思想家・吉本隆明氏の家に集う猫と人の、しなやかでしたたかな交流を綴った『それでも猫はでかけていく』より、試し読みをお届けします。
おおむね4半世紀、どっぷり猫と付き合ってきた私ですが、いまだにどうしても苦手なことが2つあります。猫に食事制限をすることと、行動制限をすることです。
この2つは、時に絶対に必要なこととは分かっていますが、たいていの場合中途半端で挫折します。療法食しか与えちゃいけないなんてのはもってのほか、血液検査などでの半日の絶食でさえも四苦八苦です。また、避妊手術後のノラをケージに入れて養生させておく場合も、中で騒ぎ出そうものなら、即根負けし傷の治りもそこそこに解放となります。
これはたぶん、私自身の食い意地が張っていて、ふらふら出歩くのが好きなので「食えない、自由が無いじゃー生きてるイミ無いじゃん!」と、勝手に感情移入してしまうからなのでしょう。
もちろん猫は室内飼いが理想ですし、生まれた時から家の中だけが世界のすべてだという猫であれば、別段苦にもならないのでしょうが。
都会の猫は、たいへんな危険にさらされています。猫密度が高いため、伝染病への感染の心配はもちろん、年間数匹は顔見知りの猫の交通事故死を知らされます。実際うちのヒメ子も、1才未満で2度の事故にあっているわけですし、シロミだって(実は踏まれたのではなく)交通事故が原因の障害の可能性もあります。十数年前には、本当に可愛がっていた9才のミケ猫を交通事故で亡くし、死ぬほどツライ思いをしたこともあります。
それでも私は、猫が出かけていくのを止められません。
タンという黒猫がいました。女だてらに広範囲の縄張りを持ち、出ていくと1日2日は帰らないこともあり、生涯(軽傷ながら)2度の事故にもあい、ずい分心配させられました。2年半にわたって胃ガンを患いつつも(最後は腎不全でしたが)、タンは死の1週間前まで外へ行き、縄張りを見回り、鳥を捕り、風の匂いを嗅ぎ、土の上で転げ回り、2年前の桜の散る頃死にました。わずか7年余りの生涯でしたが、存分に生きるとはどういうことかを教えてくれた猫でした。外の世界で、タンは確実に倍以上生きていたのです。
猫が出かけていく時、必ず自分に問いかけます。「もしもの事があった時、本当に後悔はしないのか?」「……しない」
ムチャムチャ悲しみはするけれど、決して後悔はしない。それだけの覚悟をもって、今日も出ていく猫を見送るのです。