来ない?」

 思えば、それがはじまりだった。そう、三ヶ月前の、今日のような週末。品川駅から歩いて十分、四階建てのマンション。ドアを開けると、すでに先客があった。白井さんに日高さんに上野さんに川越さん。……そして瀧島さんの五人に囲まれて、延々と話を聞かされて、説得され、ビデオを何十本も見せられて、意識も朦朧とした夜の十時半、「はい、ファンクラブに入会します」と、歌穂は白旗を振っていた。

 これじゃ、まるで、どっかの宗教の勧誘じゃないか。あるいは、マルチ商法。

 ……などと文句を言いつつも、こうやって週末になると瀧島さんの部屋に集合し、ファンクラブの手伝いをしているのだから、案外楽しんでいるのだろうなと歌穂は苦笑した。いや、それどころか、ハマりつつある。それまではその存在すら知らなかったのに、今となっては「熱海」という言葉にすら敏感に反応するようになった。ソラで、歌劇団の歴史を朗読できるほどだ。

 ──大正初期。百貨店の客寄せとしてはじまった少年少女音楽隊。この形態を模した音楽隊や歌劇団が各地に誕生、中でも女性だけで結成された「少女歌劇団」は大ブームとなる。宝塚新温泉の余興としてはじまった「宝塚少女歌劇養成会」から遅れること一年。一九一五(大正四)年、東京の奥座敷熱海温泉に「熱海乙女歌劇団」が誕生。初演の「貫一お宮」で、大成功を収める。当初は熱海をホームグラウンドにしていたが、第二次大戦後、本拠地を東京新宿の劇場に移す。熱海には、団員を養成する学校のみが残された。舞台の形態としてはほぼ宝塚歌劇団と同様で、女性が男装して演じる“男役”と、女性を演じる“娘役”がおり、“センタースター”と呼ばれる看板団員(男役)を中心に、プログラムが組まれる……。

 ここまでが、ネットで知り得た情報だ。しかし、それらはほんの一部で、「熱海乙女歌劇団」の奥深さは、ファン……いわば常連になってみなければ分からない。これが、いちげんさんを遠ざけてしまう要因ではないか、もっといえば、メジャーになれない敗因なのでは……と思うのだが、この閉鎖的な空間がまた居心地がいいのだ。とはいえ、閉じられたままでは、観客数は先細りし、劇団そのものの存続にかかわってくる。ということで、ファンの勧誘が定期的に行われ、歌穂もまんまとそれにひっかかったというわけである。

 ところで、歌穂が片足を突っ込んでしまったファンクラブは、「海野もくず」という娘役の団員を支援する会だった。

「海野もくず……? なんてネガティブな名前なんだ」

 初めてその名前を聞いたとき、歌穂は笑いをこらえるのに苦労した。

 が、彼女をビデオで見たとき、歌穂はなんともいえない憐憫の情に駆られた。

 名前の通り、なんとも残念で、そして哀しげな雰囲気を醸し出している。私が守ってあげなくてはダメなんじゃないか? そんなことを思わせる負のオーラ。実際、センターに立つことはないであろうと思われた。なにしろ、このファンクラブは、歌穂を入れて七人。そう、たった七人! つまり、ここにいる人たちですべてだ。娘役であることを差し引いても、あまりに少ない。

 言うまでもなく、ファンクラブの人数とその団員の立ち位置は、比例する。海野もくずは養成学校を首席で卒業した実力者ではあるのだが、その人気のなさで、あまりいい役が回ってこない。役名があればいいほうで、たいていは、AとかBとか、そんな役ばかりだ。そんなだから、衣装やアクセサリー、そして鬘も粗末なものしか支給されない。それじゃ、ますます隅に追いやられてしまう。……ということで、今日は舞台で使用するネックレスをファンクラブ総出で手作りしているというわけだった。

「せめて、アクセサリーだけでもハデにして、目立たせなくては」

 瀧島さんは、目を血走らせながら言った。

「もくずちゃんにとって、この公演が勝負なのだから」

 白井さんに日高さんに上野さんに川越さんが無言のうちに、深く頷いた。

 歌穂も、後追いで、大袈裟に頷いた。

 どうやら、こういうことだった。

 熱海乙女歌劇団……通称AОKは、年に一度、ファンによる投票がある。いわゆる人気投票なのだが、これが人事に大きく影響するというのだ。票数が少ないと、最悪、退団を勧告されてしまう。

 海野もくずは、去年、最下位だった。だが、温情的判断が下され、退団勧告は免れた。しかし、二年連続で最下位をとってしまったら、もうアウトだ。

「退団勧告だけは、ダメよ」瀧島さんは、呻くように言った。「退団するにしても、円満退団。一番の理想は寿退団。それ以外は、ダメ、絶対に」

「やめて」日高さんが、涙声で言った。「退団なんて、冗談でも言わないでください。もくずちゃんは、ずっとAОKで活躍してほしい。そして、ゆくゆくは大幹部となって、AОKに骨をうずめてほしい……」

「もちろん、そうよ。だから、私たちで支えなくちゃ、全力で」

「でも」上野さんが、ぽつりと、しかしはっきりとした口調で言った。「もくずちゃんの幸せを第一に考えるならば、寿退団が一番だと思うわ。寿退団こそが、一番の花道だと思うの」

「だから、やめて!」日高さんが、腹式呼吸で叫んだ。「円満だろうが、寿だろうが、退団なんてやめてぇぇ!」

「いずれにしても」白井さんが、冷静に口を挟んだ。「現実問題は、お金ですよね」

 皆の視線が、ぴくりと反応した。

 今日も、やはり、その問題が振られたか。

 歌穂は、息を呑んだ。

 先週は、その問題のせいで、取っ組み合い寸前の言い争いになった。

 簡単に言えば、このファンクラブは常に、深刻な資金不足に悩まされていた。

 一人ひとりの団員につくファンクラブは私設が基本で、劇団は一切介入していない。つまり非公認で、その運営はファンクラブの裁量に任されている。会員が多ければ一人当たりの負担も少なくて済むが、少人数の場合、一人頭の負担が相当なものになる。一番の負担は、やはり、チケットノルマだった。海野もくずには一公演あたり三〇〇枚のノルマが課せられている。それは、つまり、ファンクラブが捌かなければいけないノルマなのだ。会員が七人しかいないファンクラブにとって、これほどの負担はない。

 それだけではない。団員は月給制なのだが、その基本給が恐ろしく低く抑えられている。たぶん、一般の新人ОL並みだ。人によってはそれ以下だ。それでは、芸能活動もままならない。なので、宿泊費、交通費、美容代、衣装代、レッスン料、先生への付け届けなどの各経費もファンクラブで賄っている。もっといえば、団員の身の回りの世話をする付き人兼運転手兼マネージャーもファンクラブで雇わなければならないので、この人件費も相当なものだ。海野もくずの場合、上野さんがその任にあたっているが、上野さんはそのために、仕事を辞めてしまったらしい。無論、収入はゼロ。

「もくずちゃんのマンション、幽霊が出るらしいのよ。それで、もくずちゃん、怯えてしまって……」

 上野さんはしみじみと言った。どうやら、お金の話から逸れたようだ。歌穂はほっと肩の力を抜いた。

「それで、引っ越したいって。……できたら、白金あたりに」

「白金?……お家賃、高そうね」白井さんが、反応した。

「何を言っているの。お金の問題じゃないでしょう? もくずちゃんが引っ越したいのなら、それを支えなくちゃ」上野さんが声を荒らげる。

 歌穂は、肩をこわばらせた。……というか、まさか、マンションの家賃まで、ファンクラブで? 歌穂の手が自然と震える。

「半年前に、車を買いかえたばかりよ?」

 え、まさか。車も、ファンクラブ持ち……?

「だって、しょうがないじゃない。もくずちゃん、腰痛だって……。だから、揺れの少ない車がいいって……。って、白井さん、さっきから、なに? もくずちゃんのためにお金をつかいたくないってことなの?」

「違うわよ!」白井さんが、オペラ歌手のように声を張り上げた。「私だって、私だって、もくずちゃんのためなら、なんでもしてあげたいわよ! でも、現実を見て。私たちは、ただの、庶民なのよ! 私はしがない公務員。日高さんは二児の母親で専業主婦。上野さんは無職、川越さんは会社員で、瀧島さんは……」

「タニマチ」

 瀧島さんが、喉の奥から絞り出すように言った。

「タニマチが、必要ね」

 タニマチ……? つまり、パトロンってこと?

 皆の視線が、瀧島さんに集まった。その視線に応えるかのように、瀧島さんは両手を振り上げた。

「今こそ、その財力と無償の愛を惜しげもなくもくずちゃんに捧げることができる有力者が必要なのよ!」

 おおおおお。声なきどよめきがリビングを覆った。

「でも」日高さんが、相変わらずの腹式呼吸で言った。「おじさまは、イヤです! もくずちゃんがおじさまと一緒にいるのを想像しただけで、私、頭がおかしくなります!」

「うん。分かっている。私だって、おじさまはイヤだわ」

「……じゃ、おばさま?」

 どうやら、男性のタニマチを“おじさま”、女性のタニマチを“おばさま”と呼ぶらしい。歌穂は、心のメモ帳にそっとペンを走らせた。

「もちろん、“おばさま”よ」瀧島さんは、叫んだ。と、次の瞬間、その鋭い視線がこちらに飛んできた。歌穂の体中に緊張が走る。……が、その視線はあっけなく通り過ぎ、歌穂の横に注がれた。

 そこには先輩の大塚さんが座っていた。

「ね、大塚さん、どなたか、いらっしゃらない?」

 瀧島さんの脅迫めいた質問に、

「ええ、まあ」と、大塚さんは一度目を閉じた。そして、目を閉じながら、ゆっくりと言葉を繋いだ。「心当たりは、あります。私のお客様なのですけれど」

「どんな方……?」

 日高さんが、恐る恐る、しかし期待たっぷりに訊いた。「ちゃんとした方じゃないと、イヤですよ」

「もちろんです」大塚さんは、胸を張った。「収入も、人柄も、申し分のない方です。あの方なら、きっと、もくずちゃんのいい後援者になるかと」

 大塚さん、そんな約束して……。大丈夫なのかしら? 今を時めくアイドルや有名俳優ならまだしも、マイナー劇団の窓際団員に惜しみなくお金を援助するようなもの好きがそうそう簡単に見つかるわけ……そんなことを考えていると、歌穂は肩をぽんぽんと叩かれた。川越さんだった。

「大塚さんのスカウト眼は、確かよ。私なんて、本来は宝塚のファンだったのに、宝塚劇場の前で大塚さんに声をかけられて、まんまとAОKに転んだんだから。私だけじゃないわ。ここにいる人、みーんな、大塚さんにスカウトされて、落とされたのよ。……だから、大丈夫」

 大丈夫。その言葉は、不穏な空気を一気に吹き飛ばした。そして、皆、それぞれの“使命”に戻っていった。

 テレビには、いつのまにか、地上波の番組が流れている。時々見ている、深夜のトーク番組。今日のゲストは、飯田菜穂子。最近、よく見る。なにかのコンサルティングをやっていて、本も馬鹿売れで、番組のコメンテーターとしても成功していて。

 そんなことより。

 歌穂は、腕時計をもう一度確認した。

 もう、こんな時間。終電は、絶望的だ。……今日も、徹夜か。ああ、ほんと、いやんなっちゃう。

 そんなことを思いながらも、心と体がどこかワクワクしているのを歌穂は感じていた。

*   *   *

続きは『ご用命とあらば、ゆりかごからお墓まで』でお楽しみください

関連書籍

真梨幸子『ご用命とあらば、ゆりかごからお墓まで 万両百貨店外商部奇譚』

ここは万両百貨店外商部。お客様のご用命とあらば、何でも(殺人以外)承るのが外商の仕事。今日も「激レア犬を飼いたい」「娘を就職させて」「愛人と妻が鉢合わせしないマンションを」と無理難題が舞い込んでくる。ある日、顧客の物件探し中の根津は、無理心中した家族の噂を耳にするが、事件の陰に何故かトップ外商・大塚佐恵子が――。お仕事イヤミス!

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