裁判経験豊富な弁護士が、世間で「トンデモ判決」と言われる48の裁判を読み解き、痛快にジャッジする『裁判官・非常識な判決48選』より、まるで映画のようなお話をご紹介します。
●訴えの内容
被告人は教会の牧師であるが、建造物侵入等の罪を犯した少年二人を、罪を犯したと知っているにもかかわらず匿った。これは、犯人蔵匿(ぞうとく)罪にあたり罰せられるべきである
●判決
被告人は、教会の牧師として迷える子羊二人の魂の救済を行ったのである。牧師として正当な行為をした結果であるので無罪とする
(神戸簡易裁判所昭和50年2月20日判決)
少年たちを信じ続けた、偉大な牧師さま
教会の懺悔(ざんげ)室で犯人が牧師に罪の告白をし、牧師が静かにこれを聞き「悔い改めなさい」と言う。そんなシーンはどこかのドラマでみたことのある場面ですが、この時、犯罪の存在を知った牧師が迷える子羊である告白者をかくまってしまった場合、法律上どのような問題があるのでしょうか?
実際に、これと同じような事件が起きたことがありました。とある教会の牧師が、犯罪を犯した少年二人を約1週間にわたり匿い、警察からの問い合わせにも「少年たちがどこにいるかは知らない」と隠し通してしまったのです。
通常このように罪を犯した人を、そのことを知りながら匿ったり、逃げるのを手助けしたりすると、犯人蔵匿罪という犯罪になり、2年以下の懲役または20万円以下の罰金に処せられてしまいます。
牧師の宗教上の行為と刑法上の犯罪、どちらが優先されるのかという意味で、どのような判決となるか注目されたようです。
裁判官の出した結論は、被告人は無罪、というものでした。その理由としては、犯罪を犯した少年を更生させる目的で匿うことは、教会の牧師としての正当な業務の一つといえるから、というものでした。
ここで「業務」というといかにも「仕事」というイメージがありますが、時給が発生するような仕事という狭い意味ではなく、繰り返し行う行為、という程度の意味です。
法律では、一見すると違法な行為であっても、正当な業務である場合には適法であるという規定があります。
たとえば、医者が手術で人の体にメスを入れる行為は、その行為だけを見れば傷害罪にあたりますが、手術で人の体を切るのは医師としての正当な業務行為ですから、許されるということになるのです。
判決文では、牧師の業務内容について「そのうち牧会とは、牧師が自己に託された羊の群(キリスト教では個々の人間を羊に喩える)を養い育てるとの意味である。そこで、牧師は、中に迷える羊が出れば何をおいても彼に対する魂への配慮をなさねばならぬ。即ちその人が人間として成長していくようにその人を具体的に配慮せねばならない。それは牧師の神に対する義務即ち宗教上の職責である」と説明しています。
「魂への配慮をなさねばならぬ」という断定口調から、なかなか力強く情熱を感じさせる内容に思えます。
判決文を読むと、被告人である牧師が少年を更生させようとする強い意志を持っていたことがわかります。ただ単にかくまうだけでなく、説教を行ったり、知人の牧師のところで働かせたり、高校への復学の道を懸命に探したり、少年は良い牧師さんに出会ったなぁとうらやましくなります。
実際少年たちは最終的に自ら警察に出頭し、しかもその後、復学し大学にまで行くようになったとのこと。ここまで少年の更生に尽力した牧師さんは、やっぱり有罪にはできません。
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その他の非常識な判決は幻冬舎新書『裁判官・非常識な判決48選』でお楽しみください。
裁判官・非常識な判決48選
一般人の感覚では「非常識」としか思えない判決が目につく昨今。裁判官が頭でっかちで世間知らずだからこうなるのか? それとも実は、当事者のやむをえない事情を汲みつくした上での英断なのか? 裁判経験豊富な弁護士が、世間で「トンデモ判決」と言われる48の裁判を読み解き、痛快にジャッジする『裁判官・非常識な判決48選』。